トリアー(読み)とりあー(その他表記)Lars von Trier

デジタル大辞泉 「トリアー」の意味・読み・例文・類語

トリアー(Trier)

トリーア

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリアー」の意味・わかりやすい解説

トリアー(デンマークの映画監督)
とりあー
Lars von Trier
(1956― )

デンマークの映画監督。コペンハーゲン生まれ。本名はラース・トリアーLars Trier。母親は第二次世界大戦中、レジスタンス運動をしていた人物で、戸籍上の父親はユダヤ系デンマーク人。両親の自由放任の教育方針もあって、きわめてリベラルな環境下で少年時代を過ごし、学校通いを敬遠、家庭教師の手助けで高等学校卒業レベルに学力を到達させた。母方叔父ベリエ・ヘスツBørge Høst(1926―2010)が短編映画やドキュメンタリー映画の作家だったこともあって、1967年ごろからスーパー8ミリ(1964年にイーストマン・コダック社が発表した、50フィート・マガジン入りのフィルム)で短編映画を撮り始める。17歳でデンマーク映画学校を受験したが失敗。それから数年は、ジャーナリスティックな文章をつづったり、叔父のつてでデンマークの国立フィルムセンターで仕事をしたりしながら、アマチュアの映画グループに所属。そこの機材などを使って製作した1時間ほどの16ミリによる実験映画『蘭栽培者』(1977)は一般公開され、このころから貴族称号を意味する「フォン」を名前につけるようになる。1979年、デンマーク映画学校の受験に再挑戦して成功。多くの映画やビデオの習作を撮るが、なかでも16ミリの短編『ノクターン』(1980)が1981年にミュンヘンでの「欧州映画大学コンテスト」の特別賞を受け、卒業製作である35ミリの長編『解放のイメージ』(1982)は、ロサンゼルスの映画祭、フィルメックスに出品され、デンマークテレビとイギリスのチャンネル4で放映された。

 映画学校時代の仲間たちと撮った最初の本格的な劇映画『エレメント・オブ・クライム』(1984)が、いきなりカンヌ国際映画祭高等技術院賞を受賞、トリアーの名が世界に知れわたるきっかけとなった。続く『エピデミック』(1987)は、トリアー自身の演じる映画監督とスタッフが伝染病題材とした新作映画の撮影に臨んでいる間に、映画『エピデミック』なかで進行している現実世界で伝染病が蔓延(まんえん)するという、映画製作の舞台裏と映画が描く現実世界が並行して進行するうちに、両者の内容の境界が崩壊する過程を描いた。これらは、ナチスの残党が暗躍する第二次世界大戦直後のドイツを舞台とし、ふたたびカンヌ国際映画祭高等技術院賞と審査員特別賞を受けた『ヨーロッパ』(1991)とあわせて「ヨーロッパ三部作」とされた。これらの作品に共通するのは、かつてのジャンル映画的世界への言及、さらに水や病といった「自然」が「古きヨーロッパ」に浸透し、退廃と崩壊へと導く模様を陰鬱(いんうつ)につづる、複雑に構成された物語といった要素である。

 世界的にもっとも名の知られたデンマークの映画監督となったトリアーは、デンマーク映画史上最大の巨匠であるカール・ドライヤーの遺稿『メディア』Medea(1988。『王女メディア』の脚色)をテレビで演出。さらに1994年と1997年にテレビ・シリーズ「キングダム」を製作して大ヒットを記録、一部のアート映画支持者以外にファン層を広げることに成功した。この巨大な病院を舞台にブラック・ユーモアも交えた幽霊物語で、より速く効率的に撮影を進める必要から、俳優をチェスのコマとしかみなさず、計算し尽くされたこれまでの撮影法から、よりフレキシブルに俳優との関係を築く方向に踏み出した。「キングダム」での体験の延長として、映画生誕100年を迎えた1995年に「ドグマ95」なる宣言をデンマークの若手映画作家トマス・ビンターベアThomas Vinterberg(1969― )らと連名で発表。そこで新しい映画作りのための「戒律」として謳(うた)われたのは、ロケーション撮影、手持ちカメラの使用、さらには人工照明や映画音楽、ジャンル映画、殺人といった「表面的なアクション」の禁止等々である。当時流行の映画への異議を申し立てるもので、その後の世界の映画界の動向に大きな影響を与えた。

 さらにトリアーは、子どものころ読んだ「ゴールド・ハート」(「善きもの」を体現する少女が理想主義を貫いて殉教者となる物語)という物語に由来する三部作に取り組み、まず、2時間半を超える長編『奇跡の海』(1996)を発表し、これまでの作風を一変させる。イギリス、スコットランド北西部の荒涼とした自然を背景に、男女の極限的な恋愛をリアルなタッチで描くもので、カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを獲得したのをはじめ、全米批評家協会最優秀作品賞など世界で多数の賞に輝く。さらに、「ドグマ95」の戒律に厳密に従って製作した作品『イディオッツ』(1998)を経て、異色のミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)で「ゴールド・ハート三部作」を締めくくる。主演にアイスランド出身の世界的なスーパースター、ビョークを招いて撮影されたこの作品では、音楽を、たとえば工場の機械音や列車の音といった現実の生活で聞かれる音の延長として扱い、ミュージカル・シーン以外の場面ではドキュメンタリー調の演出を徹底させて両者の対比を際だたせる方法論を採用。カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(グランプリ)を受け、ビョークに主演女優賞が与えられた。この映画はアメリカを舞台とするが、飛行機恐怖症であるトリアーは大西洋を渡ったことがなく、撮影は前作から引き続いてスウェーデンの巨大なスタジオ内で行われた。そんな経緯もあって『ダンサー・イン・ザ・ダーク』におけるアメリカの人工性を批判する声に対し、前作と同じスタジオに設置された黒い床と白い線だけからなる架空のアメリカの街を舞台に展開される次作『ドッグヴィル』(2003)で応答、ふたたびかまびすしい賛否両論を巻き起こすこととなった。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

蘭栽培者 Orchidégartneren(1977)
ノクターン Nocturne(1980)
解放のイメージ Befrielsesbilleder(1982)
エレメント・オブ・クライム Forbrydelsens element(1984)
エピデミック Epidemic(1987)
ヨーロッパ Europa(1991)
キングダム The Kingdom(1994)
奇跡の海 Breaking the Waves(1996)
キングダムⅡ The Kingdom Ⅱ(1997)
イディオッツ Idioterne(1998)
ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer in the Dark(2000)
ドッグヴィル Dogville(2003)
マンダレイ Manderlay(2005)
それぞれのシネマ~「職業」 Chacun son cinéma - Occupations(2007)
アンチクライスト Antichrist(2009)
メランコリア Melancholia(2011)

『ラース・フォン・トリアー、スティーグ・ビョークマン著、オスターグレン晴子訳『ラース・フォン・トリアー スティーグ・ビョークマンとの対話』(2001・水声社)』


トリアー(ドイツの地名)
とりあー

トリール

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