スイスの地質学者。チューリヒに生まれ、チューリヒおよびベルリン大学で学ぶ。のちチューリヒ大学教授、地質調査所所長となった。スイス、とくにアルプスの地質の研究を行い、アルプスの地質構造解明に指導的役割を果たした。研究の結果、そこに大規模な横倒し褶曲(しゅうきょく)、おしかぶせ断層に伴う大規模なナップ構造があるのをみいだした。この成果は、世界の褶曲山脈の地質構造解明のモデルとなった。息子のアーノルドArnold Heim(1900―1951)などとともに著した『スイスの地質』(1916~1920)は地層分布、地質構造の正確な記述によって今日も重視されている。
[木村敏雄]
ドイツの詩人。大学で法学を修め司法官試補になったが、すぐ勤めを辞めて文学活動に専念。ヒラーを中心とした前衛的な作家集団「新クラブ」の有力メンバーとして旺盛(おうせい)な詩作活動に入り、劇作などにも意欲をみせていたが、冬のある日スケートに出かけて溺死(できし)、短い生涯を閉じた。最初は印象派および新浪漫(ろうまん)派の影響下にあったが、やがて「目覚めた幻想力」、異常な感覚力により都会の醜悪、病苦、孤独、死の恐怖をとらえ、暗澹(あんたん)たる終末風景あるいは黙示録的光景を幻視的に描き出すという独自の詩風を築いた。暗喩(あんゆ)言語、擬人法、神話的形象を駆使した手法は、彼を初期表現主義における独特の存在にしている。彼にとって詩作は、歴史的過程における現実のあらゆる局面、すべての具体的行動を全面的に否定し続ける行為であった。おもな作品は、詩集『永劫(えいごう)の日』(1911)、戯曲『アトランタ』(1911)、遺稿詩集『生の影』(1912)など。現在は全集も出ている。
[内藤道雄]
スイスの地質学者。チューリヒの銀行家の子として生まれ,父から山の景観への関心を,母から絵画の才能を受け継ぐ。これが彼の後の仕事を支えた。チューリヒ大学の卒業論文でアルプスの氷河を研究,卒業後ベルリンに学び,北欧を旅行。1873年からチューリヒ工科大学,続いで75年からチューリヒ大学教授としてアルプスの地質研究に努めた。78年には《造山の機構》を発表,アルプス山脈の押しかぶせ構造,二重の横臥褶曲などを詳細かつ美しい図で記載し,その成因を地球の熱的収縮説で説明,その後の地質学界に大きな影響を与えた。第1次大戦後,大著《スイスの地質》を息子アーノルドArnold H.(1882-1965)や弟子などの協力で出版(1916-22),世界の褶曲山脈の典型として広く読まれた。1895年から1905年のシンプロン・トンネルの掘削のときには,地質構造や地下温度について予測した。1894-1926年,スイス地質委員会(地質調査所)の長としてスイス全土の地質図を完成させた。
執筆者:清水 大吉郎
ドイツの表現主義の詩人。シュレジエン(現,ポーランド領シロンスク)のヒルシュベルクに生まれ,大学では法律を学んだが,在学中にベルリンの学生同人のつくる〈新クラブ〉に加わり,挑発的な抒情詩の作風によって一躍新進詩人としての地位を獲得した。形式の上では,ゲオルゲ風の古さを脱していないが,ニーチェ,ランボーといった先行の近代批判精神の影響を受け,現実の生の背後にひそむ暗黒や恐怖の予感を,動的で醜怪な幻想に託して歌い,都市,貧困,病気,戦争,死などのテーマに近代的表現の可能性を開き,後続の表現主義詩人らの先駆者となった。ベルリン郊外の湖で溺死,夭逝を惜しまれた。詩集《永遠の日》(1911),《生の影》(1912)のほか,短編小説集《盗人》(1911)と数編の戯曲がある。
執筆者:瀧田 夏樹
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…他方,〈新バイエルン〉地方を主要な地盤とする自由派は,帝国宰相ビスマルクと結ぶバイエルン官僚政府の議会での支柱を形成した。 90年代にはいると,修正主義的なフォルマルを指導者とするバイエルン社会民主党の発展,中央党から自立してバイエルン農民同盟を結成した農民たちの下からの運動の展開,そしてこれと対抗しつつハイムGeorg Heim(1865‐1938)の指導下に躍進を遂げたキリスト教農民協会を中心とする中央党左派の台頭があり,第1次大戦の前夜には,中央党や自由派のなかの保守勢力の総結集を背景に初の中央党首班(ヘルトリング)内閣が成立する。ハイムをも抑えて形成されたこの体制に対して,またプロイセンの軍部・重化学工業界主導下の大戦遂行と戦時経済に対して,バイエルンの労働者や農民の不満はしだいに高まった。…
…表現は熱狂的・陶酔的になり,連帯への呼びかけの形をとることもあり,また幻想・幻覚的な場面も多く用いられた。 表現主義戯曲の先駆的な役割を果たしたのは,《夢の劇》(1902)を書いたストリンドベリ,誇張した様式で性道徳を痛撃したF.ウェーデキント,硬直した人間を戯画化したC.シュテルンハイムなどであり,表現主義の画家O.ココシュカは,1907年に原型的な人間の関係を示す抽象劇を試みている。またG.カイザーは《カレーの市民》(1914)で新しい人間の誕生を予告した。…
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