ヒューストン(読み)ひゅーすとん(その他表記)John Huston

デジタル大辞泉 「ヒューストン」の意味・読み・例文・類語

ヒューストン(Houston)

米国、テキサス州の商工業都市。メキシコ湾と通じる水路をもつ。周囲に油田があり、石油化学工業が盛ん。また農産物の集散地。NASAナサジョンソン宇宙センターがある。人口、行政区224万(2008)。

ヒューストン(John Huston)

[1906~1987]米国の映画監督・脚本家・俳優。自ら脚本を手がけた「マルタの鷹」で監督デビューを果たし、「黄金」でアカデミー賞の監督賞・脚本賞を受賞。他の監督作に「アスファルトジャングル」「アフリカの女王」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ヒューストン」の意味・読み・例文・類語

ヒューストン

  1. ( Houston ) アメリカ合衆国テキサス州の商工業都市。二〇世紀初頭、テキサス油田が発見されてから急速に発展。石油精製・石油化学工業が盛んで、石油・綿花などの積み出し港でもある。郊外にアメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙センターがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒューストン」の意味・わかりやすい解説

ヒューストン(John Huston)
ひゅーすとん
John Huston
(1906―1987)

アメリカの映画監督。ミズーリ州ネバダ生まれ。父は俳優のウォルター・ヒューストン(1884―1950)。ボクサー、騎兵隊大尉、俳優、記者などを経て、1938年脚本家としてハリウッドに落ち着く。1941年、ハードボイルド映画の傑作『マルタの鷹(たか)』で監督デビューを飾る。金の採掘をめぐる3人の男の争いを描いた『黄金』(1948)ではアカデミー監督賞・脚本賞を受賞、これには父も出演してアカデミー助演賞を得た。以後『キー・ラーゴ』(1948)、『アスファルト・ジャングル』(1950)、『アフリカの女王』(1951)、『白鯨』(1956)、『荒馬と女』(1961)、『天地創造』(1966)、『ロイ・ビーン』(1972)、『勝利への脱出』(1981)、『アニー』(1982)、遺作『ザ・デッド』(1987)と幅広く活動を続けた。父譲りの俳優としても才能を示し、自作のほかにも出演作品は多い。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧

マルタの鷹 The Maltese Falcon(1941)
追憶の女 In This Our Life(1942)
パナマの死角 Across the Pacific(1942)
黄金 The Treasure of the Sierra Madre(1948)
キー・ラーゴ Key Largo(1948)
ストレンジャーズ6 We Were Strangers(1949)
アスファルト・ジャングル The Asphalt Jungle(1950)
勇者の赤いバッヂ The Red Badge of Courage(1951)
アフリカの女王 The African Queen(1951)
赤い風車 Moulin Rouge(1952)
悪魔をやっつけろ Beat the Devil(1953)
白鯨 Moby Dick(1956)
白い砂 Heaven Knows, Mr. Allison(1957)
黒船 The Barbarian and the Geisha(1958)
自由の大地 The Roots of Heaven(1958)
許されざる者 The Unforgiven(1960)
荒馬と女 The Misfits(1961)
フロイド 隠された欲望 Freud(1962)
秘密殺人計画書 The List of Adrian Messenger(1963)
イグアナの夜 The Night of the Iguana(1964)
天地創造 The Bible : In the Beginning...(1966)
007 カジノ・ロワイヤル Casino Royale(1967)
禁じられた情事の森 Reflections in a Golden Eye(1967)
華麗なる悪 Sinful Davey(1969)
愛と死の果てるまで A Walk with Love and Death(1969)
クレムリンレター The Kremlin Letter(1970)
ゴングなき戦い Fat City(1972)
ロイ・ビーン The Life and Times of Judge Roy Bean(1972)
マッキントッシュの男 The MacKintosh Man(1973)
王になろうとした男 The Man Who Would Be King(1975)
勝利への脱出 Escape to Victory(1981)
アニー Annie(1982)
火山のもとで Under the Volcano(1984)
女と男の名誉 Prizzi's Honor(1985)
ザ・デッド 「ダブリン市民」より The Dead(1987)
ミスター・ノース 風をはこんだ男 Mr. North(1988)


ヒューストン(アメリカ合衆国)
ひゅーすとん
Houston

アメリカ合衆国、テキサス州南東部、ハリス郡の郡都で、商工業都市。人口195万3631、大都市圏人口466万9571(2000)。テキサス州最大の都市である。メキシコ湾から約80キロメートル内陸に位置するが、ガルベストン湾を通りメキシコ湾とつながるヒューストン・シップ水路に面しており、ヒューストン港の取扱いトン数は全米3位である。年間約5500隻の船が入港し、世界の約250の港と結び付いている。ヒューストンの最大の産業は石油化学工業であり、市内には巨大な精油施設が並び、全米の石油化学の50%、合成ゴムの80%を生産する。この石油化学産業の基盤は、周囲に広がる大油田地帯である。また、天然ガスの産出量も多い。石油化学のほかに、機械製造、宇宙産業、電気器具、造船、製紙などの工業が発達している。周辺は農業地帯でもあり、ヒューストンはその農産物の集散地として、食肉加工、綿花工場などがある。

 1823年に現在ヒューストンの一部となっているハリスバーグに定住が開始され、36年にヒューストンが建設された。ヒューストンという地名は、テキサスがメキシコと独立戦争を戦ったときのテキサスの将軍S・ヒューストンにちなむ。ヒューストンは1837~39年にテキサスの首都であった。1850年代にテキサス地方の鉄道網の中心となり、19世紀後半は綿花の集散地として発展したが、1901年に周辺地域で油田が発見されてから急速に成長した。1914年にはメキシコ湾とヒューストン港を結ぶ水路が改修され、その後、沿岸の石油の開発によっていっそう発展した。油田地帯の天然ガス、硫黄(いおう)、岩塩、石灰石も石油化学工業発展の基礎となった。また、1961年にヒューストンの郊外にNASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)の有人宇宙船センター(のちにジョンソン宇宙センターと改称)が設置され、周辺地域に電子工学をはじめとする宇宙産業が発達した。市内には主要石油会社の本社が集中する。教育関係では、ライス大学、テキサス・サザン大学、ヒューストン大学などがある。市の南部にあるテキサス・メディカル・センターは、約90ヘクタールの面積に23の病院と研究所、二つの医科系大学があり、2万6000人の人々が働き、年間150万人を治療する。またスポーツ施設では、開閉式のドーム球場ミニッツメイドパークが有名である。

[菅野峰明]

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改訂新版 世界大百科事典 「ヒューストン」の意味・わかりやすい解説

ヒューストン
John Huston
生没年:1906-87

アメリカの映画監督。戦後の〈赤狩り〉の世代(ジョルジュ・サドゥールは〈ハリウッドの失われた世代〉と呼んだ)の監督の一人。〈赤狩り〉への抵抗とみなされた《勇者の赤いバッヂ》(1951)がプロデューサーの手でずたずたにカットされたあと,画家ロートレックの伝記映画(《赤い風車》1952),西部劇(《許されざる者》1960,《ロイビーン》1972),スペクタクル史劇(《天地創造》1965),スパイ映画(《クレムリン・レター》1970,《マッキントッシュの男》1972),ミュージカル(《アニー》1982)等々,何でもこなす職人監督としてそのディレッタンティズムをつらぬく。そのため,ハリウッドのもっとも商業的な監督でありながら,ハリウッドの〈烙印(らくいん)のない牛〉(マーベリック)とみなされ,マリリン・モンローとクラーク・ゲーブルの遺作になった《荒馬と女》(1961)やボクシングを描いた《ファット・シティ》(1971)がその代表作に数えられることが多い。監督第1作《マルタの鷹》(1941)で戦後のハリウッドの〈フィルム・ノワール〉あるいは〈ハードボイルド映画〉の流れをつくり,主演のハンフリー・ボガートとは続いて《黄金》(1947),《キー・ラーゴ》(1948),《アフリカの女王》(1951),《悪魔をやっつけろ》(1953)で組み,その魅力をひき出す。さらにボガートのために《白鯨》でエーハブ船長の役を,《王になろうとした男》でクラーク・ゲーブルとの〈夢の競演〉を考えたが,ボガートの死で実現せず,《白鯨》は1956年にグレゴリー・ペックで,《王になろうとした男》は1976年にマイケル・ケインとショーン・コネリーで映画化しているが,このボガートで撮りそこなった2作も含めた〈ボガート映画〉にもっともヒューストン的なテーマ(人間,とくに男の野望とその挫折)が色濃く出ている。
執筆者:


ヒューストン
Houston

アメリカ合衆国テキサス州東部,メキシコ湾に比較的近い位置にある同州最大の都市。人口202万(2005,全米4位),1826年に町が建設されたが,36年メキシコとの戦争で破壊された。同年,新たな町の建設にあたって,テキサス共和国のメキシコからの独立のために戦った英雄S.ヒューストンを記念して命名された。当時の戦跡サン・ハシントSan Jacintoが東郊にある。19世紀の後半には,綿花など農牧産品の集散地として徐々に発達したが,1901年に付近で石油が発見されてから市の発展が急速に進んだ。急速な発展に即応するため,浅い湖であるガルベストン湾奥のヒューストン港から外海であるメキシコ湾に至る大型船航行可能な水路が14年に一応完成した。その結果,メキシコ湾岸の古くからのガルベストン湾に代わって,ヒューストン港がテキサス最大の港へと変化し,現在ではニューヨーク,ニューオーリンズに次ぐ全米3位の船舶取扱量となった。石油関連産業の全米最大の中心地であるとともに,天然ガス,硫黄などの鉱産物や綿花,トウモロコシ,食肉などの農牧産品の大集散地としても重要である。サンベルトの中核都市としての繁栄を誇るように都心には超高層ビルが林立し,現代的な都市景観を示している。産業面だけでなく,宇宙開発計画の先端をいくアメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙センターが郊外にあり,研究者とともに多くの観光客を集めている。また,ライス大学,ヒューストン大学などがあるほか,研究機関も多い。豊かな財政と高い所得に支えられて,観光レクリエーション,スポーツ施設もよく整備されている。とくに,プラスチックのドームでおおわれた全天候型の野球場アストロドーム・スタジアムは有名である。ヒューストン・シンフォニー・オーケストラ,ジョーンズ芸術ホールなど文化環境の充実が図られている。
執筆者:


ヒューストン
Samuel Houston
生没年:1793-1863

アメリカの政治家。バージニア州生れ。1823-27年合衆国下院議員,27-29年テネシー州知事。35年以降,メキシコからの独立をめざすアメリカ系テキサス軍を指揮し,36年4月メキシコの独裁者サンタ・アナ将軍を捕虜にし,テキサスの独立を承認させた。同年,最初のテキサス共和国大統領に当選し,38年には落選したものの41年には再選された。45年テキサスが合衆国に合併されるや同州選出の上院議員として13年間働き,59年同州知事に当選した。南北戦争に際しては連邦側に立ち,南部の分離権を承認せず,61年に辞職し,隠退生活を送った。テキサス州ヒューストンの市名は彼にちなむ。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ヒューストン」の意味・わかりやすい解説

ヒューストン

米国の映画監督。ミズーリ州生れ。父は俳優のウォルター・ヒューストン。H.ボガート主演の監督第1作《マルタの鷹》(1941年)はハードボイルド映画の規範となった。その後も《黄金》(1947年),《キー・ラーゴ》(1948年),《アフリカの女王》(1952年)などでボガートとコンビを組み,男の野望と冒険と挫折を描いた。赤狩りへの抵抗と見なされた《勇者の赤いバッジ》(1951年)でのトラブルは有名。他の作品にH.メルビル原作の《白鯨》(1956年),M.モンロー,C.ゲーブル主演の《荒馬と女》(1961年),《007/カジノロワイヤル》(1967年),ボクシング映画《ファット・シティ》(1971年),《勝利への脱出》(1980年)などがある。遺作は,J.ジョイスの短編にもとづく《ザ・デッド》(1987年)。
→関連項目ギッシュバコール

ヒューストン

米国,テキサス州南東部の工業都市。メキシコ湾に臨むガルベストン湾とヒューストン運河で結ばれる港湾都市。油田地帯の中心で石油精製のほか合成ゴム,採油機械,航空機,造船などの工業が行われる。綿花,小麦,米,牛が取引され,それらの積出港でもある。1836年建設のテキサス共和国の主都だった。郊外にNASA(ナサ)の宇宙飛行管制センターがある。また,屋内野球場アストロドーム,国際空港がある。209万9451人(2010)。
→関連項目ガルベストン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒューストン」の意味・わかりやすい解説

ヒューストン
Houston

アメリカ合衆国,テキサス州南東部の都市。運河によって外洋に通じる内陸港。メキシコ湾岸平野に位置し,アメリカの宇宙開発事業の中心地。 1826年入植が始り,37~39年にはテキサス共和国の首都となった。南北戦争のとき,一時北軍に占拠された。 91年に 12本の鉄道が集中,鉄道交通の中心として発達。港も整備されて同州第一となった。 1901年周辺で石油が発見され,20年代に飛躍的に発展。 40~60年ヒューストン船舶運河の開削に伴い,80年代には合衆国三大港の一つとなった。現在,石油と天然ガスの関連産業が集積し,大規模な製油地帯を形成。また宇宙開発事業は 60年代に興り,アメリカ航空宇宙局 NASAの宇宙飛行管制センターがある。市の周辺は米,綿花,ウシの大産地である。ライス大学 (1912創立) ,ヒューストン大学 (27創立) など多くの大学があり,海洋学協会,テキサス医学センター,自然科学博物館,文化センターなどが所在し,教育と文化の中心でもある。国際空港があり,フットボールと野球が行われるアストロドーム,テーマパークであるアストロワールドは有名。人口 209万9451(2010)。

ヒューストン
Houston, Sam (Samuel)

[生]1793.3.2. バージニア,レキシントン
[没]1863.7.26. テキサス,ハンツビル
アメリカの軍人,政治家。テキサス共和国の大統領 (在任 1836~38,41~44) 。 1813年軍隊に入り,A.ジャクソンの指揮下でクリーク戦争に従軍。 18年に退役。法律を学びテネシーで弁護士を開業。のちテネシー州議会議員 (1823~27) ,州知事 (27~29) となった。 32年インディアンとの交易問題からテキサスにおもむき,テキサスとメキシコとの争いに関係,35年テキサス独立戦争に際しテキサス軍の司令官となり,メキシコ軍を破った。次いでテキサス共和国大統領に就任。 45年テキサスがアメリカに併合されたのちは,連邦上院議員 (46~59) ,テキサス州知事 (59~61) をつとめた。南北戦争に際しては,連邦主義者として,南部連合に対する忠誠宣誓を拒否し,職を辞した。

ヒューストン
Huston, John

[生]1906.8.5. ミズーリ,ネバダ
[没]1987.8.28. ロードアイランド,ニューポート
アメリカの映画監督,脚本家,俳優。父はウォルター・ヒューストン。 1941年『マルタの鷹』 Maltese Falconで監督としてデビュー。以後,ハードボイルド・タッチの作風で成功した。主要作品『黄金』 The Treasure of Sierra Madre (1948,アカデミー脚本賞,監督賞) ,『アフリカの女王』 The African Queen (52) ,『白鯨』 Moby Dick (56) ,『荒馬と女』 The Misfits (61) 。

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世界大百科事典(旧版)内のヒューストンの言及

【ヒューストン】より

…1826年に町が建設されたが,36年メキシコとの戦争で破壊された。同年,新たな町の建設にあたって,テキサス共和国のメキシコからの独立のために戦った英雄S.ヒューストンを記念して命名された。当時の戦跡サン・ハシントSan Jacintoが東郊にある。…

※「ヒューストン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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