改訂新版 世界大百科事典 「ビセンテ」の意味・わかりやすい解説
ビセンテ
Gil Vicente
生没年:1465?-1535?
ポルトガルの劇作家。〈ポルトガル演劇の父〉とも呼ばれている。しかしその生涯はほとんど不明。16世紀ポルトガルの工芸細工品の最高傑作と称されている聖遺物箱を作ったジル・ビセンテと同一人物であるか否か昔から論じられているが,まだ解決をみていない。彼の作品からうかがえる高い教養は,彼が高等教育を受けたことを思わせるが,その証拠はなく,大学教育を受けていないというのが一般的な見解である。彼は個々の作品をそれぞれ独立して刊行しており(一部は手稿本),このため現在まで〈オリジナル〉の形で残っているものはほとんどない。死の直前に〈作品集〉の刊行を企てたが,その完成をみることなく没した。この企ては彼の息子ルイス・ビセンテが続けたが,〈完成度を高めるため〉手を加えているので(改悪の例のほうが多い),現存する〈作品集〉(1561-62)はジル・ビセンテの作品を忠実に伝えているとはいいがたい。
ジル・ビセンテは自分の作品を〈喜劇(コメディア)〉(いうまでもなく当時の意味での〈コメディア〉),〈笑劇(ファルス)〉,〈教訓劇〉に分けているが,彼の作品の内容に即していえば〈笑劇〉〈教訓劇〉〈寓意劇〉に分けたほうがよいであろう。〈笑劇〉は当時のポルトガル社会を活写した風俗劇が中心で,カモンイスの《ウズ・ルジアダス》のうたいあげている世界の対極に立つものである。〈教訓劇〉は笑劇的な形をとりながら〈健全なる〉教訓を説いたもので,〈寓意劇〉は宗教劇的なものと世俗的なものに分かれる。1536年にポルトガルに制定された異端審問制度は彼の作品を見のがさず,51年の禁書目録には彼の作品が七つあげられていることからもわかるように,当時の聖職者階級に対する鋭い批判が彼の作品には込められている。1531年の地震を神の怒りと罰であると説いた聖職者らに対して痛烈な批判を加えたことでも有名。こうしたことのため彼は〈宗教改革〉の先駆者といわれることもある。ビセンテ劇は宮廷や教会で比較的少数の宮廷人を前にして演じられたが,彼の後継者についてはポルトガルではその亜流しか現れなかったのに対して,スペイン演劇に与えた影響は実に大きく(彼自身にもスペイン語による作品がある),スペイン演劇史においても無視することができない人物である。作品は40以上あるが,《船》の三部作(1502),《インド》(1509),《貧乏従士》(1515),《イネス・ペレイラ》(1523),《アマディス・デ・ガウラ》(1524),《冬の勝利》(1529)等が代表作。
執筆者:池上 岑夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報