フランス共和国憲法(読み)ふらんすきょうわこくけんぽう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランス共和国憲法」の意味・わかりやすい解説

フランス共和国憲法
ふらんすきょうわこくけんぽう

1789年7月フランス革命が勃発(ぼっぱつ)し、同年8月26日、革命のさなか、国民議会は、その後世界に大きな影響を与えた人権宣言を可決した。フランスにおける、最初の成文憲法である1791年9月3日憲法は、国民主権を基礎原理とし、立法権は国民議会が行使し、執行権は国王が大臣の補佐の下に行使することを定めた。

 1792年8月の反乱により、国民公会は、同年9月22日王制の廃止を定め、この日をもって共和第1年とした。翌1793年6月24日、国民公会はいわゆるジャコバン派憲法を可決したが、平和回復に至るまで憲法の施行は延期され、以後、ジャコバン派、とくにその領袖(りょうしゅう)ロベスピエール独裁が続いた。共和2年熱月(共和暦テルミドール)の反動により、ロベスピエール以下恐怖政治の指導者は処刑され、国民公会は、共和3年実月5日(1795年8月22日)憲法を制定した。この憲法によって初めて両院制が採択された。

 国情の悪化を理由にナポレオンは共和8年霧月(ブリュメール)18日(1799年11月9日)にクーデターを行ったのち、同年霜月22日(1799年12月30日)憲法を制定し、自ら任期10年の第一統領になった。共和10年熱月16日(1802年8月4日)元老院宣令によりナポレオンは終身の統領となり、共和12年花月28日(1804年5月18日)元老院組織宣令により皇帝となり、以後ナポレオンの独裁政治が続いた。1814年、同盟軍のパリ入城とともにナポレオンは退位し、1814年6月4日憲章が制定され、ブルボン王家のルイ18世、ついでシャルル10世が王位につき、この間、議会政治が確立されていく。1830年、シャルル10世が議会と衝突したことに端を発し七月革命が勃発し、1830年8月14日憲章が制定され、オルレアン王家のルイ・フィリップが王位についた。1848年2月、パリにおけるデモ隊と政府軍の衝突を契機として二月革命が起こり、七月王政は瓦解(がかい)した。

 1848年11月4日憲法により第二共和政が成立した。この憲法の下で初代の大統領に就任したルイ・ナポレオンは1851年末のクーデターにより第二共和政を打倒し、1852年1月14日憲法および同年11月7日元老院令により皇帝となり、第二帝政が樹立された。

 1870年9月、ルイ・ナポレオンのセダンの敗戦直後、パリに革命が起こり、臨時政府が樹立された。国民議会は憲法制定に着手した。当時、王政復古の機運が濃厚であったが、ブルボン家の嫡流シャルル10世の孫シャンボール伯とオルレアン家のルイ・フィリップの孫パリ伯が王位を望み、王政復古は難航した。結局、任期7年の大統領につき定める「公権力の組織に関する1875年2月25日法」「元老院の組織に関する1875年2月24日法」「公権力の関係に関する1875年7月16日法」が制定され、この3件の法律が1875年憲法、すなわち第三共和政憲法といわれる。1877年5月16日事件とともに、王党の勢力は急速に衰え、共和制の基礎が確立され、第三共和政憲法は、第二次世界大戦におけるドイツ軍のフランス占領、ペタンによるビシー政権成立のときまで、施行された。

 第二次世界大戦後、1946年10月27日憲法、すなわち第四共和政憲法が制定された。この憲法において、大統領は名目だけの権限をもつにすぎなかったが、これに対して国民議会が強大な権限を与えられていた。内閣は第二次世界大戦後の難局を乗り切るのに無力であった。1958年、アルジェリア問題は重大な局面に達し、同年5月、アルジェにおけるクーデターの前に政府はなすすべもなく、ドゴール将軍が政界に復帰し、ドゴール政府の下で、1958年10月4日憲法、すなわち第五共和国憲法が制定された。

 この憲法の下において、任期7年(2002年から5年)の大統領は国民により選出される(1962年の憲法改正までは、大統領は国会議員、県会議員、市町村議会の代表者により選出された)。大統領は首相を任免し、閣議を統裁する。大統領が統治し、首相は大統領の政策を施行し、これにつき議会に対し責任を負う。国会は国民議会(下院)と元老院(上院)により構成される。常会の期間は著しく短縮され、議員担当の法律案には種々の制約が付される。憲法は法律の所管事項を極端に限定し、政府が自由に政策を実施しうるように配慮された。信任案と不信任案の表決手続により、議会が政府の責任を追及することが困難であるのに対し、大統領は総選挙後10年を経過すれば自由に国民議会を解散しうる。大統領は重要問題を国民投票に付することができる。国家の危機に際しては、大統領は非常権限(非常大権)により必要な措置を講ずることができる。要するに、第五共和国憲法は、政治機構については、執行府優位型として位置づけることができる。国会の地位、権限は著しく弱められているのに対し、大統領の地位、権限が強められている。国会と政府の関係については、政府が自由に活動を行いうるよう、国会の権限は縮小され、国会の役割は制限されている。さらに国会の立法を抑制することを目的として憲法評議会が設置されている。

 人権保障については、前文で1789年の人権宣言と国民主権原理を宣言している。しかし、違憲立法審査権をもつ憲法評議会に対する審査請求権は、大統領、首相、両院議長に限定され、一般市民はそれをもたないから、人権を侵害する法律の条項についての審査は大幅に制限を受ける。さらに大統領に非常大権の行使を認めている結果、それによる人権の制限も可能であるなど、人権の保障は十分とはいえない。 現在のフランス共和国憲法(第五共和国憲法)は、1962年の大統領の直接選挙制の採用、1995年の国民投票の範囲の拡大(社会・経済問題まで拡大)など、制定以来12回の憲法改正が行われている。また、2000年の国民投票の結果、大統領の任期は、7年から5年に短縮された(2002年から)。

[野村敬造]

『樋口陽一著『現代民主主義の憲法思想――フランス憲法および憲法学を素材として』(1977・創文社)』『野村敬造著『憲法訴訟と裁判の拒絶――多元的裁判機構の下のフランス憲法訴訟の研究』(1987・成文堂)』『樋口陽一著『権力・個人・憲法学――フランス憲法研究』(1989・学陽書房)』『深瀬忠一・樋口陽一・吉田克己編『人権宣言と日本――フランス革命200年記念』(1990・勁草書房)』『阿部照哉編『比較憲法入門』(1994・有斐閣)』『モリス・デュヴェルジェ著、時本義昭訳『フランス憲法史』(1995・みすず書房)』『塙浩著『塙浩著作集 西洋法史研究14 フランス憲法関係史料選』(1998・信山社出版)』『L・ファヴォルー著、山元一訳『憲法裁判所』(1999・敬文堂)』『フランス憲法判例研究会編『フランスの憲法判例』(2002・信山社出版)』

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