スペイン出身の映画監督。2月22日アラゴンのカランダに生まれる。敬虔(けいけん)なカトリック教徒として教育を受けたが、17歳でマドリード大学に進学してからガルシア・ロルカ、S・ダリらと知り合い、シュルレアリスムの洗礼を受けた。1923年パリに出てA・ブルトンのグループと親交を結び、1928年にはダリの協力のもとに前衛映画『アンダルシアの犬』を発表、続く『黄金時代』(1930)とともに、人間の心に潜む不合理や衝動や欲望、宗教や社会通念を逆なでする批判精神のあふれ返る作品としてセンセーションを巻き起こした。渡米を挟んで、スペイン僻地(へきち)のドキュメンタリー『糧(かて)なき土地』(1933)を発表後、ふたたびアメリカへ行くなどして、結局1947年からメキシコの商業映画界で仕事を始め、スラムの少年たちを描いた『忘れられた人々』(1950)で注目を浴びた。しかし、ブニュエルが国際的評価を受けるのは、メキシコでの『ナサリン』(1958)、スペインでの『ビリディアナ』(1961)がカンヌ国際映画祭で受賞し評判をよんでからである。メキシコで『皆殺しの天使』(1962)、以後フランスで『小間使の日記』(1964)、『昼顔』(1967)、『哀(かな)しみのトリスターナ』(1970)、『ブルジョアジーの秘(ひそ)かな愉(たの)しみ』(1972)、『自由の幻想』(1974)、『欲望のあいまいな対象』(1977)などを次々に発表。これらの劇映画もアバンギャルド時代そのままに悪夢と不合理な欲望に満ち、悪意とブラック・ユーモアに彩られた反逆的な内容で、現代のブルジョアの心に潜む説明のつかない不安を形象化した。メキシコ時代の劇映画が注目され始めたのは1960年代からだが、体系的な評価はまだ途上にある。1983年7月29日、メキシコシティで死去した。
[出口丈人]
アンダルシアの犬[サルバドール・ダリとの共同監督] Un chien andalou(1928)
黄金時代 L'âge d'or(1930)
糧なき土地 Las Hurdes(1933)
グラン・カジノ Gran Casino(1946)
のんき大将 El gran calavera(1949)
スサーナ Susana(1950)
忘れられた人々 Los olvidados(1950)
賭博師の娘 La hija del engaño(1951)
昇天峠 Subida al cielo(1951)
愛なき女 Una mujer sin amor(1951)
乱暴者 El Bruto(1952)
エル El(1952)
幻影は市電に乗って旅をする La Ilusión viaja en tranvía(1953)
嵐が丘 Abismos de pasión(1953)
ロビンソン漂流記 Robinson Crusoe(1954)
河と死 El río y la muerte(1954)
アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生 Ensayo de un crimen(1955)
それを暁と呼ぶ Cela s'appelle l'aurore(1956)
この庭に死す La mort en ce jardin(1956)
ナサリン Nazarín(1958)
熱狂はエル・パオに達す La fièvre monte à El Pao(1959)
若い娘 The Young One(1960)
ビリディアナ Viridiana(1961)
皆殺しの天使 El ángel exterminador(1962)
小間使の日記 Le journal d'une femme de chambre(1964)
砂漠のシモン Simón del desierto(1965)
昼顔 Belle de jour(1967)
銀河 La voie lactée(1968)
哀しみのトリスターナ Tristana(1970)
ブルジョワジーの秘かな愉しみLe charme discret de la bourgeoisie(1972)
自由の幻想 Le fantôme de la liberté(1974)
欲望のあいまいな対象 Cet obscur objet du désir(1977)
『L・ブニュエル著、矢島翠訳『映画――わが自由の幻想』(1984・早川書房)』
スペイン生れの映画監督。〈愛と怒りの人間喜劇〉を描きつづけたアナーキーなシュルレアリストとして知られる。カランダの裕福な地主の家に生まれ,イエズス会の学校を経てマドリード大学に学び,詩人で劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカ,画家のサルバドール・ダリらと親交を結び,シュルレアリスム運動に心をひかれる。1925年にパリに移り住んでから,ジャン・エプスタン監督《アッシャー家の末裔(まつえい)》(1928)の助監督をつとめたのち,ダリとの共同脚本によるシュルレアリスムの映画的マニフェストともいうべき短編《アンダルシアの犬》(1928)をつくり,その特異なスタイルによって注目を浴びた。それはダリとともにお互いにみた〈もっとも狂気じみた〉夢を脈絡なく語り合い,〈徹底的にシュルレアリスムのなかに入って〉シナリオを書き上げた〈自動記述〉的な映画であった。女の目にかみそりをあてる,一片の雲が月を横切る,そしてかみそりの刃が眼球を横に切るという有名なシーンはブニュエルの夢,路上にころがっている切り落とされた人間の手首に無数のアリが群らがっているというシーンはダリの夢で,〈この映画は2人の夢の遭遇から生まれた〉とブニュエルは語っている。女性の腋毛(わきげ)が急になくなったかと思うと男の口のまわりにまとわりついたり,ピアノにロバの死骸が縛りつけられ,そのあとに2人の僧侶がつらなるといった〈超現実なイメージ〉の連続であるこの短編映画は,〈シュルレアリストの知的なエッセー〉と解釈されて大きな反響をよんだが,ブニュエル自身はこの作品が当時のパリのサロンでスノビズムとしてもてはやされたことに愕然(がくぜん)とし,〈じつは絶望であり殺人への情熱的な呼びかけにほかならぬものを,美しいとか詩的だとか思いこんだ度しがたい低能なスノッブども〉と毒づいて反発し,つづく《黄金時代》(1930)では,〈もはやスノッブなブルジョワどもに同化の機会を与えない〉ものをつくったという。
スペインにもどってウルデス地方の飢えと貧困を描いた短編ドキュメンタリー《糧なき土地》(1932)をつくったのちフランコ政権に追放され,33年から35年まで主としてパリでアメリカ映画のスペイン語版製作に従事し,またニュース映画を編集した《マドリッド36》(1937)などに協力する。38年,スペイン内戦の記録映画の技術顧問としてハリウッドに渡るが,内戦がフランコ側の勝利に終わって失職,ニューヨークの近代美術館でニュース映画を再編集した反ナチ映画をつくったり,アメリカ陸軍の宣伝映画をつくったり,44年から46年まではワーナー映画のスペイン語版製作にたずさわったりする。47年にメキシコへ渡って監督の仕事を始め,《忘れられた人々》(1950)でカンヌ映画祭の監督賞を受賞,世界にその存在を知らせた。その後もメキシコ,スペイン,フランスで《ロビンソン漂流記》(1952),《ナサリン》(1958)から《ビリディアナ》(1961),《皆殺しの天使》(1962),《昼顔》(1967)を経て《ブルジョワジーの秘かな愉しみ》(1972),《自由の幻想》(1974)にいたるまで,ほぼ年1作の割合で異色の話題作をつくりつづけ,77歳のときピエール・ルイス原作の《女とあやつり人形》を女優〈2人1役〉で映画化した《欲望のあいまいな対象》(1977)が遺作となった。自伝《映画,わが自由の幻想》(1982)がある。
執筆者:柏倉 昌美+広岡 勉
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…1928年製作。ともにスペイン生れのL.ブニュエルとS.ダリの合作で,ガルシア・ロルカらとともにマドリードの若い詩人・芸術家のグループに属していた2人が,お互いにみた〈もっとも狂気じみた〉夢の数々を脈絡なく語り合って,それをもとに1週間足らずでシナリオを書き上げ,〈徹底的にシュルレアリスムの中に入って〉(ブニュエル)作った〈自動記述〉的な映画。2巻(サイレント・スピードで24分,トーキー・スピードによるサウンド版17分)。…
…1930年製作のフランス映画。《アンダルシアの犬》(1929)とともにダリとブニュエルが共同でつくった画期的なアバンギャルド映画とみなされている作品で,クレジットタイトルにもダリの名はあるものの,実は〈ダリぬきのブニュエル映画〉である。フランスのもっとも初期のトーキーの1本。…
…スペインは世界最大の映画監督の一人であるルイス・ブニュエルの母国として知られる。《糧なき土地》(1932)と《ビリディアナ》(1961)と《哀しみのトリスターナ》(1969)はスペイン映画史には欠かせない作品になっている。…
… フランスのドキュメンタリーは,20年代に純粋な視覚的表現を意図した芸術運動である〈アバンギャルド映画〉と密接なかかわりをもっているが,アルベルト・カバルカンティの《時の外何物もなし》(1926)やジャン・エプスタンの《地の果て》(1929)などがつくられた。 オランダではヨリス・イベンスの《雨》(1929),スペインではルイス・ブニュエルの《糧なき土地》(1930),ベルギーではアンリ・ストルクの《無名兵士の物語》(1930)といった,今日〈名作〉として知られるドキュメンタリーがつくられている。
[戦中のドキュメンタリー]
第2次大戦前後,各国がドキュメンタリーを政治的な宣伝や戦意昂揚のために利用したことはいうまでもない。…
…しかし,ソビエト映画のモンタージュ技術や社会的テーマの影響から脱して,世界的水準に達する〈真のメキシコ映画〉が生まれるのは40年代になってからであり,とくにエミリオ・フェルナンデスEmilio Fernandez(1904‐86)監督,ガブリエル・フィゲロアGabriel Figueroa(1907‐ )撮影による一連の〈芸術性の高いメロドラマ〉,すなわちドロレス・デル・リオ主演の《野性の花》(1943),《マリア・カンデラリア》(1944),《運命の女》(1949),アメリカの小説家ジョン・スタインベックの原作・脚本による《真珠》(1948)などが,カンヌ映画祭など各地の国際映画祭で受賞して注目された。50年代のメキシコ映画は,1947年からメキシコに住みついたルイス・ブニュエルによって代表される。名カメラマン,ガブリエル・フィゲロアと組んだ《忘れられた人々》(1950)から《エル》(1952),《ナサリン》(1958)をへて,《皆殺しの天使》(1962)等々に至るブニュエル監督の傑作群がメキシコでつくられた。…
※「ブニュエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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