メイア(読み)めいあ(その他表記)Golda Meir

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メイア」の意味・わかりやすい解説

メイア
めいあ
Golda Meir
(1898―1978)

イスラエルの女性政治家。ロシアのキエフ(現、ウクライナキーウ)に生まれ、1906年アメリカに移住。ミルウォーキー師範学校卒業後、1921年パレスチナに移住し、1924年までキブツで農業労働に従事ヒスタドルート(労働総同盟)やマパイ党で活躍し、1946年から1948年の独立までユダヤ機関政治部長を務める。独立後1948~1949年初代駐ソ大使。1949年マパイ党から国会議員に当選し、1949~1956年労相、1956~1966年外相。1965年マパイ党書記長。1968年三党統一による労働党の結成にあたっては重要な役割を果たし、新党の書記長に就任。エシュコル首相の死により1969年3月首相となり挙国一致内閣を形成するが、第四次中東戦争の責任をとって1974年4月辞任した。自伝『私の生涯』My Life : The Autobiography of Golda Meirがある。

[伊能武次]

『林弘子訳『ゴルダ・メイア回想録』(1980・評論社)』

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百科事典マイペディア 「メイア」の意味・わかりやすい解説

メイア

イスラエルの女性政治家,首相。旧称Goldie Myerson,旧姓Mabovich。ウクライナのキエフ生れ。1906年米国に移住,ウィスコンシン州ミルウォーキーで育った。師範学校を出て教師になるが,やがてシオニズム運動に身を投じ,1917年モリス・マイヤーソンと結婚,1921年パレスティナに移住しキブツに入った。ヒスタドルート(ユダヤ労働総同盟)の執行委員や政治部長などを歴任し,ユダヤ人のパレスティナへの移民を推進。1948年イスラエル国家樹立宣言の署名者の一人となった。1949年マパイ党(後のイスラエル労働党)から国会議員となり,労働相に就任,1956年−1966年外相を務めたが,任命後に名前をヘブライ語に変えている。1969年首相となり,中東和平に尽力したが,1973年の第4次中東戦争の責任をとって1974年4月辞任した。自伝《ゴルダ・メイア回想録》(1975年)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「メイア」の意味・わかりやすい解説

メイア
Golda Meir
生没年:1898-1978

イスラエルの女性政治家,首相。ロシアのキエフに生まれ,1906年アメリカに移住し,教員生活を送る。その後シオニズム運動(社会主義シオニスト運動)に身を投じ,21年パレスティナに移住し,キブツに入る。ヒスタドルート(ユダヤ労働総同盟)の要職を歴任し,46年ユダヤ機関政治局長となるなど,パレスティナへのユダヤ人移民を推進した。48年イスラエル国家樹立宣言の署名者の一人となる。初代駐ソ公使をへて,49年マパイ党(後の労働党)から国会議員となり,労働相に就任し,移民の受入れ対策を講ずる。56-66年外相。69年3月から首相をつとめるが,73年の第4次中東戦争の責任をとって74年4月辞任した。以後はイスラエル政界の長老としてとくにユダヤ基金募金運動に尽力した。著書に自伝《ゴルダ・メイア回想録》(1975)などがある。
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普及版 字通 「メイア」の読み・字形・画数・意味

【鳴】めいあ

く烏。

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