アウグスティヌス[カンタベリーの]【Augustinus】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内のアウグスティヌス[カンタベリーの]の言及
【イギリス】より
…初期の伝道はスコットランドのニニアン,アイルランドのパトリック,アイオナ修道院の創始者コルンバらによって推進されたが,アングル族,サクソン族の侵攻によって布教活動はしばしば中断した。教皇グレゴリウス1世によって派遣されたアウグスティヌスは,597年初代のカンタベリー大司教となり,イギリスの教会を西方教会の一員として再編する方向を定めた。以後宗教改革期まで,国民国家の台頭による王権と教皇権の対立にもかかわらず,イギリスの教会はカトリック教会の枝として存続した。…
【カンタベリー】より
…ローマ時代は〈川の町〉を意味するケルト系の名称ドゥロウェルヌムDurovernumとよばれたが,サクソン人はこれを〈ケント人の町〉カントワラブルフCantwaraburhと名付け,七王国時代の560年ころケント王国の首都とした。キリスト教布教のために教皇グレゴリウス1世が597年に派遣した修道士アウグスティヌスら一行は,王の許可を得てこの地にベネディクト派修道院を建立し,さらに司教に叙任されてのちクライストチャーチChristchurchとよばれる最初の司教座聖堂(大聖堂)を設立した。その後北方のデーン人にしばしば破壊されたが,ノルマン征服後大司教ランフランクやアンセルムによって再建された。…
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