精選版 日本国語大辞典 「アケメネス朝」の意味・読み・例文・類語
アケメネス‐ちょう ‥テウ【アケメネス朝】
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前550~前330
古代オリエントのほとんど全域を支配したペルシア人の王朝。始祖はアケメネス。キュロス2世が前550年メディアを滅ぼし,独立。前546年サルディスを占領しアナトリアを併合,前538年にはバビロンを占領した。カンビュセス2世は前525年エジプトを征服した。帝国の反乱を鎮定したダレイオス1世はベヒストゥーン碑文をのこし,帝国を約20の州に分けサトラップ(知事)を置き,さらに駅伝制を定めた。彼はスーサとペルセポリスの都を造営した。クセルクセス1世はペルシア戦争を行ったが,ギリシアの支配には成功しなかった。以後宮廷内の内訌のため勢力は衰え,アレクサンドロス大王にイッソス,ガウガメラ(アルベラ近郊)で敗れ,滅亡した。諸王はアフラ・マズダーを信仰した。
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…その歴史は,厳密にはバビロンによるメソポタミア南部の統一をもって始まるとみるべきであろうが,以下の記述では,サルゴンによるアッカド帝国の建設によりメソポタミア南部が初めて政治的に統合された時をもってその出発点とし,アレクサンドロス大王による征服までを扱う。なお,以下に掲げるアケメネス朝以前の諸王の治世年代はすべてA.レオ・オッペンハイム《古代メソポタミア》(改訂版,1977)に付されているJ.A.ブリンクマンの年代表に従う。
[アッカド帝国時代]
サルゴン(在位,前2334‐前2279。…
…前6世紀後半に古代オリエント世界の統一を完成し,その後およそ2世紀にわたって中央アジアからエジプトに至る広域支配を続けた帝国の称。アケメネス朝ペルシア(アケメネス朝)ともいう。
[歴史]
ペルシア人はメディア人とともに西イラン族に属し,前1000年ころイラン高原に到来した。…
※「アケメネス朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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