中央ギリシアのほぼ三角形の半島部を指す地域名。古代のポリス,アテナイは都市部のアテナイとそれを西を除く三方からとり囲む田園部のアッティカとから成っていた。アッティカの平野は穀物よりもオリーブ,ブドウ栽培に適し,特にオリーブ油はアテナイの主要輸出品であった。南部ラウリオン産出の銀はアテナイ繁栄の一因となった。また,アッティカの土壌の質は陶器製造に適し,ペンテリコン山およびヒュメットス山では良質の大理石が得られた。ミュケナイ時代のアッティカは複数(伝説によれば12の共同体)の地域に分かれ,それぞれ緩い連繫を保ちながら独立並存していたらしい。伝説ではアテナイのテセウス王がこれら共同体を統合(シュノイキスモス)し,アテナイを政治および祭祀の中心と定めたことになっているが,実際にはおそくとも前700年ころまでにアッティカの統一は完了していたらしい。その後,中心市アテナイへの集権化が進む一方,エレウシス,ブラウロン,マラトンなどの地方は,おもに伝統的宗教祭祀のうえで地方色あるいは独自性を保ち続けた。しかし,ペロポネソス戦争の際,ペリクレスの提案によりアッティカの住民はアテナイ市内に疎開することとなり,これは国土の一時的荒廃を招いたばかりでなく,住民の生活に大きな変化をもたらした。現在のアッティカは古代のそれに西のメガラを加えて1県をなしギリシアの全人口の1/4から1/3が首都アテネを含むこのアッティカに集中している。
執筆者:桜井 万里子
アッティカは前2千年紀末のドリス人の侵入を受けなかった地方で,アッティカの美術が,ドリス人の剛直で男性的性格の影響を受けながらも,常にイオニア風の優美・繊細な女性的性格を維持したのはそのためである。彫刻における〈アッティカ派〉という言葉づかいには,微妙にそのような中間的表現の意味が込められている。〈新アッティカ派〉とは前1世紀にギリシア彫刻史上で新古典主義を興した運動の担い手である。陶器では,前6世紀ころから陶画工たちがアッティカに集まり,黒絵式・赤絵式に始まり白地レキュトスの絵付けなどを製作し,アッティカの陶器は質・量ともにギリシア陶器を代表するものとなった。アッティカにはアテネ以外に重要な聖地遺跡が多数ある。東海岸北から,ネメシスとテミスの聖地ラムヌス,マラトン,アルテミスの聖地ブラウロン,半島先端にポセイドン神殿を戴くスーニオン岬,アテネの西海岸に軍港ピレウス,その北西にデメテルと秘儀の聖地エレウシスがある。中世の聖地としては,アテネからエレウシスへの途中にダフニ修道院,アテネの南東の郊外にケサリアニ修道院がある。
執筆者:福部 信敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ギリシア中部、南東に突出した同名の半島の先端にある県。アッティカAtticaは英語名。エーゲ海のペタリオンPetalion湾、テルマTherma湾に臨む。県都アテネ。面積3808平方キロメートル、人口376万4348(2001)。
アテネ大首都圏を中心とした人口稠密(ちゅうみつ)なギリシアの心臓部である。土地はやせているが、良質のワイン、オリーブ油、蜂蜜(はちみつ)を産する。大理石の産地ペンテリコンPentelikon山や、古代の繁栄が伝えられる銀鉱山ラウリオンLaurionをもつ。アテネ南西の海岸線やヒメトス山へ向かう丘陵地帯は保養地として知られ、ケサリアニ、ダフニのビザンティン教会、ブラフロン、スーニオン、エレフシス、マラトンなど古代の遺跡も多いため、広く海外からの観光客を集めている。
[真下とも子]
この地域は新石器時代から人が居住し、最近の有力説に従えば、紀元前2000年にはギリシア人がすでに侵入、定住した。彼らが発展させたミケーネ文明の崩壊後も、伝説によると、アッティカはドーリア人に征服されず、ギリシア人「生え抜き」の国として存続した。アテネを中心に政治的統一が完成したのは前8世紀と考えられている。その後、ポリス(都市国家)アテネの領域として、ソロン、クレイステネスらの諸改革を経て古代民主政が開花、前5世紀には、文化、政治、経済などあらゆる分野でギリシア世界の中心となった。のちマケドニアの支配などを受けたが、前146年にはローマの支配下に入った。古代末期ゲルマン人に侵入され、8世紀にはスラブ人の定住地となった。中世以後いっそう衰亡し、幾多の変遷を経て、15世紀にトルコの支配下に入った。19世紀初めの独立後、アッティカの中心アテネが現代ギリシアの首都になったのは1834年である。
[真下英信]
中部ギリシアの東部,エーゲ海につき出した半島部。アテネの国家領域。西と北は山地によってメガラとボイオティアに接する。面積は約2550km2,そのうち穀物耕作に適する土地は約600km2にすぎず,それもやせ地として知られた。半島の先端部にはラウリオンの銀山があり,アッティカを領域としたアテネの富強の一因となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…その都市としての起源は古代にさかのぼり,今日なお往時の遺跡を豊富に残している。古代においては,前8世紀以降,この町を中心に,中部ギリシアの南東端に突き出た半島状のアッティカ地方全体を領域として,都市国家すなわちポリスが形成され,前2世紀,ローマの支配に服するまで独立の国家としての存立を保った。古代史に関しては,したがってこの都市国家全体とその中心市とを,ともにアテナイ(アテネ)と呼ぶ。…
※「アッティカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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