日本大百科全書(ニッポニカ) 「アデノシン三リン酸」の意味・わかりやすい解説
アデノシン三リン酸
あでのしんさんりんさん
すべての生物に存在する化学物質でアデニン、リボース、3分子のリン酸により構成される。ATP(adenosine triphosphate)と略記する。
1929年にドイツのK・ローマンが、またアメリカでフィスケCyrus H. Fiske(1890―1978)とサバローYellapragda Subbarow(1895―1948)がそれぞれ独自に筋肉から単離することに成功した。とくに筋肉に多く存在するが、生物体内のほとんどあらゆる場所に存在して重要な働きをしている。リン酸基をいろいろな化合物に与えるのが一つの役割であるが、それよりも重要なのは、生物がいろいろな手段で獲得したエネルギーを蓄えておき、必要な場合には放出することにある。ATP分子の3個のリン酸基のうち、端の2個は高エネルギーリン酸結合をしており、ここに化学エネルギーの形でエネルギーが蓄えられている。そのATPが加水分解されてADP(アデノシン二リン酸)と1分子のリン酸へ、あるいはAMP(アデニル酸)と2分子のリン酸へ変化すると、蓄えられていたエネルギーが放出され、生物の行っている無数の仕事の原動力となる。このエネルギーは熱として発散することは少なく、多くの場合、次のような2通りの道筋によって高い効率で利用されている。
[笠井献一]
化学的エネルギーとして利用する場合
タンパク質、核酸、多糖類、補酵素、ホルモンなど、生きるために必要な物質を、簡単な物質から生合成するためには、エネルギーが必要である。生物はこのような場合、まず最初にATPを使って、材料になる物質をエネルギーの高い化合物にし、それ以後の反応がエネルギーなしですむようにすることが多い。この場合、ATPに蓄えられていたエネルギーは新しくつくられた化合物に移されたことになる。たとえばグルコースは、多くの生体物質の原料として、また生物のエネルギー源として非常に重要な物質であるが、これが実際に利用されるためにはエネルギーのより高いグルコース-6-リン酸(6位ヒドロキシ基のリン酸エステル)に変えられる必要がある。これは酵素の働きによって次のような反応で合成される。
グルコース+ATP
―→グルコース-6-リン酸+ADP
ここでATPからADPへの変化に伴い放出されるエネルギーを利用して、グルコースとリン酸との結合が行われる。この反応ではリン酸の供給者もATPである。
また、RNA(リボ核酸)の合成には材料としてATPおよび3種のヌクレオシド三リン酸が必要であるが、それらの高エネルギーリン酸化合物をつくるときにもATPが用いられる。タンパク質合成の場合も、道筋はかなり複雑であるが、アミノ酸をエネルギーの高い状態にするためにATPが必要である。
[笠井献一]
他の形のエネルギーに変換される場合
筋肉の収縮、繊毛の運動、細胞内へのいろいろな物質の取り込み(力学的エネルギー)、ホタルの発光(光エネルギー)、デンキウナギの発電(電気エネルギー)など、無数の仕事がATPのエネルギーを利用して行われる。このように、ATPの化学的エネルギーは他の形のエネルギーに自在に変換されている。
以上のように、ATPは、エネルギーが有効に利用されるように、蓄え、運搬し、必要に応じてさまざまな形で放出するという、生物のエネルギー代謝の主役となっている。そのために絶えず消費されていくが、それと同時に活発に補給されている。その補給経路のうちで主要なものは、解糖に伴うATP生産、呼吸に伴う酸化的リン酸化、光合成に伴う光リン酸化などであり、ADPのリン酸化によってATPがつくられる。人間にとってもっとも重要なのは酸化的リン酸化である。これは、TCA回路などで生産されたNADH(還元型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)やFADH2(還元型フラビンアデニンジヌクレオチド)の電子が、呼吸鎖(さ)を伝って酸素に渡される間にATPがつくられるものであり、細胞内のミトコンドリアで行われている。
[笠井献一]