翻訳|Anatolia
トルコ共和国のアジア領に位置する半島。トルコ語ではアナドルAnadolu。小アジアとも呼ばれる。面積約52万5000km2,同国の人口の97%を占める。地形は全体に山がちで平坦部が少なく,平均標高1132m。黒海,エーゲ海,地中海にかこまれているが,その内陸地方は黒海と地中海にそれぞれほぼ平行に走る山脈(東黒海山脈,トロス山脈など)に影響されて内陸性気候帯に属し,年降水量300mm以下のところが多い。海岸地方は地中海性気候で,雨量の多いところでは年1000mmを超える。全体として農業と牧畜の双方に適し,銅,クロムなど鉱物資源にもめぐまれているが,複雑な地形を有するため,植生や農業生産における地方差がいちじるしい。大きく分けて,穀物(小麦,大麦)を主体とする中部内陸地方,綿花,タバコ,果物,茶など多彩な商品作物を有する沿岸地方,牧畜を主体とする東部山岳地帯に分けられる。住民の大部分はトルコ人であるが,東部にはクルド人が多く,またギリシア人,アルメニア人,ユダヤ人,アラブ,チェルケス人,グルジア人などの少数民も散在する。アナトリアの地名は,ビザンティン帝国の一地方州名〈アナトリコンAnatolikon〉に由来し,それはエスキシェヒルからコニヤにいたる小アジア半島中部地方に相当した。また中世イスラム史料では,小アジアはビラード・アッルームBilād al-Rum(語義的には〈ローマ人の地〉,ただしギリシア語,ギリシア人の世界を意味する)と呼ばれた。オスマン帝国時代,アナトリアの西半分に相当する地域が〈アナドル州〉とされたが,小アジア全体をアナドルと呼ぶこともあった。トルコ共和国成立後,アナドルの語は,黒海と地中海にはさまれた半島部だけでなく,共和国東部国境にいたる地域を含めて使われるようになった。アナトリアの歴史は古く,最近の考古学的・植物学的研究によれば,最古の鉄器使用地および小麦の原生地といわれる。トロイア第1市の遺構によれば,その歴史は前3千年紀にさかのぼり,前20世紀ごろにヒッタイト古王国が成立した。その後,フリュギア,リュディア,ペルシアなどの支配期をへて,前190年以降ローマ帝国領とされた。7世紀にアラブ軍の侵入を受け,11世紀以後トルコ人の移住がはじまり,以後トルコ人の居住地となった。18世紀末以後,海峡問題が発生すると,アジアとヨーロッパの結節点に位置するこの地の戦略的重要性が,あらためて注目された。
執筆者:永田 雄三
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小アジアともいう。トルコ名はアナドル(Anadolu)。黒海,マルマラ海,エーゲ海,地中海に挟まれた半島。現在トルコ共和国領。前16世紀頃アーリヤ系のヒッタイト王国が成立し,メソポタミア,シリアの一部を領有したが前13世紀頃衰え,それに乗じて西部アナトリアにフリュギア王国が建てられ,前7世紀にリュディア王国に征服された。前6世紀アケメネス朝がギリシア植民地のある沿海地域を除く全域を占領し,その後アレクサンドロス大王の領土となった。大王の死後,カッパドキア,ポントス,ペルガモンなどの小独立国が各地に割拠したが,その後,ローマはパルティアと戦いつつ経略を続け,前2世紀後半にこれら諸国を併合した。後3世紀イランに興ったサーサーン朝は西進してローマ,ビザンツ帝国と戦った。7世紀にイスラームが興ると,アラブの圧力を受けたが,11世紀後半まで,その全域はビザンツ帝国に保有され続けていた。その後ルーム・セルジューク朝,オスマン帝国によって,アナトリアはトルコ化,イスラーム化し,第一次世界大戦後トルコ共和国の成立をみた。
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…アジアの西端に突出した半島で,アナトリア(トルコ語アナドルAnadolu)ともよばれる。古くアジアという地名は漠然と〈東方〉を意味し,最初は現在の小アジアの西部をさして用いられた。…
…正式名称=トルコ共和国Türkiye Cumhuriyeti面積=77万9452km2人口(1996)=6265万人首都=アンカラAnkara(日本との時差=-7時間)主要言語=トルコ語,クルド語通貨=トルコ・リラTurkish Liraアジア大陸の西端に位置し,アナトリア(小アジア)とヨーロッパ大陸のマルマラ海沿岸地方の一部とにまたがる共和国。なお,共和国成立以前の歴史については〈トルコ族〉〈セルジューク朝〉〈オスマン帝国〉などの項を参照されたい。…
…また,ソフィアを都とした州の名。ビザンティン帝国の人々が,自分たちをロマイオイRhōmaioi,国土をロマニアRhōmaniaと呼んでいたことから,ムスリムはビザンティン領をビラード・アッルーム(ローマの地,すなわちアラブからみればギリシア語の世界)と呼び,それは主としてアナトリアを指していた。トルコ族がアナトリアを征服した後,13世紀ごろからヨーロッパ人がアナトリアを〈トゥルクメニア〉,すなわち〈トルコ人の国〉と呼び始めると,ロマニアはビザンティン帝国に残されたヨーロッパ領を指す言葉となった。…
※「アナトリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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