世界大百科事典 第2版
「アフォンソ[1世]」の意味・わかりやすい解説
アフォンソ[1世]【Afonso I】
1109?‐85
ブルゴーニュ朝を開いたポルトガル初代の国王。在位1139‐85年。アフォンソ・エンリケスとも呼ばれる。ブルゴーニュ出身のアンリ伯とレオン・カスティリャ王アルフォンソ6世の娘テレサの間にコインブラで生まれた。アルフォンソ6世からミーニョ川とテージョ川との間のポルトゥカレ伯領を封土として譲渡されていた父アンリの死後,母親テレサがその統治権を受け継いだが,1128年アフォンソ・エンリケスは,ガリシア貴族と深いつながりを持つテレサに不満を抱いていた領内の貴族の支持を得て母親の軍隊を破り,ポルトゥカレ伯を名のった。
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世界大百科事典内のアフォンソ[1世]の言及
【ブルゴーニュ朝】より
…そしてその後には彼女とライムンドの子アルフォンソ7世がカスティリャの王位に就いてブルゴーニュ朝が始まった(1126)。他方,テレサとエンリケの子アフォンソ(1世)は祖父王の死後カスティリャが陥った混迷に乗じてポルトガル伯領の独立を指向,1143年にはこれを達成した。したがって,ブルゴーニュ朝はポルトガル建国の初代王朝である。…
【ポルトガル】より
… 絵画が偉大な個性を発揮したのは,建築同様15世紀で,ファン・アイクの来訪(1428)によって,フランドルの写実的様式が隆盛を極めた。アフォンソ5世(在位1438‐81)の宮廷画家ゴンサルベスがリスボン派の総帥で,彼の《聖ビセンテ(ウィンケンティウス)の多翼祭壇画》(6枚)は,海洋国ポルトガルの一大ドキュメントであると同時に,15世紀ヨーロッパ絵画の最高傑作の一つである。ルネサンス期にはイタリアの影響も波及し,肖像画家モライスCristóvão de Morais(16世紀後半活動)らが活躍,18~19世紀にもビエイラFrancisco Vieira Portuense(1765‐1806),〈ポルトガルのゴヤ〉と呼ばれるセケイラDomingos de Sequeira(1768‐1837)を生んだ。…
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