アルタクセルクセス1世(その他表記)Artaxerxēs Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「アルタクセルクセス1世」の意味・わかりやすい解説

アルタクセルクセス[1世]
Artaxerxēs Ⅰ

アケメネス朝ペルシア帝国の王。在位,前465-前424年。〈マクロケイル(長い手)〉の名で知られる。暗殺された父クセルクセス1世のあとをついで即位し,宮廷内の陰謀を打倒した。治世初期におこったエジプト反乱は,アテナイがエジプトを支援したために長期化したが,スパルタに資金を提供してアテナイを牽制し,前454年に鎮圧。前449年のカリアスの和約により,アテナイとの関係を調整した。亡命してきたテミストクレスを王の友人として厚遇したことは有名。また,ヘロドトスデモクリトスが帝国内の各地を旅行し,エズラネヘミヤユダヤ宗教改革をおこなったのも,この王の在位中である。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルタクセルクセス1世」の意味・わかりやすい解説

アルタクセルクセス1世
アルタクセルクセスいっせい
Artaxerxēs I

[生]?
[没]前424. エラム,スーサ
アケメネス朝ペルシアの王 (在位前 465~424) 。ペルシア名アルタクシャトゥラ。「長腕」とあだ名される。クセルクセス1世の子。近衛隊長の力で王となったが,隊長が父王を暗殺すると,隊長をみずからの手で殺害した。在位中は概して平穏であったが,バクトリアに封じられた兄弟の反乱,アテネと結んだエジプトの反乱などがあり,特に後者の鎮圧には長期 (前 460~454) を要した。前 448年アテネおよび同盟諸国と講和条約を締結,ペルシア戦争を終結させた。ペロポネソス戦争では中立を守った。善良な性質だったが,母親アメストリスの横暴を許したという。彼の死後ペルシア帝国は次第に衰運に向った。王墓はペルセポリス北方のナクシイルスタンにある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アルタクセルクセス1世」の解説

アルタクセルクセス1世(アルタクセルクセスいっせい)
Artaxerxes Ⅰ

(在位前465~前424)

アケメネス朝君主。父王クセルクセス1世についで登位。即位後,兄弟の反乱,暗殺に続き,前460年にエジプトがアテネ援助で反乱を起こしたが,前455年に鎮圧した。バビロンでは父祖の政策を継ぎ,ユダヤ人には寛大であった。治世中ペルシアとギリシア間の文化関係が拡大し,ギリシアの学者は東方に関する多くの知識を得た。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアルタクセルクセス1世の言及

【ペルシア帝国】より

…それと同時に専制政治の弊害も現れはじめ,クセルクセスは親衛隊長らの宮廷陰謀によって殺された。続くアルタクセルクセス1世の治世前期にエジプトが反乱を起こし,アテナイと結んでペルシアに抵抗した。しかし,前454年に反乱は平定され,ペルシア戦争以来続いたアテナイとの敵対関係も〈カリアスの和約〉(前449)によって一応の解決をみたので,帝国の平和は維持された。…

※「アルタクセルクセス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android