アンカラ(読み)あんから(英語表記)Ankara

精選版 日本国語大辞典 「アンカラ」の意味・読み・例文・類語

アンカラ

(Ankara) トルコ首都。一九二三年、共和国成立時にイスタンブールに代わって首都になる。ヨーロッパアジアを結ぶ交通要地。旧名アンゴラ

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デジタル大辞泉 「アンカラ」の意味・読み・例文・類語

アンカラ(Ankara)

トルコ共和国の首都。アナトリア高原にある。1923年、共和国の成立時にイスタンブールに代わって首都になる。アンゴラヤギ産地。ローマ時代の遺跡が多い。旧称アンゴラ。人口、都市圏395万(2007)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンカラ」の意味・わかりやすい解説

アンカラ
あんから
Ankara

トルコ共和国の首都。小アジア半島中央北部、アナトリア高原上に位置する。アンカラ県の県都でもある。人口320万3362(2000)。サカルヤ川上流のアンカラ川およびチュブク川に沿い、安山岩からなる丘陵が取り巻く。標高約850メートル。気候は乾燥し、年降水量は402.5ミリメートル。気温の年較差は大きい(平均気温7月23.1℃、1月零下0.2℃)。ケマル・アタチュルクによって首都に定められた当時は人口3万に達せず、市街地も北部のヒサール城塞(じょうさい))の麓(ふもと)のウルス地区付近に限られていたが、その後都市計画が施され、南北に走るアタチュルク通りを幹線にして、クズライ地区、チャンカヤ地区などの新市街が建設された。これらの新市街は高層ビルや公園もあって町並みも美しいが、丘陵部にはゲジェコンドゥ(一夜(いちや)建て)とよばれる庶民住宅が無計画に建てられている。トルコの政治、交通、学術、文化の中心で、新市街には国会議事堂、政府諸機関、外国公館などがあり、アンカラ大学、中東工科大学、考古博物館、民俗博物館なども存在する。道路、鉄道交通の要衝で、エセンボア国際空港は北30キロメートルに位置する。製粉、食料品、車両などの工業もみられ、史跡としてはローマ時代の浴場跡、アタチュルクの廟(びょう)などがある。冬には暖房用石炭によるスモッグ公害が発生する。

[末尾至行]

歴史

古典ギリシア語、ラテン語ではアンキラAncyra、現代ギリシア語ではアンゴラAngoraという。都市の起源は古く、先史時代にさかのぼる。現在アタチュルク廟のあるアヌ・テペには、多数の住居趾(し)が発見されている。その後ヒッタイトの都市となり、さらにガラテヤ人の支配下に入った。アレクサンドロス大王は南方のゴルディオンを通過した。アレクサンドロスの帝国分裂後はポントス王国領となったが、紀元前25年ローマ帝国領に編入された。ローマ帝国のアナトリアの拠点として、アウグストゥスの功績を記した宮殿やローマ風呂(ぶろ)が建設された。ビザンティン帝国時代にはペルシアやアッバース朝の攻撃を受けた。11世紀ごろセルジューク・トルコの支配下に入り、オスマン朝は1361年にこの町を占領した。1402年バヤジト1世は、北方のチュブク草原でティームールに敗れ(アンカラの戦い)、アンカラを一時失ったが、まもなくオスマン朝に回復された。その後、城塞を中心にアナトリアの交通、商業の拠点として繁栄した。第一次世界大戦後ムスタファ・ケマル・パシャ(ケマル・アタチュルク)は、大国民議会をアンカラに招集した。1923年トルコ共和国の成立がこの町で宣言され、首都となった。以後、トルコ共和国の政治的中心地として、今日に至っている。

[設楽國廣]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンカラ」の意味・わかりやすい解説

アンカラ
Ankara

トルコの首都。 1930年まではアンゴラ Angoraと呼ばれた。標高平均 900mの中央アナトリア高原の北端,サカルヤ川支流アンカラ川沿岸に位置する。前 25年以後,ローマ帝国のガラティア州の首都。その後ササン朝,アッバース朝,セルジューク朝,イルハン朝,そのほかの勢力下に置かれたのち,1360年オスマン朝の領土となった。 1402年アナトリア戦役で一時チムールに奪われたが,1403年再びオスマン朝に復帰,その通商基地の一つとして存続した。 1923年 10月にケマル・アタチュルクが共和国の新首都に定めてから急速に発展した。トルコでは最もヨーロッパ化された都市である。北部の旧市街はモスク,城塞,遺跡などを中心に商業地区を形成し,都市計画によって整備された南東,南西部の新市街は,官庁,大学,外国公館,ホテル,高級アパートなどヨーロッパ風の建物が立ち並び,近代化されている。アナトリア文明博物館はヒッタイト遺物の収集で有名。郊外には有名なアタチュルク廟がある。気候は冬季は平均-2℃,夏季は平均 30℃であるが,夏季では1日の温度差が非常に大きい。1年を通じて降雨はきわめて少ない。アンゴラネコの産地であり,アンゴラヤギの毛 (モヘア) とその製品の産地として有名。近郊には絨毯,セメント,煉瓦,ビールなどの工場があり,蜂蜜,果物,農産物なども集散する。アナトリア内陸交通の中心で,鉄道,ハイウェー網が縦横に走り,近郊にエセンボア国際空港がある。人口 422万3398(2011)。

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百科事典マイペディア 「アンカラ」の意味・わかりやすい解説

アンカラ

トルコの首都。旧名アンゴラ。アナトリア高原の中央にあり,イスタンブールに次ぐ大都市。商業・交通の要地。毛織物・食品工業が行われ,付近に軍需工場がある。古来アナトリアの通商路に位置し,前25年ローマ帝国支配に入る。ビザンティン帝国などを経て1361年オスマン帝国領となる。20世紀になってケマル・アタチュルクがトルコ革命の拠点として大国民会議をおき,1923年首都となった。以来,都市計画により近代的都市として発展。441万7522人(2012)。
→関連項目アンカラの戦トルコ

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世界大百科事典 第2版 「アンカラ」の意味・わかりやすい解説

アンカラ【Ankara】

トルコ共和国の首都。人口278万(1994)。アナトリア高原の中央部に位置し,標高は800~1000m。盛岡市とほぼ同緯度にあり,気候は大陸性で湿度は年間を通じて低い。以前はアンゴラAngora,またエンギュリュEngürüとも呼ばれた。中部アナトリアの特産であるアンゴラヤギの名は,この名に由来する。都市としての歴史は古く,その起源をヒッタイト時代に求める説もある。アナトリアの通商路の要衝として繁栄したアンカラは,ラテン・ギリシア世界ではアンキュラAncyraの名で呼ばれ,前25年ローマ帝国に併合され,やがてローマ都市としての景観を整えた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アンカラ」の解説

アンカラ
Ankara

トルコ共和国の首都。ギリシア語でアンゴラ。アナトリアの隊商路の要衝として発達。第一次世界大戦までは地方的小都市。1919年12月,ケマル・アタテュルクが革命政権の根拠地とし,23年10月,大国民議会の決議で首都となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アンカラ」の解説

アンカラ
Ankara

トルコ共和国の首都。旧称アンゴラ
隊商路の中心地として古くから知られ,前25年ローマが領有,7世紀以後はアラビア人にしばしば侵略された。12世紀半ばセルジューク朝,14世紀初めイル−ハン国,1360年オスマン帝国の属領となり,一時ティムールの攻撃で失ったが,その後回復された。1923年ムスタファ=ケマルがこの地で共和国の独立を宣言,イスタンブルに代わって首都となった。

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世界大百科事典内のアンカラの言及

【都市】より

…テヘランはカージャール朝(1779‐1925)の首都に定められてから人口が増大し始め,直線の道路に沿ってヨーロッパ風の新市街地が出現した。トルコでも新共和国の首都となったアンカラの発展ぶりが目覚ましく,官公庁,大学,国会,ホテルなどが次々と建設されていった。しかしヨーロッパ資本の流入による産業構造の変化は土着の商工業に深刻な打撃を与え,やがてギルド的な同職組合は解体への道をたどる。…

※「アンカラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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