日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンラジェ」の意味・わかりやすい解説
アンラジェ
あんらじぇ
Enragés
フランス革命下の過激派。語の意味は「いきりたつ人」で、階級意識に燃えた新左翼。主要なメンバーには、もと司祭で、パリ自治市会に属するジャック・ルーJacques Roux(1752ころ―1794)、郵便局員で街頭の演説家で知られるジャン・バルレJean Varlet(1765ころ―?)、リヨン出のルクレールと彼の愛人のローズ・ラコンブ、スペイン人グスマンらが数えられる。1792年秋から1793年2月にかけて、各地の生活闘争を指導した急進派により結党された。商品の公定価格の制定、穀類の買占めと退蔵への厳罰、義勇兵家族と貧民の救済など、社会的、経済的な綱領を掲げて、パリの先鋭的な小市民、サン・キュロット層に食い込み、エベール派とパリ市の末端の組織であるセクシオン(区会)やクラブの指導権を競いあった。両派はしばしば混同され、共通に破壊分子とかアナキストとよばれるが、エベール派がジャコバン左翼にくみして議会政治を肯定するのに対し、アンラジェは人民による直接民主主義の樹立を標榜(ひょうぼう)し、エベール派が恐怖政治を指向するのに対し、アンラジェはテロリズム(断頭台主義)を断固拒否する。彼らは反ジロンド派闘争では、ジャコバン党と協調したが、引き続き全金融族の逮捕や、悪徳議員の除名、汚職官吏の処罰、10万人の悪党の追放、ブルジョア財産の没収など、過激な論陣を張り続けたため、しだいに孤立を深め、公安委員会から危険視され、たび重なる弾圧を被った。1794年2月、首領格のルーは死刑の宣告を受け、獄中で自殺した。
[金澤 誠]