アーノルド(英語表記)Matthew Arnold

デジタル大辞泉 「アーノルド」の意味・読み・例文・類語

アーノルド(Arnold)

(Thomas~)[1795~1842]英国の教育家。古典学偏重を廃し、数学や近代語導入などの教育改革を行った。
(Matthew~)[1822~1888]英国の詩人。批評家。の長男。主著「批評論集」「教養と無秩序」。

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精選版 日本国語大辞典 「アーノルド」の意味・読み・例文・類語

アーノルド

  1. [ 一 ] ( Sir Edwin Arnold サー=エドウィン━ ) イギリスの詩人、ジャーナリスト。インドの梵語学校長。「デーリー‐テレグラフ」の主筆。釈迦の生涯を描いた長編無韻詩「アジアの光」がある。(一八三二‐一九〇四
  2. [ 二 ] ( Matthew Arnold マシュー━ ) イギリスの批評家、詩人。教育者、歴史家でラグビー校校長のトマス=アーノルドの長男。文芸批評文明批評にまで高めた。主著「批評論集」「教養と無秩序」、詩集「エトナ山上のエンペドクレスその他」など。(一八二二‐八八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーノルド」の意味・わかりやすい解説

アーノルド(Frances Hamilton Arnold)
あーのるど
Frances Hamilton Arnold
(1956― )

アメリカの生化学者。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。1979年プリンストン大学卒業(機械、航空工学専攻)、1985年カリフォルニア大学バークレー校で化学工学の博士号取得。同年博士研究員として同校で働き、翌1986年カリフォルニア工科大学(CIT、Caltech(カルテック))で客員研究員、1987年助教授、1992年準教授を経て1996年教授。自身の成果を商業化するベンチャー企業「Gevo」を2005年に、「Provivi」を2013年に創設した。

 もともと宇宙工学を専攻し、人類に役に立つ再生可能エネルギーなど新技術の研究をするためソーラー発電の研究に進んだが、1981年、生命の設計図であるDNAを操作し、新しい化学物質を開発できるのではないかとDNAの研究に方向を転換した。医薬品、プラスチック、肥料などの化学物質をつくるには、強い有機溶媒、重金属などの触媒が不可欠だったが、アーノルドはこうした反応を、酵素でつくりだすことを思いついた。当初、新しい酵素をつくるため、原料であるアミノ酸などを混ぜる従来の方法をとったが、化学反応を促進する触媒が不可欠で、その開発はコンピュータなどを駆使してもむずかしかった。そこで、自然界の「進化」に着目する新手法を思いついた。

 アーノルドは、牛乳などに含まれるタンパク質カゼインなどを分解するサブチリシンという酵素を使って、酵素進化させる研究に取り組んだ。このタンパク質分解酵素をつくる遺伝子をわざと変異しやすいようにして、細菌に入れ、ランダムに突然変異を起こし大量の酵素をつくった。通常、この酵素は水の中で反応し、有機溶媒中では反応しにくいものだが、大量に作製した酵素の中から有機溶媒中でもタンパク質を分解できるものを選び出し、さらにその遺伝子に変異を導入した。こうした「変異を導入する」「選択する」という工程を3回ほど繰り返した結果、有機溶媒中でも分解する能力が256倍に達する酵素を手に入れることができた。こうした人工的な進化によって目的のタンパク質をつくる手法は「指向性進化法」とよばれ、アーノルドはそのパイオニアとなった。その後、DNAシャフリング(細胞の中でDNAをランダムに切断し再結合させる手法)などで、より安定した酵素の開発ができるようになった。

 指向性進化で作成された酵素によって、医薬品や化学物質の合成が格段に速くなり、副産物が少なく、環境負荷の高い重金属が含まれない製品の開発につながった。さらに農作物からとれる糖やイソブタンをもとに、バイオエタノールや生分解性プラスチックの開発にも貢献した。これはアーノルドが当初目ざしていた再生可能エネルギーの開発でもあった。

 2011年チャールズ・スターク・ドレイパー賞、2013年アメリカ国家技術賞、2016年ミレニアム技術賞、2017年アメリカ科学アカデミー(NAS)のレイモンド&ベバリー・サックラー賞などを受賞。2018年には、「指向性進化による酵素の合成」の業績でノーベル化学賞を受賞した。「ファージディスプレーによるタンパク質や抗体の開発」に貢献したアメリカのミズーリー大学特別栄誉教授のジョージ・P・スミスとイギリスMRC分子生物学研究所のグレゴリ・ウィンター名誉教授との同時受賞であった。アーノルドは、同賞を受賞した歴代5人目の女性である。

[玉村 治 2019年3月20日]


アーノルド(Matthew Arnold)
あーのるど
Matthew Arnold
(1822―1888)

イギリスの詩人、批評家。名門ラグビー校の名物校長T・アーノルドの息子として生まれ、ラグビーからオックスフォード大学へ進学。『さまよえる宴客』(1849)、『エトナ山上のエンペドクレス』(1852)、『詩集』(1853)、『新詩集』(1867)は、ロマン主義への幻滅と憧憬(しょうけい)、科学の脅威と宗教の衰微などに悩まされる19世紀中葉の多感な知識人の内面を歌っている。「ドーバー海岸」「サーシス」などの詩はとくに有名。後半生は『批評論集』(1865、1888)、『教養と無秩序』(1869)、『文学と教義』(1873)、『アメリカ文明』(1888)などを発表、当代最重要な批評家として活躍。近代の文学、芸術における批評的知性の重要性を説いて、広い視野からイギリス文化の地方性を批判、T・S・エリオットなど後代の批評家に影響を与えた。オックスフォード大学詩学教授を務めながら、教育制度改善を進言する視学官でもあった。

[高橋康也]

『矢野峰人著『アーノルド論攷』(1947・全国書房)』


アーノルド(Thomas Arnold)
あーのるど
Thomas Arnold
(1795―1842)

イギリスの牧師、教育者。詩人マシウ・アーノルドの父。ワイト島のカウズに生まれる。16歳のときオックスフォードのコルプス・クリスティ・カレッジに入学。4年後にオーリエル・カレッジの学術協会員Fellowに選ばれた。1818年に牧師の地位を得たのち、レイルハムに住んで結婚し、古典の研究、著述および大学入学を控えた少年たちの教育に専念。1828年、名門ラグビー校の校長となり、新風をもって学校の名声を高めた。1841年オックスフォードの歴史学教授となった。著作に『ローマ史』History of Rome(1838~1843、未完)、『説教集』Sermons Preached at Rugby School(1827~1841)などがある。

[村井 実 2018年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「アーノルド」の意味・わかりやすい解説

アーノルド
Matthew Arnold
生没年:1822-88

イギリスの詩人,文芸評論家,社会批評家。ラグビー校校長トマス・アーノルドの長男。ウィンチェスター・カレッジ,ラグビー校を経てオックスフォード大学ベーリオル・カレッジ入学(1841),オーリエル・カレッジのフェロー(1845)。ランズダウン卿秘書(1847)となり,その縁で教育視学官(1851-86)に就任,詩人ならびに批評家として活躍する。詩人としては,《さ迷える夢想家その他の詩》(1849),《エトナ山上のエンペドクレスその他の詩》(1852)を匿名出版したあと,《詩集》(1853)を初めて実名で出版,《メロウピー》(1858),《新詩集》(1867)と続く。アーノルドの詩の特徴のひとつは個人的感情の表白にある。〈ドーバーの岸辺〉(1867)では海辺の風景に託して信仰の退潮を憂い,〈さ迷える学者〉(1853)ではジプシーの仲間に加わったオックスフォードの学者の姿を通して近代的知性の危機を歌い,〈サーシス〉(1867)では親友A.H.クラフの死を切々と哀悼する。批評家としては《ホメロスの翻訳について》(1861)でホメロスの素朴さと高貴さを現代と対比したが,オックスフォード大学詩学教授(1857-67)時代の講義《ケルト文学研究について》(1867)では,ケルト文化を功利主義的通俗性の対極として称揚する。《批評集(1)》(1865)は,巻頭の〈現代における批評の役割〉で,批評とは文学,歴史,芸術,科学,社会,政治などの全分野にわたって〈対象をそれ自体としてあるがままに見る〉ことだとする。イギリスの地方性を危惧し大陸に目を向け,ゲラン,ハイネ,スピノザなどを論ずる。《批評集(2)》(1888)は,巻頭の〈詩の研究〉で,宗教に代わる〈高度の真摯さ〉を詩に求め,批評の基準を〈人生批評〉に置く。《教養と無秩序》(1869)で,貴族=蛮人,中産階級=俗物,下層階級=大衆とからなるビクトリア朝イングランドの健全化のために,〈甘美と光〉を欠く中産階級の教化の必要性を力説した。
執筆者:


アーノルド
Thomas Arnold
生没年:1795-1842

イギリスの教育家。名門ラグビー校の校長として荒廃の極にあった同校の校風を刷新し,パブリック・スクールの改革を促した。南部海岸ワイト島のカウズに生まれ,ウィンチェスター校からオックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジを卒業。オーリエル・カレッジのフェロー,寒村レールハムでの牧師補や私立予備校の教師を務めた後,1828年から42年に急死するまでラグビー校の校長として在職。その間ロンドン大学の評議員(1836-38),オックスフォード大学近世史教授(1841-42)を務めた。長い伝統と因習のゆえに,産業革命後の新しい時代の要請に対応できずに荒廃していたラグビー校で,その優れた学識と崇高な人格的感化をもって改革にあたり,〈キリスト教徒紳士〉の育成をめざした。伝統的な古典語中心の教育を歴史,哲学,現代語,数学などの科目を加えて近代化し,学校生活での組織的競技を奨励するとともに,学校,学寮の経営に信頼と責任を基調とするチューター制などを採用,自ら学校礼拝堂での説教を行うなどして校風を刷新し,パブリック・スクールの近代的形態を組織づけた。
執筆者:


アーノルド
John Oliver Arnold
生没年:1858-1930

金属組織学開拓期のイギリスの冶金学者。はじめシェフィールド工業学校の,ついで大学となった同校の教授。元来は鉄鋼分析化学が専門で,合金鋼中の炭化物(Fe,Ni)3Cや(Fe,Co)3Cの組成を決定した。金属の顕微鏡組織観察法を創始したH.C.ソルビーの晩年の弟子で,鉄鋼の顕微鏡組織をとくに研究した。有名になったのは,ロバーツ・オーステンWilliam Chandler Roberts-Austenの合金理論,F.オスモンの鋼焼入硬化理論にそれぞれ敵対する鋭い論陣を張ったことによる。前者では金Auに鉛PbやビスマスBiを添加しても結晶粒界にもろい薄層を作って強化に役立たないこと,後者ではオスモンのいうβ鉄は軟らかくて硬化の原因物質となりえないことを実証した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーノルド」の意味・わかりやすい解説

アーノルド
Arnold, Frances

[生]1956.7.25. ペンシルバニア,ピッツバーグ
アメリカ合衆国の化学工学者。フルネーム Frances Hamilton Arnold。カリフォルニア大学化学工学の博士号を取得。1986年からカリフォルニア工科大学に勤務し,助手,准教授を経て 1996年から教授。1990年代,最適な構造の酵素を得るために,生物の進化の仕組みを利用する方法を開発した。具体的には,細菌の遺伝子にランダムな突然変異を発生させて数千の変化形をつくり,それを大腸菌に入れて働きの高いものを選び,その遺伝子にさらに突然変異を入れるという「進化過程」を 4回繰り返し,目的の改造酵素を得た。この目的に合わせて生物を進化させる「指向性進化」の成功が 1993年に発表されると,バイオ燃料用など次々に新機能をもつ酵素の開発に応用されるようになった。2018年,生物進化の過程を模倣して蛋白質の機能を改良する「分子進化工学」を切り開いた功績により,アメリカの生化学者ジョージ・P.スミス,イギリスの生化学者グレゴリー・P.ウィンターとともにノーベル化学賞(→ノーベル賞)を受賞した。2011年チャールズ・スターク・ドレーパー賞,アメリカ国家技術賞受賞。

アーノルド
Arnold, Matthew

[生]1822.12.24. ミドルセックス,レールハム
[没]1888.4.15. リバプール
イギリスの詩人,批評家。長年視学官 (1851~83) をつとめ,またオックスフォード大学の詩学教授 (57~67) として盛名をはせた。処女詩集『迷える浮かれ者』 The Strayed Reveller,and other Poems,by A. (49) 以来,スイスを舞台にした一連の悲恋の詩をはじめ,『エトナ山上のエンペドクレス』 Empedocles on Etna,and other Poems (52) ,『学者ジプシー』 The Scholar-Gypsy (53) などの詩において,現実と理想の間に引裂かれた心を独特のペーソスをもって歌ったが,1860年代からは批評家としての活動に主力を注ぎ,『批評論集』 Essays in Criticism (2巻,65,88) に代表される文芸批評と『教養と無秩序』 Culture and Anarchy (69) ,『文学とドグマ』 Literature and Dogma (73) にみられる「教養の使徒」としての文明批評を広い視野のもとに行い,今日の総合的批評の先駆者となった。

アーノルド
Arnold, Vladimir Igorevich

[生]1937.6.12. ウクライナ=ソビエト社会主義共和国,オデッサ
[没]2010.6.3. フランス,パリ
ソビエト連邦の数学者。力学系,特異点理論(→特異点)など幅広い分野で重要な業績をあげた。モスクワ大学でアンドレイ・N.コルモゴロフのもとで学び,1961年に博士号を取得。1965年モスクワ大学教授に就任した。学部学生のときにダービト・ヒルベルトの第13問題を解決し,1963年にはニュートン力学三体問題に関するコルモゴロフの定理の厳密な証明を与えた。特異点理論の発展に大きく貢献し,また,カオス理論にも寄与した。カオス理論とは,微分方程式などで定まる系において,ランダムなふるまいをする解を記述する理論である。1986年にモスクワのステクロフ数学研究所に異動し,1993年からはパリ大学ドーフィン校にも勤務した。2001年にウルフ賞,2008年にショウ賞(邵逸夫賞)を受賞。

アーノルド
Arnold, Eve

[生]1912.4.21. アメリカ合衆国,ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]2012.1.4. イギリス,ロンドン
アメリカ合衆国生まれの報道写真家。映画の撮影現場でのスターの素顔をとらえた写真で知られ,特にマリリン・モンローの写真で有名。ニューヨークで写真を学び,1951年からフリーランスの写真家として写真家集団マグナム・フォトに参加,1957年に正会員。ブラック・ムスリムや女性による政治運動から小さな街の人々の生活など,その作品は多岐にわたる。『ライフ』Lifeや『ルック』Lookなどの写真誌にも作品を発表した。1961年からはイギリスに住まいを移して活動し,世界中を旅しておびただしい数の写真を撮った。中国を撮影した写真集『イン・チャイナ』In China(1980)で全米図書賞受賞。1980年アメリカ雑誌写真家協会功労賞を受賞,1995年国際写真センター ICPからマスター・フォトグラファーの称号を得た。2003年大英帝国四等勲功章 OBEを授与された。

アーノルド
Arnold, Thomas

[生]1795.6.13. イーストカウズ
[没]1842.6.12. ウォリックシャー,ラグビー
ラグビー校の有名校長。イギリスのパブリック・スクールに甚大な影響を与えた教育家。詩人・批評家 M.アーノルドの父。オックスフォード大学コルプス・クリスティ・カレッジで学び,1815年同大学オリエル・カレッジのフェローに選任された。 28年ラグビー校の校長に就任,紳士教育の学校に改革し,超一流の水準に引上げた。その主眼は,年長生が年少生を指導するいわゆるプリーフェクト制度にあり,その後この制度はイギリスの大部分の中等学校に導入された。彼の死後に新設されたパブリック・スクールには,ラグビー校をモデルにしたものが多い。

アーノルド
Arnold, Sir Malcolm Henry

[生]1921.10.21. ノーサンプトン
[没]2006.9.23. ノリッジ
イギリスの作曲家,指揮者,トランペット奏者。 1941~44年イギリス王立音楽大学で学ぶ。 1945~48年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席トランペット奏者を務めた。メンデルスゾーン賞を受賞後,イタリアに留学して作曲と指揮法を学んだ。交響曲,協奏曲,オペラ,バレエ音楽など多くの作品を作曲した。また,映画音楽の分野でも活躍し,『戦場にかける橋』 Bridge on the River Kwai (1957) でアカデミー作曲賞を受賞した。 1970年大英帝国三等勲功章 CBEを受章,1993年ナイトに叙された。

アーノルド
Arnold, Henry Harley

[生]1886.6.25. ペンシルバニア,グラドウィン
[没]1950.1.15. カリフォルニア,ソノマ
アメリカの陸・空軍軍人。 O.ライトから航空術の訓練を受け,第1次世界大戦中は陸軍航空隊の将校となった。その後独立した空軍の必要を力説。第2次世界大戦中,アメリカ陸軍航空隊司令官。 1944年に陸軍元帥。 47年に念願の空軍が新設されると最初の空軍元帥となった。

アーノルド
Arnold, Benedict

[生]1741.1.14. ノルウィッチ
[没]1801.6.14. ロンドン
アメリカ独立革命期の軍人。准将。緒戦のタイコンデロガの攻撃に参加。カナダ遠征軍を指揮。 1777年サラトガの戦いで戦功を立てたが,79年イギリス側に寝返ったため,彼の名は裏切者の代名詞となった。 81年イギリスに行き,そこで余生をおくった。

アーノルド
Arnold, Sir Edwin

[生]1832.6.10. ケント,グレーブズエンド
[没]1904.3.24. ロンドン
イギリスの詩人,ジャーナリスト。インドのデカン大学の学長をつとめ,帰国後『デーリー・テレグラフ』紙の編集者。仏陀を主題とする詩『アジアの光』 The Light of Asia (1879) などがある。

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百科事典マイペディア 「アーノルド」の意味・わかりやすい解説

アーノルド

英国の教育家。オックスフォード大卒。ラグビー校の名校長として知られる。宗教を根底に置く性格の鍛練を主張,また数学,近代語,近世史などを教科に採り入れて,パブリック・スクールの近代化に貢献。M.アーノルドの父。

アーノルド

英国の詩人,評論家。教育家T.アーノルドの子。《ドーバー海岸》《学者ジプシー》などの詩で知られるほかに,《ホメロス翻訳論》(1861年),《文芸評論》(1865年,1888年)などの古典主義的文学論や,《教養と無秩序》(1869年),《文学と教義》(1873年)などの社会・文明評論によってビクトリア朝随一の批評家とされる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「アーノルド」の解説

アーノルド Arnold, Sir Edwin

1832-1904 イギリスの詩人,ジャーナリスト。
1832年6月10日生まれ。インドのデカン大校長,「デーリー-テレグラフ」主筆などをつとめる。明治22年(1889)特派員として来日。各地で講演し,黒川マツと結婚。詩で東洋の生活や思想を紹介。1904年3月24日死去。71歳。オックスフォード大卒。作品に叙事詩「亜細亜(アジア)の光」など。

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世界大百科事典(旧版)内のアーノルドの言及

【鋼】より

…19世紀に入るとベリマンの成果はドイツのカルステンKarl Johann Bernhard Karsten(1782‐1853),ランパディウスWilhelm August Lampadius(1772‐1842)らによって引き継がれ,高炉では吸炭が,精錬炉では脱炭が,浸炭法では吸炭が生じることなどが明らかにされた。また合金鋼に関するM.ファラデーの研究,鉄鋼の変態点に関するロシアのチェルノフDmitrii K.Chernov(1839‐1921)の研究,鉄鋼の顕微鏡組織に関するイギリスのソルビーHenry Clifton Sorby(1826‐1908)やドイツのマルテンスAdolf Martens(1850‐1914)の研究,鉄鋼の変態に関するフランスのF.オスモンの研究,鋼中の炭素の役割に関するイギリスのJ.O.アーノルドの研究,鉄鋼の状態図に関するイギリスのオーステンWilliam Roberts Austen(1843‐1902)やオランダのローゼボームHendrik Willem Bakhuis Roozeboom(1854‐1907)らの研究が相次ぎ,鋼の硬化と熱処理,組織,状態図との関係など,今日の鋼の物理冶金学の基礎が築かれた。鋼の組織の名前であるソルバイト,マルテンサイト,オーステナイト,トルースタイト,レーデブライトなどは,それらの先人の業績にちなんで命名された。…

【教養と無秩序】より

…イギリスの詩人,批評家M.アーノルドの社会・文化論。1869年刊。…

【クラフ】より

…おもな作品は六歩格形式で書いたロマンス《トベル・ナ・ボリッチの小屋》(1848),《アンバルバリア》(1849),主人公をファウストに擬し良心と世間との衝突をうたった《ディプサイカス》(死後出版)など。42歳の若さでフィレンツェに客死し,友人M.アーノルドは挽歌《サーシス》でその死を悼んだ。六歩格の詩形に才を示したが,詩人としてアーノルドに及ばない。…

【ヘレニズム】より

…ヘレニズムという語は一般に2通りの意味で用いられている。一つは19世紀イギリスの詩人・文明批評家M.アーノルドが《教養と無秩序》において,ヨーロッパ文化の根底を成した精神的伝統の一つとして,ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教思想の源泉)と対置させた場合のヘレニズムで,以来広く〈ギリシア文化一般の本質にかかわる精神的基盤〉の意味に用いられる。いま一つは同じく19世紀ドイツの歴史家J.G.ドロイゼンが《ヘレニズム史》において創唱した歴史学上の時代概念としての〈ヘレニズム〉で,従来ギリシア史の長い衰亡期,ギリシア文化の質的劣悪化の時期,ローマ帝国成立までのつなぎの時代とみられてきたアレクサンドロス大王以後約300年の時代と文化は,彼以後ヘレニズム(ギリシア風文化)の名によってその固有の世界史的位置づけが確立した。…

【リービス】より

…作品をきめ細かく読み抜き,そこに作家全体の技巧的成熟,道徳的な健全さ,感受性の均衡を読みとり,イギリス文化全体の健康状態を診断するという姿勢が彼の批評上の信念になっていた。こうした厳格な批評態度は,19世紀のM.アーノルドから受けついだものであるとともに,20世紀という大衆文化の時代にこそ,その平均化に抗して生まれる必然性があった。リービスは自分の信念を批評誌《スクルーティニー》(1932‐53)に盛りこみ,また《現代詩における新方位》(1932),《再評価》(1936)などの単行本により結晶させた。…

【広教会】より

…オックスフォード運動により激化した英国国教会の高教会派と低教会派の抗争を嫌悪し,双方の立場を退け,〈三十九ヵ条の信仰告白〉を含む教会の教義的立場をできるだけ広義に,また自由に解釈することを提唱したT.アーノルドやハンプデンRenn Dickson Hampdenらの立場を言う。その主張は《小論と評論》(1860)によって打ち出されたが,今日では常識的と判断されうる見解が10年にもおよぶ大論争を引き起こした。…

【鉄道】より

… このような状況から,鉄道に対する一般人の反応は相矛盾するものとならざるをえなかった。封建制を葬り新しい時代を招く力とスピードの象徴として鉄道を礼賛する人(例えばラグビー校校長T.アーノルド)もいたが,反対に〈鉄道狂〉の波に乗って美しい自然環境を破壊する侵入者に抗議する詩を,1844年に書いた桂冠詩人ワーズワースや,経済パニックをまのあたりに見て機関車を恐ろしい怪獣〈死〉として,小説《ドンビー父子》(1848)の中で描いたディケンズもいた。ちょうど20世紀人が原子力に対して抱いたと同じような,希望と不安,魅惑と恐怖,賛美と憎悪が相半ばする複雑な感情が,これらの文学者によって示されているが,それはまさに19世紀人の感情を代弁したものだった。…

【パブリック・スクール】より

…この種の学校は200校あまりあるが,そのうち九つがとくに著名である(ウィンチェスター校,イートン校,ハロー校ラグビー校など)。これらはルネサンス,宗教改革期に設立されたが,19世紀半ばラグビー校のT.アーノルド校長の改革を契機に,以後イギリス的紳士育成の拠点となった。その教育の特徴はキリスト教的人文主義の教育内容,寮自治制と級長制による集団規律の重視,団体スポーツを通してのフェア・プレーと闘争心の涵養にある。…

※「アーノルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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