ギリシアの西岸に沿った七つの島々とその属島からなる島群。総面積2307km2,人口21万3000(2001)。北からケルキラ(一般にコルフの名で知られる),パクシ,レフカス,イターキ(古代名イタケー),ケファリニア,ザキントス(別名ザンテ),ずっと南に離れてキティラ。どの島も山が多いが,気候は温暖である。レフカス,ケファリニア,ザキントスの3島はしばしば地震に見舞われる。ブドウ酒,オリーブ油,果物などを産する。ホメロスの時代にすでにこれらの島々は海運によって栄え,叙事詩に名高いオデュッセウスはこの島嶼連合の支配者であったと考えられる。古典期には本土の都市国家からこれらの島々へ植民が行われた(この時期には小アジアの西海岸もイオニアと呼ばれたので注意が必要)。ペロポネソス戦争に際してはケルキラ,ケファリニア,ザキントスがアテナイ側につき,レフカスはスパルタに味方した。前3世紀の終りから島々はローマの支配下に入り,そのまま東ローマ帝国に引き継がれた。10世紀ころになって東ローマの力が弱まると,これらの島々にはいくつものラテン系小王国が分立したが,14世紀になってベネチアが力を増すにつれ,その属領となった。ベネチアにとってアドリア海の入口を扼するこれらの島々,なかんずくケルキラは軍事的に重要な意味をもっていた。有力な島民は貴族に叙せられベネチア化したが,一般の人々はギリシア語を話す正教徒のままにとどまった。ベネチアの崩壊によって1797年イオニア諸島はフランス領となったが,翌年トルコとロシアの連合軍が島々を占領し,1800年に傀儡(かいらい)国家が作られてトルコが,後にロシアがこれを管理した。07年にティルジット条約によってフランスに返還され,ナポレオンの没落とともに15年イオニア諸島はイギリスの保護下にある独立国となった。64年,島々はトルコから独立した近代ギリシアの正式の領土となり,現在に至っている。
執筆者:池澤 夏樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ギリシア西端部、イオニア海東端にある島群。英語名Ionian Islands。古称ヘプタネソスHeptanesos(「七つの島」の意)。面積2307平方キロメートル、人口19万3734(1991)。北よりケルキラ(コルフ)、パクシ、レフカス、ケファリニア、イサキ、ザキントス、キスイラの7島、および多数の小島からなり、全体で一行政区をなす。比較的雨量の多い地中海式農業地帯で、ブドウ、オリーブ、柑橘(かんきつ)類、果実類を豊富に産する。
東西を結ぶ海上交通路上の要衝にあり、古代ギリシアの植民運動の時代にはケルキラとレフカスにコリントの植民市が設けられ、アテネも紀元前5~前4世紀の西方への航路確保のためザキントスを勢力下に置こうとした。13世紀のラテン帝国時代以来ベネチアの支配下に入り、ついでフランス領(1798)、ロシア領(1799)となった。一時島の自治を宣言したが、1807年ふたたびフランス領となり、ウィーン条約(1815)でイギリス領となった。1864年ゲオルギス1世のギリシア王位継承の条件としてギリシアに返還された。
[真下とも子]
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