世界大百科事典内のイドリースの言及
【イドリース朝】より
…789‐926年。第4代カリフ,アリーの子孫イドリースIdrīs b.‘Abd Allāh(?‐793)がメディナでの反乱に失敗した後,モロッコに逃れベルベル人の一派アウラバ族の支持を得て建国した。史上最初のシーア派王朝とされるが,その政治に,顕著なシーア派的特徴はない。…
【リビア】より
…第2次大戦中の42年,リビアはイタリア軍を打破したイギリスにトリポリタニアとキレナイカを,フランスにフェッザーンを軍事占領されることになる。戦後,リビアは51年12月にサヌーシー派のムハンマド・イドリース・アッサヌーシーを国王(イドリース王)とする連邦国家として独立を宣言し,52年,国連決議に基づき国際的にも独立を達成した。 新たなリビアの担い手として国王の地位にサヌーシー派の指導者イドリースが就いたのは,欧米諸国の支援によってである。…
※「イドリース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報