西アフリカ、ナイジェリア西部、オヨ州の州都。人口136万5000(1995)。19世紀、オヨ帝国の成立によって、イフェ、エグバ、イジェブなどの地を逃れてきた避難民と戦士たちによってつくられた。1893年にイギリス支配下に入り、1901年にはラゴスから鉄道が開通した。1920年代にはラゴスからの自動車道路も完成し、ココア集積地、商業中心地として栄えた。51年西部ナイジェリアの首都になったときには、人口が40万を超え、伝統的都市としてはアフリカ最大といわれた。町の北方郊外にはナイジェリア最初の総合大学があり、ほかに国際熱帯農業研究所、ムーア研究所などもあり、教育、研究の一大中心地である。79年ラゴス―イバダン間に高速道路が完成し、郊外への工場進出が盛んである。おもなものに、電気製品、れんが、たばこ、プラスチック、ビールなどの工場がある。
[島田周平]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
西アフリカ,ナイジェリア西部州の州都。古くからヨルバ人が居住していたが,19世紀初頭,フルベ人が隣接するオヨ王国を侵害したため,避難民が流入。その後,軍事力を持つ都市国家の形態を整えた。19世紀末にはアフリカ人が建設した最大の都市であった。植民地時代,イギリスはここに統治の拠点を置いた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…もとは,より北に居住していたが,19世紀に北方からのフルベ族の圧迫で,森林地帯に南下した。イバダン,オヨ,イロリン,アベオクタなど,ヨルバ都市と呼ばれるいくつもの都市を形成し,それを中心にそれぞれ王国を形成した。伝説によれば,ヨルバの祖先は天からイフェに送られたといい,ヨルバ諸王国の王はイフェのオニ(支配者)に忠誠を誓った。…
※「イバダン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新