日本大百科全書(ニッポニカ) 「イブン・シーナー」の意味・わかりやすい解説
イブン・シーナー
いぶんしーなー
Abū ‘Alī al-
usain ibn ‘Abd Allāh ibn Sīnā
(980―1037)
イスラム思想史を代表する哲学者、医学者。ラテン名はアビケンナAvicenna。中央アジアのブハラ近郊に生まれる。著作活動は哲学、医学、自然学、数学など多岐にわたり、アラビア語、ペルシア語で著作する。アラビア語による哲学書、医学書の主要なものは中世ヨーロッパでラテン語訳され、中世ヨーロッパ思想界に深い影響を与えた。イブン・シーナーの活躍した時代は、ガズナ朝を開いたマフムードの台頭してきたころで、西南アジアの政情は風雲急を告げていた。各地の諸侯は国政を補佐する賢人を争って求めた。20代にしてすでにその天才ぶりが西南アジア全域に鳴り響いていたイブン・シーナーは、各地の領主から招きを受け、招聘(しょうへい)された先々で要職についたが、それだけにまた政治的変動の波にもまれることも多かった。波瀾(はらん)に富んだ生涯の終わりのころはイスファハーンの領主に大臣として仕えた。そのころ激務の疲れから酒色に慰安を求めることが多く、かえって健康を害し、ハマダンに客死した。
哲学者としては、存在の探究に卓越した業績を残している。存在を定義しえないが先験的に心のなかに確立されるとする。他方、存在は事物の本質との関係においてみるとき、存在は本質に対する偶有であるという。存在の諸相をこう分析したうえで、第一原因、必然存在者である神を頂点とした流出論的世界観を構築する。こうした存在の研究を踏まえて自らが「東方の哲学」とよぶ神智(しんち)論的哲学をさらに確立しようとしたらしいが、この思想を著した書物は散逸してしまい、現在では断片的にしかその内容を知ることができない。
[松本耿郎]
医学における彼のもっとも重要な著書『医学典範』Qānūn fī-l-tibb(全5巻)は、膨大な医学百科事典である。そこには、医学の一般原理、器官の病気、局所的な病気、薬剤が扱われているが、多くの点でアリストテレスやガレノスに似たところがある。たとえば病気の4原因は、質料因、形相因、起動因、目的因であるとして、それらを器官、体液、性質、構造、能力などに当てはめている。また苦痛を15種に区別している。生命力こそもっとも重要で、それは生命活動の源泉で、神からの流出であるという。この医学書は、それ以前のどの医学書よりも優れ、6世紀間にわたってその優秀さゆえに支持された。
そのほか、数学ではユークリッドの著作を翻訳したり、物理学では運動、接触、力、真空、光、熱を研究した。また錬金術についてはこれを信じなかった。
[平田 寛]
『伊東俊太郎編、五十嵐一訳・解説『科学の名著8 イブン・スィーナー』(1981・朝日出版社)』