精選版 日本国語大辞典 「イマーム」の意味・読み・例文・類語
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イスラム共同体(ウンマ)の指導者。アラビア語で「先導者」「指導者」の意味で、大きく分けて三つの場合に用いられる。第一は集団で礼拝(サラート)をする際の導師に、第二は、イマーム・シャーフィイーのように、偉大な学者、宗教的指導者に対する敬称として、第三はイスラム共同体の政治的あるいは宗教的な首長の意味で用いられる。ここでは第三の意味について述べる。
預言者ムハンマド(マホメット)の在世中は当然、共同体の最高権威をもつ指導者についての論議はおこらなかった。しかし預言者が没するや、それは共同体の緊急な課題となり、初期の共同体の有力者たちは選挙、前任者による推薦によって、首長たる預言者の後継者(カリフ)を定めた。しかしこれは最終的に共同体構成員全体が、そして実際にはその有力者たちが、選ばれたカリフに忠誠を誓うことで初めて効力をもった。ウマイヤ朝以降実際には世襲制となってしまうが、理念的にはこの共同体の合意に基づいて首長を決めるという方式がスンニー派の伝統となった。スンニー派では、首長としてのイマームは宗教的権威はもたず、聖法の執行者と位置づけられ、その資格や権能についての議論がカリフ論として展開された。
シーア派ではイマームはきわめて重要な意義をもつ。イマーム位は預言者ムハンマドの娘ファーティマと彼の従兄弟(いとこ)かつ女婿(じょせい)のアリーとの子孫にのみ、前任者の神意に基づく指名によって代々伝えられる。預言者と違い、イマームは神の啓示に基づくシャリーア(聖法)をもたらすことはないが、聖法の背後の秘教的知恵を代々伝承し、それに裏打ちされた言行はシーア派ムスリムにとって犯しがたい権威である。イマームは神と人の仲保者であり、人は神を直接知ることはできず、イマームを通してのみ神を知り得、イマームなしには人は神の意志を知り、それに従って生きることもできない。イマームは無謬(むびゅう)であり、誤りを犯す可能性のある人間の合意に基づくスンニー派のイマーム(カリフ)観とは相いれない。一連のイマームを認め、その最後のイマームが「隠れイマーム」として、死んだのではなく、普通の人には見えない姿で存在し続け、将来この世に救世主(マフディー)として再臨し、公正と正義を回復するというメシア思想が結合している。だれをどのようにイマームと認めるかで、シーア派はさらに十二イマーム派、七(しち)イマーム派(イスマーイール派)、ザイド派などに分かれる。
[鎌田 繁]
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「指導者」を意味するアラビア語。イスラームにおいて,通常は集団礼拝の指揮者をさす。そのほかスンナ派では,歴代のカリフと,特に優れた同派の若干のウラマーの称号として使用される。シーア派では,アリーを最初とするイスラーム共同体の最高指導者をさし,それは同時に,コーランの奥義的解釈をムハンマドから代々受け継ぐ者を意味する。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…哲学者はいよいよ純粋に自らの理論をたどり,神学者は哲学者を危険視し始めた。しかし,イブン・ルシュドを最後にムスリムのアリストテレス学派の伝統は絶え,その後はイブン・アルアラビーの神智学と,スフラワルディーの照明哲学の結びついた十二イマーム派の神学的哲学が,イラン世界で独自の発展をとげたため,イスラムにあっては,啓示と理性とのぎりぎりの対決は回避された。 イスラム神秘主義の起源については学者によって意見が分かれ,ある者は外来の要素を重視し,他の者は内的発展の立場に立つ。…
…再度のモンゴル軍の西アジア侵略により,イスラム世界の崩壊の危機を感じた彼は,イスラム法を中心に置いた強力な独裁君主国家の建設を夢見た。〈権威は無政府状態に勝る〉として暴君の存在を容認し,さらに軍事的指導者が自ら宗教的指導者であるイマームの職をも兼任する状態を理想とした国家論を展開した。主著は《イスラム教徒の国家運営論》。…
…その結果,以後のカリフはほとんどすべてこれを称号としており,史料に出るのもこれで,ハリーファではない。一方,コーランにアダムやダビデを地上における〈神の代理〉と規定している記事があることに触発されてか,初期のカリフたちを〈神の代理khalīfa Allāh〉と呼びかけたりしたことがあったが,アッバース朝革命が理念的にはウマイヤ朝カリフの正統性に疑義を唱え,ムハンマド家出身の指導者(イマーム)こそがカリフ位につかねばならないとして戦われた結果,カリフの権威は著しく向上し,カリフ自らも自己を地上における〈神の代理〉であるとして,神権的権威を主張するようになった。そしてそれは,アブー・ユースフのような正統派法学者によっても合法として認められ,そのようなカリフに対して,人々は絶対的に服従するよう求められた。…
…アリーの子フサインはクーファの民の誘いに応じてクーファに向かうところをウマイヤ朝の軍に包囲されてカルバラーで戦死し,受難の英雄となった。685年ムフタールが,アリーの子ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤをイマームおよびマフディーとして奉じ,ウマイヤ朝に対する反乱(ムフタールの乱)を起こした(カイサーンKaysān派と呼ばれる)。その死後,だれをイマームと認めるかをめぐって内部の分裂が進行した。…
※「イマーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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