インド大反乱(読み)インドダイハンラン

デジタル大辞泉 「インド大反乱」の意味・読み・例文・類語

インド‐だいはんらん【インド大反乱】

1857年、インドで起きた英国東インド会社の傭兵(セポイsepoy)の反乱農民も合流し、ムガル帝国の皇帝が指導者として擁立されたが、翌年にはほぼ鎮圧された。英政府はムガル帝国を廃絶させ、東インド会社を解散。インド帝国を樹立して直接支配に切り替えた。セポイの反乱。

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改訂新版 世界大百科事典 「インド大反乱」の意味・わかりやすい解説

インド大反乱 (インドだいはんらん)

インド亜大陸においてイギリス支配に反抗して1857-59年におこった反乱。この反乱を最初に引き起こしたのがイギリス東インド会社の傭兵(シパーヒー)であったため,シパーヒーの反乱,また日本ではセポイの反乱と呼ばれてきた。しかし20世紀初めのインド民族運動の中からこの反乱がシパーヒーのみに担われたものでなく,全民族的な抵抗の第一歩であるとする見方が生まれ,現在のインド,パキスタンの歴史の見方にほぼ継承されている。したがって現在インド,パキスタンなどでは最初の独立戦争とか,単に大反乱とか呼ばれることが多い。

1757年のプラッシーの戦以来,東インド会社は主権を持つ会社としてインドを軍事的に征服し,19世紀前半にほぼその過程を完成させた。最後のムガル皇帝バハードゥル・シャー2世は形骸として存続していたが,いくつか残った藩王国もサターラーやジャーンシーのように,〈王に嫡出子がない場合は養子を認めず,王国は東インド会社が併合する〉とする〈失権政策〉により併合された。多くのシパーヒーの出身地であり,まだ若年の王を頂くアウド王国は〈失政〉を理由に理不尽に併合され,シパーヒーの憤激を買った。さてシパーヒーはプラッシーの戦に東インド会社に使われて以来その人数が膨張し,反乱直前には20万ともいわれたが,征服過程の終了とともに彼らの必要性は減少しつつあった。上層カーストのヒンドゥー教徒や上層イスラム教徒の多いシパーヒーは,海外出兵命令に応じないなど権利意識も高かったため,会社はもっと安く下層の人々を雇おうとし,はじめて彼らの不安をあおった。一方,農村ではイギリスの導入した高額地税制度,イギリス法による裁判制度の施行により土地が商品化され,地主層は没落し,村落共同体は崩壊を迫られた。産業革命以後,安価な商品の流入によりインドの手工業は壊滅した。これらの不満の爆発する導火線になったのが,軍隊における新しい銃の採用であった。新銃の弾薬包には,ヒンドゥー教徒の神聖視する牛脂とイスラム教徒の汚穢視する豚脂が塗布してあり,これを嚙み切って装塡することは,両教徒のシパーヒーにタブーを犯させることにほかならなかった。

1857年5月10日メーラトのシパーヒーは蜂起してデリーに進み,ムガル皇帝を擁立して復権宣言をさせた。同時にシパーヒー6人,民間人4人を選挙で選ぶ行政会議をつくり,軍事・行政権を掌握しようとした。マラータの末裔ナーナー・サーヒブ,ジャーンシーのラクシュミー・バーイー,アウド王国の王子など旧来の支配層の一部も参加したため,反乱を計画的とみる説もある。デリーなどの中心地の陥落後も,大土地所有者の反乱も含め,農民戦争という規定を生むほど農村の抵抗は長く続いた。58年イギリスはインドの直接支配にのりだし,59年に反乱は鎮定された。ヒンドゥー,イスラム両教徒の連帯は高く評価され,村落やカーストのような古い組織がイギリスへの抵抗の中で果たした新しい意味も注目されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インド大反乱」の意味・わかりやすい解説

インド大反乱
インドだいはんらん
Indian Mutiny

1857~58年,イギリス東インド会社支配下のインドで,インド人兵士による反英蜂起に市民や農民らが加わり,北インド,中央インド全域に拡大した反乱。「セポイの反乱」とも呼ばれた。セポイ sepoyはペルシア語源の兵士を意味するシパーヒー sipāhīの英語綴りをローマ字読みしたもので,東インド会社のインド人傭兵をさす。19世紀中頃,イギリスのとった強引なインド藩王国併合策はインドの支配者層をはじめ各階層の不満を高めていた。このような状況のもと,イギリス人がヒンドゥー教イスラム教の教えを無視し,銃の弾薬包に弾丸火薬を詰める際の潤滑剤としてウシとブタの脂を使っているという噂が広がり,これが兵士による反乱の口火となった。1857年5月10日メーラトのセポイが武装蜂起し,翌日にはデリーのセポイと市民に迎えられデリーを占領,ムガル皇帝を擁立しムガル帝国の統治復活を宣言した。以後,反乱は各地に波及し,市民,農民なども加わって大衆暴動に発展,数ヵ月後にはインド全土の 3分の2に広がった。特にアワド王国とその周辺で激しく,ラクノーラクナウ),カーンプルは激戦地となった。イギリスは多数の援軍を送り,1857年9月にはデリーを回復,ムガル皇帝は捕えられ,翌 1858年に廃位となった。イギリスはさらに,ネパール王にグルカー兵(→グルカー族)の出動を承諾させ,1858年3月にアワド王国のラクノーを占領,続いて各地を鎮定し,1858年7月8日反乱鎮圧の声明を出した。インド大反乱当時の情勢は,イギリスの植民地支配に対する不満が連鎖的に爆発したもので,民族的統一の主体もなく,反乱を指導すべき政策や組織もなかったが,インド史上最初の団結をもった反英闘争であり,最初の独立戦争とも呼ばれる点で歴史的意義は大きい。

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百科事典マイペディア 「インド大反乱」の意味・わかりやすい解説

インド大反乱【インドだいはんらん】

1857年―1859年,インド中北部一帯に,インド兵の反乱を発端として,英国支配に坑して起こった大反乱。セポイ(シパーヒー)の乱ともいう。セポイsepoyはイギリス東インド会社のインド人傭兵(ようへい)のこと。英国は同会社を通じて,19世紀前半にはインドの征服をほぼ完了していたが,各地でインド人の反感を招いていた。さらにインド人の宗教慣習を無視したことが直接の原因となって,1857年5月シパーヒーによる武装反乱が起こった。続いて商人や農民もこれに参加し,反英独立戦争の様相をみせた。しかし反乱軍の不統一により,1859年7月には鎮定され,以後インドは英国の直接支配下に置かれた。
→関連項目アジアインド帝国ジャーンシーデリードースト・ムハンマド藩王国南アジアムガル帝国メーラトラクシュミー・バーイー

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旺文社世界史事典 三訂版 「インド大反乱」の解説

インド大反乱
インドだいはんらん
Revolt of Sepoy

1857年5月に起こったインド最初の民族的反英反乱
弾薬筒に宗教上のタブーである牛・豚の脂を使用するといううわさからイギリス東インド会社のインド人傭兵のシパーヒー(セポイ)らによる武装反乱が起こった。彼らはデリーを占領し,数か月後には北インド全域に拡大,農民・封建土侯も合流して大乱に拡大した。しかし,人望のないムガル皇帝バハードゥル=シャー2世を擁立したために反乱軍の内部分裂が起こり,本国から派遣されたイギリス軍によって1859年7月に鎮圧された。その結果,ムガル帝国は滅亡し,インドの統治は東インド会社による間接統治からイギリス政府の直接支配に移された。

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世界大百科事典(旧版)内のインド大反乱の言及

【インド総督】より

…最初の総督はウォレン・ヘースティングズである。15代目のキャニングの時に起こったインド大反乱によってインドが会社領から王領に移管されてからは,総督に副王viceroyのタイトルをつけてインドの副王兼総督あるいは総督兼副王と呼ぶことになった。その最初の用例は1858年のビクトリア女王の布告にみられる。…

【地主】より

…同様の事情はインド北部,西部で有力であったタールクダールにも見られ,かつての大地主・領主層も徴税請負人,小作人に没落する者が続出した。このような没落地主,領主の不満が極度に高まり,それがインド大反乱(セポイの乱)の一因となったと考えられている。南インドではライーヤト(直接耕作農民)と規定し,彼らと直接に地税契約を結ぶというライーヤトワーリー制度が実施された。…

【大英帝国】より

… 奴隷貿易の廃止(1807),航海法の廃止(1849)などにみられる自由貿易政策がとられた19世紀前半には,チリ,アルゼンチンなどラテン・アメリカ諸国の経済を事実上支配下においた。しかし,1857年のインド大反乱(セポイの反乱)を契機として,再度政治的支配領域の拡大にのり出し,まずインド全域を直轄化,これと前後して中近東や中国にも進出,セシル・ローズの策動などによってアフリカでもケープとカイロを結ぶ縦断政策を展開,他の列強と激しく対立した。第1次大戦後は前記ウェストミンスター憲章で各自治領の事実上の独立が認められ,第2次大戦後はインドも独立し,帝国は急速に解体されつつある。…

※「インド大反乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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