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1896~1988
アメリカの中国研究家。ドイツに生まれ,ハイデルベルク大学ではマックス・ヴェーバーに師事。労働運動に従事しながら史的唯物論による中国研究を進める。1934年,ナチス政権をさけてアメリカに亡命。太平洋調査会,コロンビア大学,ワシントン大学などでアジア社会の研究を続け,灌漑治水をもってアジアの官僚国家体制と専制主義を解明しようとした。主著は『東洋的専制主義』(Oriental Despotism,1952)。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…したがって中国の水問題の根本的解決は長江水系の水をいかに多量に華北に送水するかということにあり,現在いろいろの計画がなされている。 ところで,中国の治水灌漑について,ウィットフォーゲルの有名な〈水の理論〉ともいうべき説がある。彼の説は大規模かつ統合的な治水,灌漑の必要性が強大な中央集権的官僚制国家を生み出したということにあるが,中国最初の統一国家である秦・漢帝国は華北を基盤に成立したものであり,この時代にはすでに中国社会の諸特質もほぼ成立している。…
…要するにこの種の組織化が始まることによって,当初は一時的であり限定されていた指導権が恒久化し強化され,ついには世襲化ないしは制度化されて,国家的機構の基礎が築かれるというのである。 従来,国家の起源をめぐって,たとえばF.オッペンハイマーやR.トゥルンワルトが唱えた征服説や,K.A.ウィットフォーゲルの灌漑説などが注目を浴びたが,それらは,サービスの理論によれば,上述の組織化と指導権の制度化を生み出すいくつかの要因の一つにすぎないことになる。国家形成へいたる道筋は必ずしも一つではなく複数でありうるという見解はR.コーエンやL.クレーダーによっても示されている。…
…一般には,他民族を征服して樹立された王朝をいい,その例は世界史上に広く見られるが,とくに中国に対する北方民族の征服行為の結果生まれた中国王朝の一類型を指す語として用いられることが多い。この場合は,正しくは中国征服王朝といい,ウィットフォーゲルが馮家昇(ふうかしよう)との共著《中国社会史――遼(907‐1125)》(1949)の序論で説いた概念として知られる。彼は中国王朝を典型的中国王朝と中国征服王朝に分けた。…
※「ウィットフォーゲル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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