アメリカの劇作家。本名Thomas Lanier Williams。南部,ミシシッピ州に生まれ,不安な青春の中で詩,劇,小説を書き続け,ハリウッドでシナリオを書きながら完成した《ガラスの動物園》(1944)が最初に成功した。南部育ちで昔の夢を追う母,足が悪く極度に内気な姉,文学青年の弟,の一家を描いた抒情的な追憶の劇である。次の《欲望という名の電車》(1947)は,アーサー・ミラーの《セールスマンの死》とともに,戦後アメリカ演劇を代表する傑作とされた。《夏と煙》(1948)も前作と同じく性の抑圧に悩む女性を主人公にしているが,次の《ばらのいれずみ》(1950),《熱いトタン屋根の上の猫》(1955)の2作のヒロインは,抑圧されつつも挫折せず強く自己を主張する野性的な女性である。〈黒い戯曲〉とも呼ばれる3作《地獄のオルフェウス》(1957),《この夏突然に》(1958),《青春の甘き小鳥》(1959)では,孤独な詩人タイプの主人公が迫害されてむざんな最期をとげるテーマが共通している。その後やや明るい作風に転じたが,《調整期間》(1960),《イグアナの夜》(1961),《牛乳列車はもう止まらない》(1963)では,やはり孤独地獄を見つめる作者の姿勢は変わらない。その後も毎年のように新作を発表したが,概して不評である。小説も《ストーン夫人のローマの春》(1950)以後多く,その他詩集,シナリオなどがある。1975年には,赤裸々な《回想録》を発表した。その中で,1950年代後半以降,強度のアルコール依存症や精神障害に陥った破滅的な私生活について告白している。1959年と69年の2回,来日している。
執筆者:西田 実
アメリカの聖公会宣教師。バージニア州リッチモンド出身。ウィリアム・アンド・メリー大学,バージニア神学校に学び,卒業後宣教師として中国に渡り,1859年(安政6)日本開国とともに来日。69年(明治2)大阪に移り,川口居留地に最初の教会を建立。キリスト教禁制が解けた73年最初の主教として東京に移住し,87年英国国教会のビカステスとともに最初の総会を大阪に招集して日本聖公会の組織を確立した。アメリカの高等教育の日本への移植をはかり,1874年,築地に立教大学の前身である私塾を開いた。女子に対する教育の必要も感じ,立教女学院,平安女学院を創設し,聖職者の養成のためには東京三一神学校を始めた。神学的には低教会派に属し,個人の回心,霊的再生,成聖を強調したが,主教としては歴史的信条によって表明された全教会的信仰を強調した。1908年故郷リッチモンドに隠退し,2年後死去。〈道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘズ〉と刻まれた墓碑が日本人信徒有志によって建てられた。
執筆者:八代 崇
トリニダード・トバゴの政治家,歴史学者。1935年オックスフォード大学を卒業後,イギリスで歴史学者を目ざしたが,黒人差別によってその道を閉ざされた。39年アメリカのハワード大学で助教授の地位を得て,48年までそこで学究生活をつづけ,その間古典的名著といわれる《資本主義と奴隷制》(1944)をはじめ多くの業績をあげ,社会経済史学派の立場から黒人奴隷制にかんする〈ウィリアムズ・テーゼ〉を確立した。49年トリニダード・トバゴに帰国後独立運動に入り,56年PNM(人民の国民運動)を結成し,首相に選ばれた。62年トリニダード・トバゴの独立が達成されると引きつづき首相として,同国の近代化と工業化を進め,〈カリブ海連邦〉の結成に努めた。前記のほかに,《帝国主義と知識人》(1966),《コロンブスからカストロまで》(1970)の著書が知られ,それぞれ邦訳がある。
執筆者:神代 修
アメリカの詩人。小児科の開業医だったが,そのかたわら詩,小説,戯曲,評論の各分野に筆を染め,数多くの作品を残した。ニュージャージー州のラザフォードに生まれ,終生そこを生活の基盤として,アメリカの土着のものを題材に,アメリカの日常のことばを使って書いた。同世代のエズラ・パウンドやT.S.エリオットがヨーロッパの伝統と文化を求めてアメリカを離れたのと対照的な立場に立つ。したがって1920-30年代に支配的だったエリオットの勢威が衰えるにつれて評価は高まり,50年代以降後続の世代の詩人に対する影響力は圧倒的なものとなった。ものそのものを描くという主張でイマジズム風の短詩も多く書いたが,代表作は,ニュージャージー州の都市パタソンを舞台とし,それを人格化したパタソン博士の登場する長詩編《パタソン》5巻(1946-58)。
執筆者:沢崎 順之助
アメリカのカントリー・ミュージック史上最大の歌手。アラバマ州の貧しい農家に生まれ,14歳のころからバンドをつくって劇場に出たりラジオ番組を持つようになる。1947年MGMレコード社からレコードを出し始めて全国的な人気を獲得,49年にはカントリー界最高のひのき舞台グランド・オール・オープリーに出演し,《ラブ・シック・ブルース》が大ヒットとなって人気は頂点に達した。続いて自作の《コールド・コールド・ハート》《ジャンバラヤ》などがヒットし,自身の人気を高めただけでなく,カントリー音楽の普及にも寄与した。しかし,もともと病弱のうえ少年時代からの飲酒癖,妻との不和などで生活は荒れがちで,自動車旅行中に心臓発作を起こしてわずか29歳で死亡。
執筆者:中村 とうよう
植民地時代アメリカのピューリタン指導者,開拓者。ロンドン生れ。ケンブリッジ大学卒業後1631年渡米。マサチューセッツの神政政治に反対して追放され,原住民に譲られた土地に政教分離,信仰の自由に基づく植民地(今のロード・アイランド州)を建設。その存立を守るためピューリタン革命期に2回渡英。神学以外に北アメリカ原住民の言語に関する著書もあり,自由の闘士として名高い。
執筆者:久保田 泰夫
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(大江満)
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1911~81
トリニダード・トバゴの歴史学者,政治指導者。国際的な歴史学者として『資本主義と奴隷制』(1944年)などの重要な研究を多数発表すると同時に,「人民による国家形成運動」(PNM)を組織して独立運動を指導し,西インド諸島連合の結成に尽力した。その崩壊を受けて1962年にトリニダード・トバゴが独立したのちは,首相に就任し(在任1962~81),この新興独立国家の発展を指揮した。
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… イギリス国民の海外進出とともに始まるアングリカン・チャーチの海外伝道は福音宣教協会(Society for the Propagation of the Gospel in foreign parts,略称SPG)と教会宣教協会(Church Missionary Society,略称CMS)によって進められ,オックスフォード運動以後は,前者がアングロ・カトリック主義を,後者が低教会派の福音主義を標榜して世界各地で伝道に努めた。日本では1859年アメリカ聖公会のC.M.ウィリアムズとリギンズJohn Ligginsが最初の宣教師として伝道を開始し,CMSが69年,SPGがその4年後に最初の宣教師を送り込んだ。3派の宣教師は87年に大阪で最初の総会を開き,日本聖公会をアングリカン・チャーチの1管区として組織して今日に至っている。…
…学校法人立教学院が経営し,同学院にはほかに小学校,中学校,高等学校がある。1874年,東京築地の居留地にアメリカの聖公会主教C.M.ウィリアムズが開いた聖パウロ学校という英語私塾を起源とする。1907年文科,商科をもつ専門学校として認可され,18年現所在地に移転した。…
…政党は人民民族運動,国家再建連合,統一国家会議など。このうち人民民族運動は著名な歴史学者であるE.ウィリアムズが1956年に結成した政党で,56年以来政権を担当してきたが,86年の総選挙で国家再建連合に敗れた。同党は83年に四つの野党が連合してできたものである。…
…そのため第2次世界大戦前後の愛国心の高揚期に,カントリー音楽は最盛期を迎える。戦後は,アラバマ州出身のH.ウィリアムズが,悲哀に満ちた美しい声で全国的な人気を博したが,53年に彼が死亡したあと,ロックとフォーク・ソングの隆盛に押されがちとなった。60年代以降,ロックやフォークとの中間的なスタイルが生み出されたり,ヒッピー風のカントリー歌手ネルソンWillie Nelsonが現れたりして,形を変えながら現代に至っている。…
…教会政治は各個教会の独立自治にもとづき,政教分離を主張するのが特色。17世紀の初め英国国教会に迫害されてアムステルダムに逃れたJ.スミスによって創立され,アメリカにはピューリタンの一人R.ウィリアムズによって最初の教会がロード・アイランドに設立された(1639)。17世紀にはフロンティアの西漸につれて中西部と南部への伝道に力を注ぎ,現在はアメリカ最大の教派となっている。…
…今日のミュージカルの芸術的価値については疑問があるが,大衆的ジャンルとしてとりわけ商業演劇においては大きな位置を占めている。 文学的戯曲の系譜では,第2次大戦後間もなく地位を確立させたT.ウィリアムズとA.ミラーが重要である。2人の作風は対照的で,前者がおおむねアメリカ南部を舞台にして個人の病的心理を描くのに対して,後者は個人を社会構造の中でとらえようとする。…
…アメリカの劇作家T.ウィリアムズの代表作。1947年初演。…
…この運動が終わったあとも,イマジズムの原理はさまざまな形で現代詩に生きつづけた。説明的な叙述でなしにイメージの連鎖で書くパウンドの大作《詩篇》やエリオットの《荒地》もその延長であるし,またアメリカの話し言葉のリズムを生かしたW.C.ウィリアムズの自由詩も,イマジズムに触発されなければ生まれなかっただろう。【新倉 俊一】。…
※「ウィリアムズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...