ウィーンのオペラ・ハウス。世界でもっとも重要な歌劇場の一つで、ウィーン市のリング(環状道路)の横に建てられ、専属のオーケストラ、合唱団、バレエ団、スタッフを有している。現在地に最初に歌劇場が建てられたのは1861~69年で、69年5月29日に開場。当初はウィーン宮廷歌劇場Wiener Hofoperと称し、ヨーハン・ヘルベックJohann von Herbeck(1831―77)、グスタフ・マーラーらが音楽監督を務めた。第一次世界大戦後はリヒャルト・シュトラウスとフランツ・シャルクが共同で音楽監督を務めたのち、クレメンス・クラウスが監督に就任した。第二次世界大戦末期の1945年3月12日、爆撃により建物は完全に破壊されたため、戦後はアン・デア・ウィーン劇場Theater an der wienなどで公演を続け、55年11月5日、再建された歌劇場における初公演がカール・ベームの指揮で行われた。ベームはのちに音楽監督に就任、後任はカラヤン、マゼールらが務めた。
歌劇場は1999年に民営化され、同年、総監督イオアン・ホレンダーIoan Holender(1935― )のもと、2002年秋から小沢征爾が音楽監督に就任することが決定。2001年9月には直属のオペラ学校が開校している。なお、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーは当歌劇場の楽団員より構成されている。
[美山良夫]
『高崎保男・山崎睦著『ウィーン国立歌劇場』(1985・音楽之友社)』▽『岩下真好著『ウィーン国立歌劇場』(1994・音楽之友社)』▽『音楽之友社編・刊『グランドオペラ25号 ウィーン国立歌劇場と音楽の聖地ウィーン』(2000)』
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