百科事典マイペディア 「ウォツェック」の意味・わかりやすい解説
ウォツェック
→関連項目ワーグナー
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アルバン・ベルク作曲のオペラ。3幕。ゲオルク・ビュヒナーの原作『ウォイツェック』(1837、未完)を作曲者自身が再編して台本を作成した。19世紀初頭、軍隊の駐屯するドイツの小さな村を舞台に、小心で無力な理髪師あがりの一兵卒ウォツェックが、周囲からはさげすまれ、情婦にも裏切られ、ついには彼女を殺して自らも命を絶つ悲劇。ベルクは無調手法を用いて、抑圧された人間の暗いドラマをみごとに音楽化し、20世紀を代表するオペラに仕立て上げた。第1幕第1場は組曲、第2場はラプソディー、第3場は行進曲と子守歌、と各場面に異なる形式を配し、厳格緻密(ちみつ)な構造を志向しているにもかかわらず、その表現は叙情的な場面でも劇的な場面でも、強烈な生命力をもっているのである。1917年台本完成、20年作曲完了、25年ベルリンで初演された。日本初演は63年(昭和38)ベルリン・ドイツオペラ。
[三宅幸夫]
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…このような理由から,すぐれた戯曲がただちにオペラに適するとは限らず,すぐれたリブレットが,文学的価値が高いとも限らない。とはいえ,メーテルリンクの戯曲によるドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》,ワイルドの戯曲によるR.シュトラウスの《サロメ》,G.ビュヒナーの原作によるベルクの《ウォツェック》のように,ごくまれに幸福な結びつきが見られるのも事実である。
[オペラと歌舞伎]
明治年間にドイツに留学した森鷗外は,故郷への便りの中で,オペラという言葉にかえて〈西洋歌舞伎を見た〉と記したという。…
…ドイツを去ったのちの作品として,シュトゥルム・ウント・ドラングの作家J.M.R.レンツの狂気を扱った短編《レンツ》(1836成立,39刊),倦怠と機知と風刺の喜劇《レオーンスとレーナ》(1836),ドイツの社会悲劇において名もない人間を初めて主人公とした《ウォイツェクWoyzeck》(1836成立,79刊,未完。のちA.ベルクのオペラ《ウォツェック》の台本となる)がある。文学史上どの流派にも収まらないビュヒナーは,今日,多くの作家をひきつけているが,死後50年ほどはほとんど無名であった。…
…ベルクのみが未完のオペラ《ルル》(1935)に至るまで生涯表現主義的であり続けた。この時期の代表作としてシェーンベルクの《期待》(1909),《ピエロ・リュネール》(1912),ウェーベルンの《弦楽四重奏のための六つのバガテル》(1913),ベルクのオペラ《ウォツェック》(1912‐24)などがある。なお,ストラビンスキーの《春の祭典》(1913)や,スクリャービンの《プロメテ》(1910)なども同様な内容を持っている。…
※「ウォツェック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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[1864~1915]ドイツの精神医学者。クレペリンのもとで研究に従事。1906年、記憶障害に始まって認知機能が急速に低下し、発症から約10年で死亡に至った50代女性患者の症例を報告。クレペリンによっ...
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