ウォルシュ

百科事典マイペディア 「ウォルシュ」の意味・わかりやすい解説

ウォルシュ

米国の映画監督。ニューヨーク生れ。スタントマン,俳優として映画界入り。ダグラス・フェアバンクス主演の《バグダッド盗賊》(1924年)で監督としての評価を得る。あらゆる題材をこなす職人監督として多くの作品を残した。代表作に《彼奴(きゃつ)は顔役だ!》(1939年)と《白熱》(1949年)のJ.キャグニー主演の2本のギャング映画,H.ボガートが逃亡者を演じた《ハイ・シエラ》(1940年),ボクシング映画《鉄腕ジム》(1942年),西部劇追跡》(1947年),N.メーラー原作の《裸者と死者》(1958年)などがある。

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世界大百科事典 第2版 「ウォルシュ」の意味・わかりやすい解説

ウォルシュ【Raoul Walsh】

1892‐1980
アメリカの映画監督。ハリウッドの巨大な映画産業システムと矛盾,拮抗することなく〈100%アメリカ映画〉を撮り続けた希有な職業監督。無類の悲劇資質に恵まれ,《彼奴は顔役だ!》(1939)ではジェームズ・キャグニー,《ハイ・シエラ》(1940)ではハンフリー・ボガート,《大雷雨》(1940)ではエドワード・G.ロビンソン,《壮烈第七騎兵隊》(1940)ではエロールフリン,《死の谷》(1949)ではジョエルマクリーといった〈タフガイ〉のイメージをもったスターたちに悲惨な死を演じさせ,悲劇のヒーローのイメージを与えた。

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朝日日本歴史人物事典 「ウォルシュ」の解説

ウォルシュ

没年:1900(1900)
生年:1827
幕末に来日したアメリカ人貿易家。ニューヨーク生まれ。弟のJ.G.ウォルシュ(1829~97)と上海で貿易業を営んでいたが,安政6(1859)年来日し,兄弟で長崎,神戸,横浜で商会を設けて貿易に従事,のちフランク・ホール,ジョージ・ホールと共にウォルシュ・ホール商会を設立した。明治8(1875)年弟と共に神戸製紙所(三菱製紙)を設立するなど,日本の洋紙製造のきっかけをつくった。33年離日し,ロンドンで没した。

(武野要子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ウォルシュ」の解説

ウォルシュ Walsh, John Glia

1829-1897 アメリカの貿易商。
T.ウォルシュの弟。上海で兄と貿易業をいとなむ。安政6年(1859)来日。初代アメリカ長崎領事となる。横浜で兄やF.ホールらとウォルシュ-ホール商会を設立,生糸と茶の輸出をおこなう。明治8年兄と神戸製紙所(のちの三菱製紙)を創立した。明治30年8月神戸で死去。68歳。

ウォルシュ Walsh, Thomas

1827-1900 アメリカの貿易商。
J.G.ウォルシュの兄。上海で弟と貿易業をいとなむ。安政6年(1859)来日。横浜で弟やF.ホールらとウォルシュ-ホール商会をつくり,生糸や茶を輸出。明治8年神戸に弟と神戸製紙所(のちの三菱製紙)を創立した。明治33年日本をさり,同年ロンドンで死去。73歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウォルシュ」の意味・わかりやすい解説

ウォルシュ
Walsh, Thomas James

[生]1859.6.12. ウィスコンシン
[没]1933.3.2.
アメリカの法律家,モンタナ州選出連邦上院議員。ティーポットドーム油田疑獄をあばいた人物として有名。

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世界大百科事典内のウォルシュの言及

【ギャング映画】より

…実際,ギャング俳優No.1のジェームズ・キャグニーが初代のGメンを演じ(ウィリアム・キーリー監督《Gメン》1935),エドワード・G.ロビンソンも《弾丸か投票か!》(1936)や《俺が法律だ》(1938)では警察の人間を演じることになる。
[変質と衰退]
 禁酒法時代を背景にした正統派ギャング映画は1939年のラオール・ウォルシュ監督,ジェームズ・キャグニー主演《彼奴は顔役だ!》を〈最後の傑作〉として消滅していき,第2次世界大戦の勃発とともにフィルム・ノワールと呼ばれる,屈折した欲望に生きる人間や悪女を主人公にした新しい時代の犯罪映画の流行にとってかわられることになる。すでにエドワード・G.ロビンソンは《暗黒王マルコ》(1938)では遅れてきたギャングを演じ,《ニューヨークの顔役》(1940)ではギャングのボスが修道僧になってしまうという喜劇的な役を演じている。…

【西部劇】より

… リアリズム志向の西部劇は,インディアンと白人の混血児の悲劇を描いたセシル・B.デミル監督《スコウマン》(1913),虐げられつつ滅びゆくインディアンの悲哀を描いたモーリス・トゥールヌール監督《モヒカン族の最後》(1920)やジョージ・B.サイツ監督《滅びゆく民族》(1926)といった人種問題に目を向けた作品や,《鬼火ロウドン》(1918)あたりから《曠原の志士》(1925)に至るウィリアム・S.ハート監督の人間味と詩情のあふれる〈ハート西部劇〉や,開拓民のキャラバン隊の大移動を描いたジェームズ・クルーズ監督《幌馬車》(1923)や鉄道建設を描いたジョン・フォード監督《アイアン・ホース》(1924)といった西部開拓史そのものに取材した〈叙事詩〉的大作に受け継がれた。1930年には早くも70ミリ作品に挑んだラオール・ウォルシュ監督《ビッグ・トレイル》,そしてオクラホマ20年の開拓史をつづったウェズリー・ラッグルズ監督《シマロン》(1931)のような大作がつくられている。トーキー時代を迎えて,西部劇は馬のいななきやひづめの音や銃声や西部民謡といった〈音声〉の魅力を加えて発展し,他のジャンルと同様に音にふりまわされるという一時の試行錯誤はあったものの,あくまでも野外のドラマという条件のために室内劇のような台詞過剰に陥ることはなく,ラオール・ウォルシュ監督《懐しのアリゾナ》(1929)やキング・ビダー監督《ビリー・ザ・キッド》(1930)で効果的に使われたギターやピアノを使った音楽場面,銃撃戦,野宿のフライパンの中でベーコンの焼ける音といった音の使い方はその後の西部劇にも不可欠の要素となった。…

※「ウォルシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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