百科事典マイペディア 「ウォルムス協約」の意味・わかりやすい解説
ウォルムス協約【ウォルムスきょうやく】
→関連項目ウォルムス|コンコルダート|ザリエル朝|帝国教会政策
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1122年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世と教皇カリクストゥス2世の間に結ばれた協定。1076年以降の叙任権闘争がこれにより収束した。最大の争点は、俗権(皇帝)による司教、大司教、帝国修道院長などの高位聖職者の叙任が(聖職者はこれにより皇帝への奉仕を義務づけられるため)聖職売買(シモニー)に該当するという教皇側の主張と、オットー1世以来いわゆる帝国教会政策によって、国家行政を大幅に教会に託してきた皇帝側の立場との衝突であるが、俗権による叙任(教会領および付帯的世俗権力の授封)と、教権に基づく叙品(司教権の授与)とを分離すべきであるというシャルトル司教イボオの理論により妥協が成立した。聖職者の任命は、教会法に基づく選挙を前提とし、教皇の指輪と杖(つえ)とによる叙品、さらに皇帝の笏(しゃく)による叙任の二重の形式で行われ、ドイツに関しては皇帝の叙任が、ブルグントとイタリアに関しては教皇の叙品が先行するように取り決められた。
[平城照介]
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…具体的には神聖ローマ皇帝や各国の国王,元首とローマ教皇との間で,聖権と俗権との関係,教会事項に政治的権限の及ぶ範囲,国家における聖職者の地位などについての合意を内容とする。中世では1122年のウォルムスのコンコルダート(ウォルムス協約)が有名であるが,これはハインリヒ4世以来皇帝とローマ教皇との間で高位聖職者の叙任権の帰属をめぐって長期にわたって争われていた問題(叙任権闘争)が,ハインリヒ5世とカリストゥス2世との間でイボ・ド・シャルトルの理論に基づいて解決されたものである。これとほとんど同じ内容の協定は,これに先立つ1107年に教皇パスカリス2世とイギリス国王ヘンリー1世との間でも締結された。…
※「ウォルムス協約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「推しの主演ドラマ」[補説]アイドルグループの中で最も応援しているメンバーを意味する語「推しメン」が流行したことから、多く、アイ...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新