日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウグイス」の意味・わかりやすい解説
ウグイス
うぐいす / 鶯
bush warbler
[学] Cettia diphone
鳥綱スズメ目ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。ウメの花が咲くころ人里近くでホーホケキョ(法、法華経)と鳴き始めることから、ハルツゲドリ(春告鳥)ともよばれ、親しまれている。秋から春にかけては平地や低い山で過ごし、チャッチャッという声(笹鳴き(ささなき)という)を出しながらやぶを伝っていくので、このころのウグイスをヤブウグイス(藪鶯)ということがある。夏に山の中でさえずっているときに何かに驚いて、ケッキョー、ケッキョーと鳴きたてるのを「鶯の谷渡り」という。
[竹下信雄]
形態・生態
ウグイスの分布は比較的狭く、日本と、アムール川(黒竜江)から揚子江(ようすこう)にかけての東アジアにのみ産する。日本では小笠原(おがさわら)諸島、南西諸島などにも分布している。渡りについてはよくわかってはいないが、樺太(からふと)(サハリン)南部、南千島、北海道では夏鳥であり、海を越えて渡るものがあることは確かである。本州以南のものは、平地に漂行する程度の、ごく小規模な移動をするものが多いと考えられる。雌雄同色で、上面はオリーブ褐色(いわゆる鶯色)、下面は汚白色。雄が一回り大きく、全長約16センチメートル、雌は約13センチメートル。繁殖期のウグイスは、山地の大きな樹木の生えていない明るいササやぶを中心に生活し、巣はササの枝、または低木の地上1メートルぐらいのところにつくる。巣の外形は、ササの葉を絡ませた球形で、横に丸い入口があいている。卵の数は4~6個で、鳥の卵としては珍しく光沢のある赤褐色。営巣場所の決定、巣づくり、抱卵、育雛(いくすう)はすべて雌だけが行い、雄はもっぱら縄張り(テリトリー)の防衛にあたる。
食物は四季を通じて、昆虫類、クモ類がおもで、低木やササを飛び移りながら、体の上にある枝や葉の裏側を見上げて獲物を探し、伸び上がって、または飛び上がって捕まえる。冬には熟したカキなど、植物質のものも多少とる。ウグイスの好む明るいササやぶは、日本の自然では山火事や崖(がけ)崩れのあとの裸地にのみ一時的に生じるもので、いずれは森林に変わっていき、ウグイスはすめなくなる。しかし現在の日本では、森林の伐採や林道の建設などによって、図らずもウグイスの好む環境づくりに人為的な力が働いている。
[竹下信雄]
人間生活との関係
「梅に鶯」の組合せは日本の伝統的な詩歌や画にしばしばみられ、また物事の組合せが適切なことのたとえに使われる。この語がみられるのは、漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』(751)以降のことで、それまでは「竹に鶯」が普通であった。梅も、もとは日本に自然分布せず、飛鳥(あすか)時代に中国から持ち込まれたものであり、『懐風藻』の「梅と鶯」の詩も中国の詩が下敷きになっている。中国の「鶯」は、全長26センチメートルもある黄と黒の配色が美しいコウライウグイス科のコウライウグイスをさす。また、夜鳴き鶯、小夜(さよ)鳴き鳥などの異名がたくさんあるヨーロッパ産の小鳥は、ヒタキ科ツグミ亜科のナイチンゲールである。
日本のウグイスは、江戸時代から、鳴き声を楽しむために飼われ、夜間も照明を与えることにより、さえずりの始まる時期を早めて正月に鳴かせる「夜飼い」、米糠(こめぬか)、大豆粉、魚粉を混合したものを水で練って、ウグイスなどの食虫性の小鳥の飼養を容易にした「擂餌(すりえ)」などの技術を発達させてきた。また、さまざまな変わった鳴き声を競わせることも広く行われてきたが、現在では自然保護の思想から、ウグイスも含めて野鳥の捕獲と飼養は、「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」によって厳重な許可制がとられている。なお、ウグイスの糞(ふん)は美顔用として江戸時代から用いられてきたが、各種の化学製品が普及した今日では、あまり利用されていない。
[竹下信雄]