精選版 日本国語大辞典 「ウズベキスタン」の意味・読み・例文・類語
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中央アジアに位置する共和国。かつてはソビエト連邦(ソ連)を構成した15共和国の一つ、ウズベク・ソビエト社会主義共和国Узбекская ССР/Uzbekskaya SSRであったが、ソ連崩壊期の1991年8月連邦から独立、従来の地域名を採用してウズベキスタン共和国と改称した。カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタンの各共和国と接する。面積は44万7400平方キロメートル。人口2556万8000(2003年推計)、2956万(2012年推計)。首都タシケント(人口220万、2008年)。カラカルパクスタン共和国(面積16万4900平方キロメートル、人口157万、2007年推計)と12の州に分かれている。国民の80%はウズベク人で、ほかにロシア人(5.5%)、タジク人(4.8%)、タタール人(1.2%)など(1996)が住む。
[木村英亮]
アムダリヤとシルダリヤ両河川の間を占め、国土の5分の4は平野部(トゥラン低地)で、山地は東端だけである。平野部はウスチュルトUstyurt台地とアムダリヤの沖積デルタ地帯、それにキジルクム砂漠の3部分に大別される。ウスチュルト台地は標高200~250メートルの起伏のある台地で、隣接する平野部との境界には明確な段がついている。
山地部は天山山脈、ギッサール山脈、アライ山脈、およびその中間の渓谷である。最高点はギッサール山脈中の最高峰(4643メートル)である。東部のフェルガナ盆地、タシケント・ゴロドノステップ低地、中央部のゼラフシャン渓谷、カシュカダリヤ渓谷、スルハンダリヤ渓谷がこの方面のおもな低地である。
気候は厳しい大陸性で、1年を通じて晴天が多い。1月の平均気温は北西部のヌクスで零下6.3℃、南部のテルメズで3℃である。7月の平均気温は26℃(ヌクス)から32℃(テルメズ)。年降水量は平野部で200ミリメートル、山地で1000ミリメートル以内。雨は主として冬から春にかけて降る。日照時間は190~220日。おもな河川はアムダリヤ、シルダリヤ、ゼラフシャン、カシュカダリヤなどで、主として灌漑(かんがい)に利用される。砂漠地帯には川がなく、住民は地下水を利用している。渓谷や山地からの河川の出口には、タシケント、フェルガナ、サマルカンド、ヒバなどのオアシス都市が開けている。
[加藤九祚・木村英亮]
ウズベキスタンでは16世紀初め、モンゴル系のティームール朝にかわってウズベク人のシャイバーニー朝が興り、ブハラを占領、ヘラトを落とし、フェルガナ、トランスオクシアナを併合、アブドゥッラー2世の治政期にもっとも栄えた。その後ブハラを首都として、アストラハン、マンギット両王朝が続いた(ブハラ・ハン国、18世紀のマンギット朝の下ではブハラ・エミール国)。他方ウズベク人の別派は16世紀にホラズムにヒバ・ハン国、18世紀フェルガナのコーカンドを中心としたコーカンド・ハン国を興し、この三つのハン国の間で抗争を繰り返してきたが、19世紀後半になってロシアに征服された。
ロシアはコーカンド・ハン国を滅ぼし、ヒバ・ハン国、ブハラ・エミール国は保護国とし、1867年タシケントに総督府を置き、綿花栽培のモノカルチュア(単一耕作)植民地とした。
1917年11月1日(新暦14日)、タシケントで、ロシア人鉄道労働者や兵士を中心とするソビエト政府が成立した。国内戦やヒバ・ハン国、ブハラ・エミール国における人民ソビエト革命を経て、中央アジアの民族的境界区分によってほぼ現在(2012年時点)の国境が形成され、1925年にトルクメニスタンとともにソ連の構成共和国として発足した。
1990年3月24日、ソ連構成共和国では初めての大統領として、カリモフが選ばれ、同年11月1日には閣僚会議と首相のポストが廃止され、大統領が内閣を直接統率することとされた。1991年8月に勃発(ぼっぱつ)した、当時ソ連の副大統領であったヤナーエフГеннадий Янаев/Gennadiy Yanaev(1937― )らによるクーデター事件後の8月31日にソ連からの独立を宣言、ウズベキスタン共和国として9月1日を独立記念日とした。同年12月29日の大統領選挙でカリモフが大統領に選出された。カリモフは1995年3月には国民投票で任期を2000年まで延長した。ウズベキスタンではイスラム教徒がかなりの勢力をもっているが、イスラム原理主義は抑圧されている。1992年12月8日には新憲法を採択、1994年12月独立後初めての議会選挙で大統領与党ウズベキスタン人民民主党(旧共産党)が過半数を獲得した。1989年結成の人民戦線ビルリクは非合法化され、宗教政党は禁止されている。
2000年の大統領選挙ではカリモフが再選を果たした。2002年に国民投票で憲法を改正し、大統領の任期を5年から7年へと変更した。2005年5月、東部の都市アンディジャンで武装勢力による刑務所などの襲撃や住民によるカリモフ辞任要求反政府デモなどが起き、その鎮圧の際に治安部隊の群衆への発砲で多数の死者が出た。2007年12月に行われた大統領選挙ではカリモフが大勝した。憲法には連続3選を禁止する規定があるが、1991年の初当選時は憲法制定以前であったことを理由に正当化された。議会は二院制で、議席数は上院100、下院150、任期はともに5年である。
1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)創設協定に調印し、CIS加盟国となった。また1992年1月に中国と、2月にアメリカと国交を開き、3月には国連に加盟した。1994年4月末にはカザフスタン、キルギスと関税の相互撤廃、二重課税防止、決済の障害排除を内容とする共通経済圏創設に関する条約に調印した。さらに同年7月には、中央アジア協力開発銀行の創立でも合意し、3国の大統領・首相による国家間会議も創設され、経済、外交、防衛政策で統一していくことになった。
独立以来全方位外交を進めてきたが、2005年5月のアンディジャン事件をきっかけに、一時ウズベキスタン政府の対応に批判的な欧米諸国との関係が悪化し、ロシア、中国との関係強化が進んだ。すなわち、2006年1月にはユーラシア経済共同体(EAEC=East Asia Economic Caucus)に加盟、6月にはCIS集団安全保障条約機構(CSTO=Collective Security Treaty Orgnization)に復帰を決定した。総兵力は6.7万(陸軍5万、空軍1万7000)ほか。
[木村英亮]
ウズベキスタン経済の基盤は綿であり、かつてはソ連の生産の6割を占め、ソ連の綿工業を支えていた。しかし、投資効率の面からモスクワ周辺の工場の拡張に重点が置かれ、ウズベキスタンの織物工業は自国の住民の需要さえ満たしていなかった。ソ連解体後は、織物工場の建設を進めるとともに、綿の栽培を減らして小麦などを増やし、食糧自給も達成しようとしている。野菜とウリの栽培も盛んである。ブドウをはじめとする果樹の産額も、全中央アジアの半分以上を占める。
エネルギー資源としては天然ガスがもっとも豊かである。主要な産地はブハラ付近のガズリのほか、カシュカダリヤ流域、フェルガナ盆地などである。石油はフェルガナ盆地とブハラで、石炭は主としてアングレンで採掘されている。石油は輸出も可能になった。
冶金(やきん)と化学工業はベカバド、チルチク、サマルカンド、機械類はタシケント、チルチク、コーカンド、アンディジャンなどで生産される。軽工業ではタシケントをはじめ各地に綿織物の工場がある。絹織物の中心はナマンガン、マルギランである。
1992年1月10日価格自由化政策を導入したが、市場経済化は政府の統制下に行われ、地域市場の形成、世界経済への参加へ向け改革を進めており、この点では中国に似ている。
工業労働者は依然としてロシア人が多いので、ウズベク人の都市への進出が期待されている。人口の1%弱の朝鮮人の活躍も目だっている。これに関連して、韓国の進出も目覚ましく、韓国資本との合弁企業が生産した乗用車が走っている。また韓国のソウルとの間に定期航空便も通じている。1994年の工業生産は1990年の99.1%で、CIS諸国のなかではもっとも落ち込みが小さかった。それでも経済成長率は独立以降マイナスが続いたが、1995年になって、農業生産の拡大および好調な輸出に支えられてマイナス0.9%にとどめることができた。その後、経済成長率は高水準で推移。国内総生産(GDP)は389.8億ドル(2010)、1人当りGDPは1199ドル(2009)で、経済成長率は8.1%(2009)に達している。
貿易額は輸出130.4億ドル、輸入88億ドル(2010)。おもな輸出品目は石油、天然ガス、石油製品、綿繊維、金、エネルギー製品、おもな輸入品目は機械設備、食料品、化学製品である。おもな貿易相手国は輸出がロシア、中国、トルコ、カザフスタン、アフガニスタン、輸入はロシア、中国、韓国、ドイツ、カザフスタンである。日本との貿易額は、輸出151億円、輸入68億円(2010)で日本の輸入超過となっている。日本へは金、綿繊維などを輸出し、日本から自動車、ゴム製品などを輸入している。
ウズベキスタンへの主要援助国はドイツ、日本、アメリカ、スイス(2009)などで、日本の援助は2010年度までの累計で、有償資金協力約1249.75億円、無償資金協力約214.63億円、技術協力実績約129.6億円、となっている。
通貨は、1993年11月15日にスム・クーポンが導入されたが、1994年7月1日にスムに変更された。
[木村英亮]
ウズベキスタンを中心とするソ連の綿の生産は、1913年の74万トンから1980年には910万トンへと増大したが、灌漑(かんがい)のためアムダリヤ、シルダリヤの水が利用されたため、アラル海が干上がり、水位が下がって、1980年代後半には北部の小アラル海と南部の大アラル海に分かれた。水位の低下はさらに進み、1960年には53メートルであった海面高度が2000年には34メートルとなり、海面面積はもとの3分の1になった。2005年ごろには南部の大アラル海が東西二つに分断され、東側は2006年から2009年の4年間に8割が失われた。全体として、海面面積は最大時の2割以下になったとみられる。
干上がった海底から、投入された化学肥料や農薬、塩などが飛散し、人々の健康を害し、カラカルパクスタンの幼児死亡率はウズベキスタン全体の平均の4倍である。湖の縮小は、塩分を濃くして魚類を死滅させ漁業を破滅させたばかりでなく、気候にも深刻な影響を与えている。小アラル海はコカラル堤防の完成により海面面積も広がり、塩分濃度も下がりつつあるが、大アラル海の縮小は依然続いている。早急に上流河川の国々を含めた利害関係を調整し、灌漑システムを近代化することが急務である。
[木村英亮]
ウズベキスタンの教育制度は小学校4年、中学校5年、高等学校3年の四・五・三制で、その上に大学4年がある。義務教育は7歳から18歳まで(小学校~高等学校)の12年間。大学にはタシケント国立東洋学大学、タシケント国立法科大学、タシケント国立経済大学、サマルカンド外国語大学などがある。公用語はウズベク語で、ロシア語も共通語として使われている。
新聞には政府系のプラウダ・ボストーカ、ナロードノエ・スロボ、独立系のウズランドなど、通信社には国営のウザ、ジャホンのほかムスリム・ウズベキスタンなどがある。放送には国営のテレビ、ラジオがある。
[木村英亮]
『下斗米伸夫著『独立国家共同体への道』(1992・時事通信社)』▽『中村泰三著『CIS諸国の民族・経済・社会――ユーラシア国家連合へ』(1995・古今書院)』▽『中津孝司著『ロシア・CIS経済の変容と再建』(1996・同文館出版)』▽『清水学編『中央アジア――市場化の現段階と課題』(1998・アジア経済研究所)』▽『木村英亮著『ロシア現代史と中央アジア』(1999・有信堂)』▽『小松久男・梅村坦他編『中央ユーラシアを知る事典』(2005・平凡社)』▽『高橋巌根著『ウズベキスタン――民族・歴史・国家』(2005・創土社)』▽『樋渡雅人著『慣習経済と市場・開発――ウズベキスタンの共同体にみる機能と構造』(2008・東京大学出版会)』▽『ティムール・ダダバエフ著『社会主義後のウズベキスタン』(2008・アジア経済研究所)』
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中央アジア,ウズベキスタン共和国の領域。1924年のウズベク・ソヴィエト社会主義共和国の成立によって画定された。「ウズベク人の住地」を意味する。全般的に乾燥気候であるが,アラル海に注ぐアム,シル両河,ザラフシャン川流域などでは灌漑農業が発達し,古くからイラン系住民によるオアシス都市文化が栄えた。アラブの侵入を受け,8世紀から徐々にイスラーム化が進む一方,草原地帯からのトルコ人の移住によってトルコ化が進展した。イスラーム期にもこの地の文化的先進性は保たれ,多くの学者が輩出した。モンゴル帝国崩壊後,1370年に即位したティムールは,ここを拠点に西アジアに広がる一大帝国を築いた。ウズベク人の支配時代,ソヴィエト時代をへて今日に至っている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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…16世紀に,ウズベク族が西トルキスタンを中心に建設した国家。1500‐99年。ジュチの第5子シバンShiban(シャイバン)を始祖とするためにこの名で呼ばれる。アブー・アルハイル・ハーンは,ウズベクを統一して,キプチャク草原に遊牧国家を建設したが,その孫のシャイバーニー・ハーンは,定住地帯に攻め入り,ティムール朝を破り(1500),これにかわって西トルキスタンからホラーサーンを支配する国家をうちたてた。…
※「ウズベキスタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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