ウマ(馬)(読み)ウマ

百科事典マイペディア 「ウマ(馬)」の意味・わかりやすい解説

ウマ(馬)【ウマ】

奇蹄目ウマ科の哺乳(ほにゅう)類。ウマ類は第三紀の初め(5000万年前)に北アメリカに出現したが,第四紀初めにアジア大陸に渡り,旧世界で現在のウマ類へ進化した。ロバ類,シマウマ類を除く狭義のウマ類では,現生の真の野生種はモウコノウマプルジェワリスキーウマ)だけで,モンゴルの草原などにすむ。家畜のウマはモウコノウマの1亜種のタルパン(1800年代後期に絶滅したが,もどし交配で復活。現在は各地の動物園で飼育)を飼いならしたものと思われ,イラン高原,西トルキスタンの草原などいくつかの場所で前3000年代ころ同時に家畜化されたと考えられる。現在は大きさや形の違う200ほどの品種がある。 肩高は1.2〜1.8m,多くは1.5mほど。頭頂部から肩までの頸(くび)すじに長毛のたてがみがあり,蹄(ひづめ)は大きく頑丈。毛色は特別な呼び名が使われ,青(全体が黒色),栗(くり)毛(全体が栗色),鹿毛(かげ)(たてがみ,尾,肢先が黒く,他は褐色),月毛(全体が白色),葦(あし)毛(白色と濃い色の毛が混じる)などがある。性質はおとなしく,乗用(競走用),運搬用(輓(ばん)用),農耕用などに使われ,特に交通や機械の発達していなかった昔は,最も重要な家畜の一つであった。肉はさくら肉といって食用にされ,骨,皮も利用される。おもな品種に次のものがある。〔乗馬用・競走用〕 体は比較的小柄で品位に富み,機敏。サラブレッド種,アングロ・アラブ種,アラブ種など。〔軽輓用〕 乗用馬よりは頑丈で,軽い車を引くのに適する。アングロノルマン種(フランス原産)やハクニーホース種(イギリス原産)など。〔重輓用〕 大型,きわめて頑丈で力が強い。荷車や重いすきを引くのに使う。ペルシュロン種(フランス原産),シャイア種(イギリス原産)など。 日本在来のウマは小型なモウコノウマ系のもので,東北の南部馬,秋田馬,三春馬,九州の薩摩馬などが知られる。しかし明治以後,外国産の品種を移入・交配したため,ほとんどが姿を消し,現在では北海道和種(道産子(どさんこ)),木曾馬や,宮崎県都井岬の御崎馬など7馬種がわずかに昔の姿を伝えているにすぎない。
→関連項目家畜

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世界大百科事典 第2版 「ウマ(馬)」の意味・わかりやすい解説

ウマ【ウマ(馬) horse】

奇蹄目ウマ科ウマ属の哺乳類現世のものはウマ科ウマ属しかない。ウマ属には,ウマ亜属(プシバルスキーウマ,家畜のウマおよび絶滅したターパン),アジアノロバ亜属(オナジャー,キャン),グレビーシマウマ亜属(グレビーシマウマ),シマウマ亜属(サバンナシマウマ,ヤマシマウマ,絶滅したクアッガ)と,それらと古く分かれたロバ亜属(アフリカノロバと家畜のロバ)がある。北アメリカ起源であるが,現代では野生種はアジア,アフリカにだけ分布する。

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世界大百科事典内のウマ(馬)の言及

【白馬節会】より

…宮廷年中行事。天皇が正月7日に〈あおうま〉を見る儀式。大伴家持が〈水鳥の鴨の羽の色の青馬を……〉と《万葉集》に詠んだように,はじめは青馬であったが,平安中期より白馬と書くようになった。しかし,その後も〈あおうま〉とよんでいる。中国において青は青陽,春をさし,馬は陽の獣であるところから,この日に青馬を見るという儀礼があり,年中の邪気をさくという風習が日本に伝わり,日本の祓(はらい)の思想と結びついたもの。…

【アメリカ・インディアン】より

…河岸段丘上に散在する半地下式の竪穴住居と菜園的な農耕地からなる小集落が散在し,狩猟のおりにはイヌにトラボイとよぶ軽便な運搬具を引かせて荷物の輸送をした。 スペイン人の進出につれて南西部に導入されたウマが大平原地方にも取り入れられると,伝統的な大平原の農耕社会は,ウマの機動力を利用するバイソン狩猟に基礎をおく遊動的社会になり,住居も半円錐形のティピに変わった。そのころ,東部地方に植民地を建設したヨーロッパ人と毛皮交易に従事していた東部森林地帯の原住民の一部も,枯渇する小動物を求めて西方に移動し,大平原地方に進出した。…

【厩神】より

…厩にまつられる神で馬の守護神の総称。馬頭観音を馬の守護神としてまつることは広く見られ,死馬の供養のため馬頭観音の石碑を立てることも一般的である。また駒形明神も馬の守護神とされる。このほか東日本では蒼前様(そうぜんさま)をまつることが多く,この神をまつる棚をソウデンダナと称するところもある。このほか鹿児島県曾於郡ではハヤマサマ,中国地方,とくに山口県などではオンバンサマ,長崎県壱岐島ではクサゴエサマと呼ばれる神がそれぞれ馬の守護神とされている。…

【絵馬】より

…神社・仏閣あるいは小祠・小堂に,祈願または報謝のために,馬その他の図を描いて奉納する絵。大別して専門画家が筆をふるった扁額形式の大絵馬,名もなき市井の画家や絵馬師,奉納者自身が描いた小絵馬がある。絵馬の起源については神と馬とのかかわりあいが根源となる。日本では古くから馬は神の乗りものとして神聖視され,祈願や神祭に神の降臨を求めて生馬を献上する風があった。また一方,生馬に代わって馬形を献上する風もおこった。…

【生類憐みの令】より

…7~8世紀に牛馬屠殺祈雨風習の禁令,百姓私畜のイノシシの放養令,殺生禁令等があり,鎌倉幕府の殺生禁令をもふくめて,日本史上生類愛護の趣旨をふくむ政策は少なくないが,徳川綱吉政権の一連の政策が,とくに生類憐みの令とよばれる。この名称で総括したひとつの幕法は存在せず,その趣旨の法や措置をよぶため,始期についても諸説がある。1685年(貞享2)7月将軍家御成先で犬猫をつなぐに及ばずとし,9月馬のすじをのばすことを禁じ,11月将軍家台所での魚貝類使用をやめる等の措置を早い例とし,87年正月捨子,捨病人,捨牛馬をきびしく禁じて以来,格別に強化されたとするのが通説に近い。…

【新生代】より

…古第三紀には,現在のように形態がそれぞれの生活様式に従って分化していない原始的な種類が多かったが,新第三紀に入るとともに急速な分化がおこって,多様な形態の草食獣や各種の肉食獣が発展して現在に至っている。たとえば,草食獣を代表するウマは,古第三紀中ごろにその祖型が現れたが,キツネほどの大きさで森林にすんでいた。それが長い四肢をもち,草原を走る大型草食獣に進化したのはキク科,イネ科など草本類を主体とする草原が大陸内部に広がった新第三紀以後のことである。…

【大道芸】より

…繁華な大道や街頭,また仮設の掛け小屋などで行われるさまざまな芸能の総称。〈辻芸〉とも呼ばれる。
[日本]
 ほとんどすべての芸能は,その発生期においては屋外の大地の上で行われており,むしろ芸能にあっては,長く〈屋外の芸〉もしくは〈大道の芸〉という芸態が当然のことであった。しかし,特に近世以降に人形浄瑠璃,歌舞伎といった舞台芸能が発展すると,〈門付(かどづけ)芸〉〈見世物〉〈物売り(香具師(やし))の芸〉なども広く含めたもろもろの大道の雑芸(ざつげい)は,舞台芸能とははっきり区分けされて意識されるようになった。…

【畜産】より

…農業生産は植物生産と動物生産の二つに大別されるが,養蚕を除く動物生産にかかわる農業が畜産である。畜産は家畜飼養を中心にした農業だということになるのであるが,人間生活にとけこんでいる家畜家禽(かきん)のなかには犬,猫,小鳥といった愛玩用の動物も含まれており,畜産という場合はこれらの愛玩用家畜・家禽は含めない。役用に供する,肉にする牛・・鶏・七面鳥,卵をとる,乳を搾る乳牛,毛をとるなど,生産目的に飼養する家畜が畜産の対象家畜である。…

【動物】より

…動物とは,他の生物を食べて独立生活をする生物の総称で,分類学上,植物界に対して動物界Animaliaを構成する。
【動物と植物】
 動物も植物もその体は,水,無機塩,炭水化物,脂肪,タンパク質からなるが,消耗した成分を補い,新しい組織をつくるなど,生活に必要なエネルギーを得るためには栄養分が必要である。緑色植物は栄養分としての炭水化物を,光のエネルギーを用いた炭酸同化(光合成)によって大気中の二酸化炭素と水からつくり出す能力をもっている(独立栄養)。…

【肉食】より

…鳥獣の肉を食することをいう。人類は雑食的な高等猿類の延長上にあって,単に植物食だけでなく動物食つまり肉食もするということは,あらためていうまでもない。肉食には動物の殺害が不可避であるが,他の動物を殺すことに,われわれと同じ生命の略奪を感じとるか否か,それは観念世界のあり方にかかわる。そこに人の殺害にも似た行為をみるとき,殺生あるいは肉食が,倫理的問題として浮上してくる。またそれとかかわって,肉食のための殺害法,解体法,そして調理法が,儀礼的作法として問題視される可能性をもつ。…

【博労】より

…馬喰,伯楽とも書く。古くは伯楽の字が用いられ,馬のよしあしを見る人,または馬の病を治療するものを指したが,中近世では牛馬の売買あるいはその仲介を業とするものを意味するようになった。史料的には《北条九代記》の中に,1280年(弘安3)11月の鎌倉の火災について〈柳厨子より博労坐に至る〉と記されているのが初見で,当時からを形成していたことが知られる。京都では《庭訓往来》に〈室町伯楽〉とあるように五条室町の馬市が有名であり,この馬市で活躍する伯楽は,室町座を形成し,石清水八幡宮駒形神人の支配を受けていた。…

【馬上衆】より

…戦国~江戸時代,馬に乗って戦場に臨むことのできた武士。平安時代後期から鎌倉時代にかけては,騎馬戦が主たる合戦方法であったために,武士の多くは馬に乗って参戦した。南北朝時代ころから戦闘に鑓(やり)が多く使用されるようになって,合戦は歩兵による集団戦が主流になった。合戦の変化にともなって,馬に乗って参陣する者は,合戦において馬の上から指揮をとる侍大将のような身分の高い者と,これを警固する親衛騎馬隊といった特別の者に限られるようになった。…

【馬肉】より

…桜肉ともいう。ウマは,ウシ,ヤギ,ヒツジ,ブタが家畜化された時代よりも遅く,前3000年ころ家畜化された。ウマは家畜化された後も役用,乗用,とくに戦闘用としてたいせつに取り扱われ,食用にされることは比較的少なかった。…

【牧】より

…馬や牛を放し飼うために区画された地域。《和名抄》に〈むまき〉とみえ,この訓は〈馬城〉あるいは〈馬置〉の意といい,馬飼の音のつまったものともいう。《日本書紀》天智7年(668)7月の〈多(さわ)に牧(むまき)を置きて馬を放つ〉の記事を初見とするが,以前から各地に牧が置かれていたことは確かである。
[古代の公牧]
 牧には公牧と私牧とがあるが,律令制の整備につれて公牧の制度は急速に整い,《続日本紀》慶雲4年(707)3月条に〈(てつ)の印を摂津,伊勢等23国に給いて牧の駒,犢(こうし)に印せしむ〉とみえる。…

【竜】より

…想像上の動物。
[中国]
 中国では鱗介類(鱗(うろこ)や甲羅を持った生物)の長(かしら)だとされる。竜は平素は水中にひそみ,水と密接な関係をもち,降雨をもたらすとされる。しかし竜のより重要な性格は,時がいたれば水を離れて天に昇(のぼ)ることができるという点にあり,この地上と超越的な世界を結ぶことに竜の霊性の最大のものがある。仙人となった黄帝が竜に乗って升天したり,死者が竜あるいは竜船に乗って崑崙山に至るとされるのも,竜のそうした霊性を基礎にした観念である。…

※「ウマ(馬)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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