カナダ生まれのアメリカのジャズ・ピアノ奏者、編曲者、作曲家。本名イアン・アーネスト・ギルモア・グリーンIan Ernest Gilmore Green。オーストラリア出身の両親のもとにトロントで生まれ、幼児期にアメリカ、カリフォルニア州ストックトンに移住し、そこで育つ。14歳のときルイ・アームストロングの演奏を聴きジャズに関心を持つ。作編曲を独学で学び、1933年に地元でダンス・バンドを結成する。
1941年クロード・ソーンヒルClaude Thornhill(1909―1965)の楽団のアレンジャーとなり、途中本人およびバンド・リーダーが軍務についたため中断期間があるが、1946年バンドが再結成された時もアレンジャーとして参加する。この時期、当時としては珍しいチューバ、フレンチ・ホルンを使用した彼の斬新なアンサンブルは、ミュージシャンの間で高く評価された。特にトランペッターのマイルス・デービスは、彼のアイディアをもとに1948年「九重奏団」を結成し、翌1949年から1950年にかけてアルバム『クールの誕生』を録音する。これ以降マイルスとの音楽的関係が続き、1957年にはアルバム『マイルス・アヘッド』、1958年『ポーギー・アンド・ベス』、1959~1960年『スケッチ・オブ・スペイン』と、マイルス作品のアレンジを担当する。また1961年には、マイルスと組んだライブ・コンサートをカーネギー・ホールで開き成功を収める。とはいえ1950年代から1960年代にかけてギル自身のアルバムは決して多くなく、1957年『ギル・エヴァンス&テン』、1960年『アウト・オブ・ザ・クール』、1961年『イントゥ・ザ・ホット』など、数枚を数えるにすぎない。
1969年に録音したアルバム『ギル・エヴァンス』からエレクトリック楽器を使用するようになり、1970年代には、ニューヨークのジャズ・クラブ「ビレッジ・バンガード」に月曜日の夜自らのオーケストラを率いて出演する「ザ・マンデイ・ナイト・コンサート」が、不定期ながら1970年代末まで続く。1970年代は彼の音楽の新たな発展の期間でもあり、エレクトリック楽器とアコースティック楽器を巧みに融合させた彼のアレンジは、多くの傑作を生んだ。1973年の『スヴェンガリ』、ロック・ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスJimi Hendrix(1942―1970)の曲を取り上げた1974年の『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』など、従来のビッグ・バンド・サウンドを大きく変えるものだった。
日本のジャズ界とも関係が深く、1972年(昭和47)ジャズ・ピアノ奏者菊地雅章(まさぶみ)に招かれ来日し、共演アルバムを制作している。ヨーロッパにもたびたび赴(おもむ)き、1973年には、スウェーデン・ラジオ・オーケストラのために編曲と指揮を行い、1976年には自らのバンドを率いてヨーロッパ・ツアーを行っている。また、1978年にはイギリスの「ロイヤル・フェスティバル・ホール」でコンサートを行い、その模様がレコーディングされた。1983年からニューヨークのジャズ・クラブ「スウィート・ベイジル」で「ザ・マンデイ・ナイト・コンサート」が復活し、大きな反響を呼ぶ。以後1987年までこのコンサートは続いた。
1988年体調不良のため入院、その後転地療養先のメキシコで腹膜炎のため死去。彼の業績は、ジャズのビッグ・バンドに新たなサウンドを持ち込み、また、1970年代以降のジャズのエレクトリック化においても、通俗に陥ることなくビッグ・バンドの表現の幅を広げたところにある。そのサウンドの特徴は、巧みな楽器選択とアレンジによって生み出される、深みと奥行きのある音色である。
[後藤雅洋]
アメリカの写真家。ミズーリ州セントルイスに生まれ、各地を転々とし、シカゴやパリで教育を受ける。25歳で写真を志し、建築写真に専念するが、第一次世界大戦後の大恐慌時代に、ロイ・ストライカーRoy E. Stryker(1893―1975)が指導する合衆国政府農政安定局(FSA)に参加、ベン・シャーンやドロシー・ラングらとともに農業従事者の苦境を写真で記録する仕事に携わる。彼の作品はFSAメンバーのなかでも、とくにヒューマニティーにあふれ、描写の精度も高いものであった。1930年代に、ニューヨークの地下鉄で隠しカメラによって車内の乗客を撮る試みを行ったが、このときの作品は斬新(ざんしん)なカメラ・アイで、都市生活のヒューマン・ドキュメントに新たな1ページを加えることとなった。
[平木 収]
『American photographs(1975, East River Press, New York)』▽『Walker Evans ; Photographs for the Farm Security Administration, 1935-1938(1975, Da Capo Press, New York)』▽『Walker Evans ; Havana 19331st American ed.(1989, Pantheon Books, New York)』▽『James Agee, Walker EvansLet Us Now Praise Famous Men ; Three Tenant Families(2001, Mariner Books, New York)』
「アメリカのワット」とよばれる発明家。デラウェア州のニューポート近くの農家に生まれ、15歳で車大工の徒弟になり、余暇に独学した。25歳のとき兄弟とともにウィルミントンで、人手を要しない水力製粉工場の操業に成功した。受け入れた原料の穀粉の計量から、挽臼(ひきうす)による製粉、篩(ふるい)分け、樽(たる)詰めまで自動化するオートメーションの先駆である。のち蒸気機関の改良を志し、1797年に蒸気車の特許をとった。1804年フィラデルフィア・ドックのために鎖式バケツをもつ最初の蒸気機関式浚渫船(しゅんせつせん)を建造し、また同年アメリカ最初の高圧蒸気を使う直動式鉛直型定置機関を建造し、イギリスのトレビシックとともに熱効率を最大限に利用する高圧機関の先駆者となった。1807年フィラデルフィアに鉄工所を建設し、生涯に50台の機関を製作した。しかし1819年、工場は放火にあい、多くの発明が実用化できず、失意のうちに没した。
[山崎俊雄]
イギリスの考古学者。名門エバンズ家の出。父は銀行家で考古学者としても知られたジョンJohn(1823―1908)、母はハリエットHarriet Ann Dickinson(1820―58)、異母弟に著述家のジョアンJoanがいる。早くから考古学を志し、オックスフォード大学、ドイツのゲッティンゲン大学に学び、オックスフォード大学のアシュモリアン美術館の学芸員となった。1900年、クレタ島のクノッソス遺跡の発掘に着手し、40年近く、壮麗なミノス王の宮殿の発掘と復原に従い、それまで知られていなかったミノス文明の究明に偉大な功績を残すとともに、1909年、オックスフォード大学教授となり弟子を養成した。彼はひとりミノス宮殿の実態の解明ばかりでなく、ミノス文明の時期区分を確立し、前ミノス文化の存在をつきとめ、ミノス文字の解読に挑戦した。主著に『ミノス文字』『クノッソスのミノス王宮殿』などがある。
[角田文衛]
アメリカのジャズ・ピアノ奏者、作曲家。ニュー・ジャージー州プレインフィールド生まれ。16歳で兄と楽団を結成。1958年マイルス・デービス六重奏団に参加して注目され、59年に天才ベース奏者スコット・ラファロを含むトリオを結成して人気を高めた。白人らしい端正なスタイルの名手で、知的な叙情をたたえた魅力は大きい。代表作に『ワルツ・フォー・デビー』がある。
[青木 啓]
アメリカの発明家,機械技術者。デラウェア州ニューポート近郊の農家に生まれたが,14歳から車大工の徒弟になり,木工機具の製作に携わった。梳刷(くしばけ)の歯の手仕上作業に従事していた23歳のころ,1分間に3000歯を,今までよりも正確かつ完全につくる機械を考案した。25歳からは製粉業をしていた兄とともに働くことになったが,ここでも穀物を運ぶコンベヤやエレベーター,粉かきなどを組み合わせた製粉機械をつくった。車大工の徒弟のころから,彼は馬などに頼らずに陸上で車を動かす方法について考えており,蒸気力のことを知るや,これこそこの問題を解決するものと言明していた。1803年,蒸気機関の製作を開始し,翌年には初めての蒸気浚渫(しゆんせつ)機をつくった。これは8~10気圧で,アメリカで初めての高圧蒸気機関であった。さらに,翌05年には陸上を走らすため蒸気自動車をつくった。これらの数々の発明をしたにもかかわらず,経済的には必ずしもめぐまれず,18年放火によって工場を焼かれ,失意のうちに世を去った。
執筆者:植村 幸生
ミノス文明の発見・命名者。イギリス先史考古学の創始者の一人ジョン・エバンズJohn E.(1823-1908)の子。1900年クレタ島のイラクリオンの南方にあるケファラの丘(クノッソス)で私費をもって発掘を始める。以来ミノス文明最大の宮殿の全体と付近の発掘と研究に生涯をかける。ここで数階建ての複雑な建築,みごとな多くの壁画,工芸品,陶器などを発掘して,古代文明史上に輝くミノス文明の全容を確定した。その発掘は精密細心,調査は徹底的で,広い視野をもつ。代表作《クノッソスにおけるミノスの宮殿》4巻,7冊(1921-35)はミノス文明についての最高の大著である。また宮殿の一部を上部まで復原に成功し,この宮殿にもとづいてミノス文明の時代区分を確立。そのことによりエーゲ文明全体のより精細な編年を確立したが,その年代は今日も基本となっている。解読しえなかったが《ミノス文字》その他の著もある。
執筆者:村田 数之亮
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…上述した地域にはギリシア文明が続いて興るので〈前ギリシア(プレヘレニック)文明〉と呼ぶこともできるが,この文明はギリシア文明の前段階でも先駆でもなく,独自の性格をもつ。 19世紀末から始まるシュリーマンやA.J.エバンズなど多くの学者の調査と研究により,エーゲ文明の中には,トロイア,キクラデス,ヘラドス,ミノス(ミノア),ミュケナイの諸文明が区別される。なおテッサリアの発達した新石器文化も付随的にふれられる。…
…モンテリウスは,北ヨーロッパから始めて,南ヨーロッパ,エジプト,オリエントの出土品まで,その整理方針を適用した。とりわけイギリス人A.J.エバンズによってクレタ島のクノッソス宮殿が発掘された結果,青銅器の変遷が層位的事実とあいまって,みごとに説明できることとなった。このエーゲ文明の分類が基準となって,研究の遅れていた西ヨーロッパ,中部ヨーロッパ,東ヨーロッパの青銅器時代が明らかとなった。…
…エバンズにより名づけられたミノア文字(絵文字,線文字A・Bに大別)のうち,最も新しい書体で,前16~前12世紀にかけて使用された。ミュケナイ文字ともいわれ,おもに粘土板や壺に書かれたものが現存している。…
※「エバンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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