セックスの行為は、それ自体では別にエロティックではない。そのイメージを喚起したり、暗示したり、表現したりすることがエロティックなのである。つまりエロティシズムとは、生物としての人間の本能的な欲望や生殖行為とは無関係な、本質的に心理的な基盤から発するものであるから、人間のあらゆる文化的伝統、神話、習俗、宗教、芸術などのなかに、深くその根を下ろしている。ギリシアの神々の集まるオリンポス山は、古代人たちの自由な性生活をそのまま反映している。聖書のアダムとイブの物語は、男女間のエロティシズムが文化や労働の発生の根源に横たわっていることを示しており、遊牧民族の厳しい生活や風土的条件を反映している。日本の古代神話なども、むしろギリシアに近い農耕民族の恵まれた生活を反映しているといえよう。ポンペイの壁画などにみられるように、古代人の性生活はきわめて自由なものであったし、その造形的表現も、現代人には想像も及ばない開放的な性格を表していたと思われる。
ヨーロッパの中世はキリスト教の時代であり、精神的な価値が重んじられたから、一般にエロティシズムの表現は衰微したようにもみられているが、かならずしもそうではなかった。罪の観念や悪魔のイメージが、これほど民衆の間に強迫観念のように広まった時代はなく、その造形的表現も、たとえばロマネスクやゴシックの寺院の石造彫刻などに、はっきり現れている。魔女迫害は、一種の社会的現象であって、神学によって否定された肉の快楽の、いわば復讐(ふくしゅう)であり、抑圧された民衆の集団的ヒステリーの爆発であった。カトリックの異端糾問(きゅうもん)や拷問の精神は、精神分析学的にみれば、病的なサディズムの現れにほかならない。このような中世のキリスト教的偽善を暴き、これに辛辣(しんらつ)な嘲笑(ちょうしょう)を浴びせかけたのが、勃興(ぼっこう)するルネサンス期のブルジョアたちのエロティックな芸術である。ミケランジェロやラファエッロが造形的な面で再発見した古代の健康な肉体は、ボッカチオやアレティーノが文学で表現した赤裸々な真実と、ぴったり重なり合うものだった。ルネサンスとともに、人間は世界の中心に裸で登場することになった。同時にまた、人間をあるがままに表現するというこの時代の精神は、新しい実験科学の発達を促し、写実主義を誕生させ、性生活における古いタブーを破壊するという結果を生ぜしめた。
スペイン説話の主人公ドン・ファンは、性のタブーを蹴(け)散らした象徴的な英雄である。実生活の面でも、フランス18世紀のサド侯爵やカサノーバのような、あえて宗教的束縛に挑戦し、性の全面的自由と個人主義を堂々と主張する文学者が現れた。この精神は、社会的には18世紀のブルジョア革命につながり、文学的には、19世紀初頭のロマン主義の台頭に結び付く。つまり近代のエロティシズムの歴史は、セックスに関する宗教的迷信やタブーの徐々に崩壊してゆく過程の歴史である。厳密な意味での性科学は、20世紀になるまでだれも手をつける者がなかった。ハベロック・エリス、ジクムント・フロイト、アルフレッド・キンゼイらの学者の努力により、初めてエロティシズムの科学および哲学は、学問としての市民権を得たといってよい。とくにフロイト一派の無意識の心理学によって、あらゆる人間活動の根底にリビドー(性的欲望)が横たわっていることが主張されたのは、20世紀の画期的なことであった。大衆社会状況とよばれる現代の特徴の一つは、エロティシズムの大衆化であり、それは映画やテレビや活字などのあらゆるメディアや、ストリップショーやヌード写真などのセックス産業や、ファッションなどのあらゆる風俗現象によって、広く世界中に流通している。
[澁澤龍彦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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