翻訳|oil shock
1970年代から80年代初頭にかけて2度にわたり発生した石油供給途絶危機。第1次は73年の第4次中東戦争勃発をきっかけに原油価格が急騰。日本経済を直撃し、戦後続いた高度経済成長が終わる要因となった。物不足への不安からトイレットペーパーの買い占めが起きるなど、社会的な混乱も広がった。第2次は79年のイラン革命の影響による同国からの輸出停止が引き金となった。原油価格が約3年間で3倍近くに跳ね上がり、世界経済に打撃を与えた。
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石油ショック、石油危機などともいう。1973年(昭和48)10月に勃発(ぼっぱつ)した第四次中東戦争においてアラブの石油産出諸国がとった石油戦略による世界経済の一大変動のこと。第四次中東戦争が始まると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC(オアペック))と石油輸出国機構(OPEC(オペック))は原油生産削減とアメリカ、オランダ向け輸出の禁止、さらに輸出価格の4倍化を断行した。これにより原油価格のみならず石油製品価格も暴騰し、石油市場が混乱した。第二次世界大戦後の西側経済は低価格の石油を大量に消費する「資源浪費型経済」をとってきたので、こうしたアラブの石油戦略はその土台を揺るがすものであり、とくに石油の大半を輸入に頼ってきた日本において、その影響は重大であった。同年11月政府は一般企業への石油、電力20%削減と民間の資源節約を要請し、国民に対しては「節約は美徳」を提言した。このなかで一部企業は、原材料の買い占め、売り惜しみ、便乗値上げを行い、なかには「千載一遇の好機」として、意図的に「物不足」を宣伝するものも現れた。このため国民の間にパニックを引き起こし、紙、洗剤、砂糖などの買いだめ騒ぎが起こり、国民は「狂乱物価」に苦しんだ。オイル・ショックの影響は、単に経済面だけにとどまらず、従来イスラエル支持政策をとってきた政府は、急遽(きゅうきょ)、原油確保のために親アラブ的な中東政策へ転換した。
しかしこの時期、原油供給量が大幅に落ち込んだわけではなかった。国際石油資本(メジャー)は独自のルートで原油を確保し各国に供給する一方、供給価格を大幅に引き上げて法外な利潤を獲得し、さらに原油価格の上昇を製品価格に転嫁し、ここでも法外な利潤を獲得したのであった。つまりこの時期に盛んに宣伝された「エネルギー危機」も、短期的にみれば、またつくられたものであった。しかし長期的にみれば、石油の乱掘、浪費が真の「エネルギー危機」をもたらすことは明らかであり、とくに日本のような、「エネルギー革命」の名の下に石炭産業を破壊してきた政策こそ、真の「エネルギー危機」を招くものである。
オイル・ショックは、低価格の原油供給という戦後経済の基礎を崩壊させ、高度経済成長に終止符を打った。これ以降、世界経済は低成長、長期不況時代へ移行していく。それに加えてアラブ産油国の政治的発言力の増大と、アメリカを中心とする西側先進諸国の地位の低下をもたらし、新たな南北対立の状況をつくりだしたのである。
[伊藤 悟]
『岩尾裕純編『日本のエネルギー問題』(1974・時事通信社)』▽『佐々木憲昭著『現代エネルギー危機論』(1978・新日本出版社)』▽『荒川弘著『新重商主義の時代』(岩波新書)』
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…第2次大戦後とくに1960年代に入って,石炭から石油への転換が進み,67年には石炭をしのいで一次エネルギー源の第1位を石油が占めるようになった。第1次石油危機(石油ショック,オイル・ショックともいう)が発生した73年には,世界の一次エネルギー消費に占める石油のシェアは47%強,西側先進国では53%強,日本では77%強となっていた。この石油づけの状況下で,石油の供給が途絶ないし量的に制限されるか,石油価格の高騰が生ずれば,経済やわれわれの生活は決定的な影響を受けざるをえない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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