オスティア(英語表記)Ostia

改訂新版 世界大百科事典 「オスティア」の意味・わかりやすい解説

オスティア
Ostia

イタリアのローマ市郊外24km,テベレ河口にある古代ローマ外港都市遺跡。旧オスティアを取り巻く城壁の外に,現在の町並みがひらけた。人口3977(1971)。1855年教皇ピウス9世のもとに発掘が開始され,現在までに旧オスティアのほぼ3/4が明らかになった。町の建設は紀元前4世紀にさかのぼり,前3世紀のポエニ戦争の時に要塞としての町並みが整えられ,その後,城壁の外へ居住地が拡大された。1世紀頃になると,商店や倉庫などが軒を並べ,商業都市への変貌をとげた。ハドリアヌス帝,アントニヌス帝の時代には繁栄頂点に達し,人口は5万にも及び,多くの神殿に加えて大邸宅や浴場,大広場などが次々と建設されたが,3~4世紀にはすでに衰退の兆しがあらわれる。4世紀初頭に司教座が置かれて,そこからローマの司教が任命されるという重要な役割を果たしたが,8,9世紀にアラブが西地中海を制覇してからは,交易港としての地位を完全に失い,数少なくなっていた住民はグレゴリウス4世が旧オスティア付近に建設した城塞の村に集められてしまった。そして849年,ナポリガエタアマルフィ軍団がアラブ勢を敗退させたオスティアの海戦でその名を響かせたのを最後に,うち続く外敵略奪に疲弊し果て,中世には採石場と化して,この遺跡の石材が,ピサやサレルノにまで運ばれるほどであった。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「オスティア」の解説

オスティア
Ostia

前4世紀に建設された古代のローマ市の外港。ティベル河口に位置した。帝政期にかけて地中海各地からの物資集散地として繁栄したが,コンスタンティノープル遷都後は衰えた。現在,町全体が遺跡として保存されている。

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百科事典マイペディア 「オスティア」の意味・わかりやすい解説

オスティア

イタリア中部,ローマの中心部から約20km,テベレ川河口に近い小村。古代ローマの外港として前4世紀に建設され,前3世紀のポエニ戦争後発展し,1―2世紀には最盛期に達した。付近のフィウミチノにはローマ国際空港(レオナルド・ダ・ビンチ空港)がある。

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世界大百科事典(旧版)内のオスティアの言及

【ポッツオリ】より

…前6世紀ギリシア植民市として建設され,ローマ時代は政治,軍事,商業の中心地の一つとして栄える。しかし,テベレ河口のオスティア港が建設されるにおよび地方港となる。5~6世紀の蛮族の襲撃により破壊されたが,旧市のあとに再建された。…

※「オスティア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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