デジタル大辞泉
「オビエド」の意味・読み・例文・類語
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オビエド
Oviedo
スペイン北部,アストゥリアス自治州の州都,アストゥリアス県の県都。サンタンデルの西約 170km,カンタブリカ山脈北麓に位置する。8世紀に建設された修道院を中心に発達し,810年アストゥリアス王国の首都となった。中世にムーア人に征服されなかった数少ない都市の一つ。 1809年ナポレオン軍に略奪され,1936~39年のスペイン内乱では労働者が蜂起,フランコ軍に徹底的に破壊されたが,大聖堂 (1388) や修道院 (1493) など多くの歴史的建築物は現存している。近郊で産出する石炭と鉄鉱石による鉱工業や農業の中心地。 1604年創立のオビエド大学がある。また,近郊に残るアストゥリアス王国時代の三つの聖堂は,1985年世界遺産の文化遺産に登録された。人口 19万 4919 (1991推計) 。
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オビエド【Gonzalo Fernández de Oviedo】
1478‐1557
スペイン人歴史家。1514年にインディアスのダリエン地方へ渡って以来,イスパニオラ島サント・ドミンゴで没するまで,王室官吏として9回大西洋を横断。26年トレドで《インディアス自然史概略》を公刊。32年,王室よりインディアスの公式記録者(クロニスタ)に任命され,大著《インディアス自然一般史》(第1部,1535)を執筆した。スペイン人によるインディアス征服を正当化し,インディオの能力や文化を低く評価するオビエドの作品は,ラス・カサスの激しい攻撃を浴びたが,インディアスの地理,動植物に関する記述は綿密を極め,したがって博物学的作品として高い評価を受けている。
オビエド【Oviedo】
スペイン北西部,アストゥリアス地方の同名県の県都。9世紀初めから10世紀初めまでアストゥリアス王国の首都であった。人口18万4473(1981)。石炭・鉄を豊富に埋蔵した山脈が背後に控え,19世紀以降,機械・鋳物工業が盛んで,リンゴ酒も産する。1934年には,約2週間にわたる労働者コミューンが設立されたアストゥリアス革命の中心地となった。36‐39年の内戦でも破壊を被ったが,14~16世紀の大聖堂など,由緒ある建造物は修復されている。
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オビエド
おびえど
Oviedo
スペイン北部、アストゥリアス地方の都市。人口20万1154(2001)。カンタブリカ山脈北麓(ほくろく)、ナロン川流域の標高220メートルに位置する。炭田、鉄鉱山などの地下資源に恵まれ、鉄鋼をはじめ、弾薬や石炭などの化学工業を中心とする大工業都市。製品は北20キロメートルの外港ヒホンから積み出される。7世紀間にわたるムーア人に対する抵抗運動、すなわち国土回復戦争(レコンキスタ)の基地となった。810年から100年間はアストゥリアス公国の首都であった。ゴシック様式の大寺院をはじめ、多くの史跡がある。これらは1934年の鉱夫らの蜂起(ほうき)・コミューン樹立やスペイン内戦時の長い包囲戦(1936~37)によって焼失、破壊などの損害を受けたが、その後修復された。
[田辺 裕・滝沢由美子]
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オビエド
スペイン北西部,アストゥリアス自治州の州都。付近に石炭に加え鉄鉱山があり,鉄鋼・化学・繊維・醸造・セメント工業が行われる。8世紀に創建され,10世紀までアストゥリアス王国の首都であった。14世紀の聖堂,大学(1608年創立)がある。歴史地区は1985年と1998年世界文化遺産に登録。22万5005人(2011)。
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世界大百科事典内のオビエドの言及
【アストゥリアス】より
…人口111万4115(1986)。中心都市はオビエド。元来は西部(現,アストゥリアス地方)と東部(現,サンタンデル県)から成り立っていたが,1823年に東部が旧カスティリャ地方に組み入れられ,現在にいたった。…
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