デジタル大辞泉
「オベリスク」の意味・読み・例文・類語
オベリスク(obelisk)
1 古代エジプトで、神殿の門前の両脇に立てられた石造の記念碑。方形で上に向かって細くなり、先端はピラミッド形。柱面には象形文字の碑文や図像を刻む。方尖柱。方尖塔。方尖碑。
2 1の形をした記念碑。
[補説]語源は、ギリシャ語のobelosで、串の意。
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オベリスク
- 〘 名詞 〙 ( [フランス語] obélisque ) 古代エジプトで、神殿の門前の左右に建てた、方形で上にいくにしたがって次第に細くなり、先のとがった白い石柱の記念碑。また、これと同じような形の石柱。柱面には象形文字の碑文や図像を刻む。方尖塔(ほうせんとう)。方尖柱。
- [初出の実例]「遙向ふの岡の上に高いオベリスクが、白い劔の様に切っ立って」(出典:満韓ところどころ(1909)〈夏目漱石〉八)
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オベリスク
obelisk
古代エジプトの太陽神の象徴の一つ。ピラミッド形の先端をもつ先細の一本石の角柱で,基台石をもつ。これをギリシア人はobeliskos(〈串〉の意)と呼んだ。もともとはヘリオポリスの太陽神ラーの神殿の聖石ベンベンbenben(天地創造時に原初の大洋上に出現し,太陽神の天地創造の場とされた原初の丘をかたどったもの)に由来し,毎朝太陽の最初の光がその先端に宿るとされた。そのため先端には琥珀金(こはくきん)(エレクトラム)または銅板が張られていた。本体は大部分がアスワン産の花コウ岩製。第12王朝から建立がはじまり,新王国時代には神殿の塔門の前に1対ずつ建てられている。最大の例はカルナック神殿のハトシェプスト女王建立のもの(高さ約30m)である。ヨーロッパ各地に持ち出されている。
執筆者:屋形 禎亮
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オベリスク
おべりすく
obelisk
古代エジプトの記念石柱で、一本岩でつくられている。起源は太陽信仰の本山ヘリオポリスの聖石(ベンベン石)であった。この聖石は一方にピラミッドを、他方にオベリスクを生んだ。オベリスクは方形の柱の頂上をかならずピラミッド形としている。古代エジプト人はこの石柱をテケンとよんだ。オベリスク(金串(かなぐし)の意)はギリシア人の名づけた名称である。オベリスクは神殿の内と外に、また塔門の前に、2本1組で立てられるのが通常であった。四つの面には神への賛歌と王の事績がヒエログリフで刻まれた。現存するオベリスクのうち最古のものは、ヘリオポリスにある第12王朝センウスレト1世のもの(前約2000)であり、最大のものは第18王朝ハトシェプスト女王のもの(29.5メートル)である。オベリスクは古くはエジプト征服者によって、近くは欧米の列強によって運び出された。そのために、外国には15本以上もあるのに、エジプト国内には5本しか立っていない。
[酒井傳六]
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オベリスク
obelisk
古代エジプトで神殿の塔門や墓陵の前に対になって立てられた宗教的,装飾的記念柱。長大な1本石で,アスワンでとれた花崗岩が用いられた。方形の断面が,上方に向うに従って細くなり,先端はピラミッド状をなす。第4王朝のものが最古であるが現存しない。現存する最古のものはヘリオポリスにある第 12王朝セソストリス1世の建立で,高さ 20.7m。第 18王朝以後4面に銘文を刻んだオベリスクがカルナックのアモン神殿の前にいくつも立てられていたが,現在はわずかに1柱を残すのみである。これらの多くはローマ時代にローマに運ばれ,戦車競技場などに建てられた。近代になってロンドンやニューヨークにも移建された。のちにローマのものはバロック時代に広場の中心などに移され,今日のローマの景観に欠かせないものになっている。
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オベリスク
古代エジプトの太陽神信仰に基づく記念碑。ギリシア語オベリスコスobeliskos(〈串〉の意)に由来。先端が方錐状の四角柱で,柱身に象形文字の碑文があり,基台石をもつ。ヘリオポリスの太陽神ラーの神殿の聖石ベンベンが前身。第12王朝から建立され,新王朝時代には神殿の入口に1対建てられるようになった。第18王朝ハトシェプスト女王の建てたものが最大で,高さ約30m。
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オベリスク
obelisk
古代エジプトの記念碑。方形で先のとがった石造記念碑。方尖 (ほうせん) 塔ともいう
花崗 (かこう) 岩の細長い四角柱で,尖端がピラミッド形にとがっている。太陽神ラーの光の矢の象徴といわれ,のち王の功績をたたえるための記念碑となった。最大のものはカルナック神殿にあり,高さ33m余。ローマ時代と近世にその多くが欧米諸国に運び出された。
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オベリスク
Obelisk
古代エジプトの太陽崇拝のための石柱。ヘリオポリスから全国に広がり,新王国時代には数百t(最大1000t)の巨大なものがある。現在50本以上が欧米の首都に運ばれている。
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