オランダ共和国(読み)オランダきょうわこく

百科事典マイペディア 「オランダ共和国」の意味・わかりやすい解説

オランダ共和国【オランダきょうわこく】

正式にはネーデルラント連邦共和国八十年戦争後,1648年ウェストファリア条約列国から正式に独立を承認された。各州は主権有し,各都市はほとんど完全な自治権を享受した。ことにアムステルダムの大商人層が率いるホラント州会は,この国の財政過半を負担したため,連邦議会に強大な発言力を占めた。17世紀中葉は政治,経済文化最盛期で,レンブラントグロティウススピノザなどを輩出した。同世紀後半,英,仏との戦争を経て没落,1795年フランス軍の侵入により崩壊,1815年オランダ王国となった。
→関連項目ウィトウィレム[1世]ウィレム[1世]オラニエ=ナッサウ[家]オランダハーグユトレヒトユトレヒト同盟

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「オランダ共和国」の解説

オランダ共和国(オランダきょうわこく)

正式にはネーデルラント連邦共和国(Republiek der Verenigde Nederlanden)。オランダ独立戦争結果,1648年ウェストファリア条約によって独立が承認された。17世紀にはヨーロッパの経済,文化の中心的な存在となったが,同世紀の後半以降,イギリス,フランスの台頭によって衰退し,1795年フランス軍の侵入を受けて崩壊。バタヴィア共和国をへて,1815年オランダ王国となった。

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世界大百科事典 第2版 「オランダ共和国」の意味・わかりやすい解説

オランダきょうわこく【オランダ共和国 Republiek der Verenigde Nederlanden】

ネーデルラント北部の7州がユトレヒト同盟(1579)を結成し,スペイン国王フェリペ2世の統治から独立して建国した連邦共和国。正式には〈ネーデルラント連邦共和国〉。共和国は1648年のウェストファリア条約で正式に承認されたが,実質的には16世紀末に独立を達成し,17世紀にはヨーロッパ貿易において圧倒的優位を占めたばかりでなく,アジアにおいてもポルトガルを抑えてコショウ貿易を支配し,ヨーロッパ随一の経済的繁栄を実現し,同時に文化の黄金時代を築いた。

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世界大百科事典内のオランダ共和国の言及

【オランダ】より

…ロッテルダムのエラスムスは生涯の多くを国外で過ごしたが,平和と寛容を基調とする彼の人文主義はのちのちまでこの地方の市民に大きな影響を与えた。
[オランダ共和国――経済,文化の黄金時代]
 1555年カール5世はネーデルラントの統治を息子フェリペ2世(スペイン国王,在位1556‐98)の手にゆだねた。59年以後スペインに住むフェリペはブリュッセルに執政を置いて,ネーデルラントを統治させた。…

【バタビア共和国】より

オランダ共和国(ネーデルラント連邦共和国)の崩壊後に成立したオランダの統一国家(1795‐1806)。バタビアBataviaの語は,ネーデルラントのライン川北方に住んでいたバタウィ人Batavenの名に由来する。…

【レヘント】より

…オランダ共和国における都市統治者,すなわち各都市の市長および市参事会員で,その多くは富裕な商人層の出身者によって占められた。元来,自治都市を統治する市参事会員は選挙によって選ばれた富裕な上層市民であったが,共和国時代の多くの都市において市参事会員は終身制となり,そのうえ欠員は参事会員の互選によって補充されたので,市参事会員は少数の有力門閥出身によって占められるようになった。…

※「オランダ共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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