オランダ文学(読み)オランダぶんがく

改訂新版 世界大百科事典 「オランダ文学」の意味・わかりやすい解説

オランダ文学 (オランダぶんがく)

北海沿岸のネーデルラント地方に,オランダ語で書かれた民族文学が起こったのは1200年ごろからである。早くから毛織物工業が栄えて市民階級が台頭し,フランス文化の影響をじかに受けていたフランドルを中心とする南部に,ディーツDiets語と呼ぶ中世オランダ語の聖者伝や騎士道物語,教訓詩,宗教詩などが相次いで現れた。また,ウィレムという詩人がフランス語の《狐の裁判》を種本として,当時の封建社会を風刺,活写した動物物語詩の傑作《狐のレーナルデ》(1250ころ)を書き,市民文学の手本としてヨーロッパの諸国語に翻訳された。次いで14世紀の中ごろ,ブラバントの修道僧リュースブルックJohannes van Ruusbroec(1293-1381)が神秘主義的散文《霊的結婚式の装飾》を著し,トマス・ア・ケンピスをはじめ後世の神秘思想家に大きな影響を与えた。15世紀から16世紀にかけて,各地に都市市民を中心とした〈詩人クラブRederijkerskamer〉が結成され,朗唱・詩作・演劇の実習や演劇コンテストを通じて文学の民主化を促すとともに,笑劇,宗教劇道徳劇などが盛んに作られた。

ルネサンスがネーデルラントに波及すると,民族的自覚の高まりとともにオランダ語の純化,統一の気運が起こり,人文主義者としての《処世観》(1586)を書いたアムステルダム出身のコールンヘルトDirck V.Coornhert(1522-90)は,近代オランダ語散文の創始者の一人とうたわれている。16世紀半ばに始まるスペインの専制支配に抵抗して独立を達成したオランダは,17世紀に入ると,ヨーロッパの最先進国としていわゆる〈黄金時代〉を迎え,学術・文芸が一時に開花して大詩人,劇作家が輩出した。田園詩劇《フラニーダ》(1605)や独立戦争の記録《オランダ史》(1642-54)を書いたホーフト,喜劇《スペイン系ブラバント人》(1617)のブレーデロー抒情詩ハーグの森》(1621)のハイヘンスConstantijn Huygens(1596-1687),詩劇《ルシフェル》(1654)や《追放されたアダム》(1664)のフォンデルなどがそれである。また,聖書のオランダ語国定訳(1637)が標準文章語の形成に与えた影響も特筆に値する。

 続く18世紀の詩人,作家はこぞってフォンデルなどの先人の作品,とくにフランスの古典主義の模倣と追従に終始して,文学活動は著しく沈滞した。しかしそのなかで,モリエールにならったランゲンデイクPieter Langendijk(1683-1756)の喜劇《結婚詐欺》(1714),イギリスのJ.アディソン,スティールを手本としたエッフェンJustus van Effen(1684-1735)の随筆《オランダのスペクテーター》(1731-35),2人の女流作家ウォルフBetje Wolff(1738-1804)とデーケンAagje Deken(1741-1804)の共同執筆による書簡体小説《サラ・ブルヘルハルト》(1782)などが注目を引く。また,フランス革命の影響によるオランダのフランス服属という民族受難のこの時期(1795-1813)に,抒情詩《祈り》(1796),戯曲《フローリス5世》(1808)などを書いたビルデルデイクは,オランダ・ロマン主義の先駆として重要な役割を演じた。

1837年ポットヒーテルにより,自由主義に基づく国民文学の振興を旗じるしに《道標Gids》誌が創刊されると,民族的ロマン主義運動が盛んになり,ボスボーム・トゥサーン夫人Anna L.G.Bosboom-Toussaint(1812-86)が三部作《レスター伯》(1846-55),《デルフト呪術師》(1870)などの優れた歴史小説を書いた。一方,ベーツは写実的ユーモア小説の傑作《カメラ・オブスキュラ》(1839)を書き,またムルタトゥーリは自国の植民政策の非人道性を告発した小説《マックス・ハーフェラール》(1860)を発表し,その熱情的理想主義と斬新なスタイルは近代オランダ文学に絶大な影響を与えた。19世紀後半におけるオランダ社会の急速な近代化と自由主義の伸展に呼応して,文壇に新風を吹きこんだのが〈80年代派Tachtigers〉と呼ばれるクロースフェルウェーエーデンホルテルらを中心とする若い詩人たちである。彼らは《新道標Nieuwe Gids》誌に結集し,美それ自体を目的とする芸術至上主義を掲げて先輩たちの道徳的教訓的通俗性を激しく攻撃した。のちに社会主義に転じたホルテルの象徴詩《5月》(1889)は,この個人主義的革新運動の記念碑的作品である。〈80年代派〉とほぼ同時期に活躍した作家にクペールスハイエルマンスがある。クペールスは自然主義的心理描写を特色とする小説を書き,ハイエルマンスは《天佑丸》(1900)など社会問題をテーマとした写実主義の戯曲を発表して,ともに国際的名声を得た。

 20世紀に入ると,ローラント・ホルストHenriëtte G.A.Roland Holst(1869-1952),スヘルテマらの社会主義詩人が輩出する一方,〈80年代派〉の影響から出発してそれぞれ哲学的傾向のユニークな詩境を開いたバウテンスPieter C.Boutens(1870-1943)とレオポルトJan H.Leopold(1865-1925)の活動が目だつ。また,自然主義に対抗して新ロマン派が登場し,スヘンデルArthur F.E.van Schendel(1874-1946)が優れた歴史小説を書いた。両大戦間には人道主義,社会主義,旧教主義,新教主義などさまざまな流派の詩人,作家が輩出したが,とりわけ注目を引くのはドイツ表現主義の影響を受けてバイタリズムを唱えたマルスマンHendrik Marsman(1899-1940)と,流派の枠をこえて心理小説や歴史小説に旺盛な創作力を示したフェストデイクSimon Vestdijk(1898-1971)の活動である。

 第2次大戦中のドイツ軍による占領と弾圧下での苦難の体験は,フランクの《隠れ家》(1947。邦訳名《アンネの日記》),ミンコMarga Minco(1920- )の《苦い草》(1957),プレッセルJacob Presser(1899-1970)の《ジロンド党員の夜》(1957)などの優れた記録文学を生んだ。また,大戦を背景にして,人間存在の孤独と不条理を特異な手法で描いたヘルマンスWillem F.Hermans(1921- )の小説《ダモクレスの暗い部屋》(1958)は,戦後オランダ文学の傑作として広く読まれている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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