スペイン南西部、アンダルシア地方カディス県の県都。スペイン有数の港湾都市で、ジブラルタル海峡の北西約93キロメートル、カディス湾東岸の岬の先端に位置する。人口13万3363(2001)。標高14メートルの小さい岩島の上に旧市街があり、東部の港を除き城壁で囲まれている。その外側に新市街が細長く広がる。地中海性気候下にあり、年中温和で雨も少ない。平均気温は1月11.4℃、8月24.9℃。屋上の望楼ミラドールや2階に張り出したテラスをもつ白壁の家が並び、独特の景観をなしている。港は、ぶどう酒やオリーブ、コルクなどの輸出港として、また、南米、カナリア諸島、アフリカとの定期航路の基地として重要な位置を占める。造船業も盛んである。古来より軍事的にも重要な地で、スペイン海軍の根拠地がある。
[田辺 裕・滝沢由美子]
紀元前1100年ごろ、フェニキア人が交易のために町を建設したことに始まる。前501年にカルタゴ、ついで前206年ローマによって占領され、商業都市、地中海支配の要石として栄えた。5世紀には西ゴート人の侵入、破壊を受け衰退したが、8世紀のイスラム支配以後復興した。レコンキスタ(国土回復戦争)ではキリスト教徒の前線基地となった。16世紀に始まる「新大陸」との貿易では、特権を与えられ繁栄した。1812年憲法がここで制定され、20年のリエゴ蜂起(ほうき)、68年の九月革命の発火点になるなど、政治的にも重要な舞台となった。また、大土地所有制の下にあったオリーブ、ブドウ、小麦栽培に従事する農業労働者の運動も激しく、アナキストを中心とした1883年のストライキ、同じ時期の秘密結社「黒い手」Mano Negraの活動などが有名である。1936年に起こったスペイン内戦ではフランコ側にいち早く占領され、モロッコと本土との連絡港となった。
[中塚次郎]
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スペイン,アンダルシア地方の主要軍港,商港。前1100年頃フェニキア人が植民して以後栄えたが,イスラームの支配下では衰退。1262年カスティリャ王国が再征服。17世紀にセビリャをしのぐ大西洋貿易の港となり,1717~78年にはセビリャに代わってその独占港となった。19世紀には自由主義の拠点の一つとなり,カディス議会が開催された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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[1864~1915]ドイツの精神医学者。クレペリンのもとで研究に従事。1906年、記憶障害に始まって認知機能が急速に低下し、発症から約10年で死亡に至った50代女性患者の症例を報告。クレペリンによっ...
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