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19世紀初頭、ナポレオン1世の宮廷から広まった舞踊。4組の男女が方形で踊るコントルダンスが下火になったとき、いつも数種だけが同じ順序で踊られるようになり、これらをまとめてquadrille de contredanses、略してカドリーユとよんだのに始まる。一般にはle pantalon, l'été, la poule, la pastourelle, la finaleの5種の型からなり(第4番目にle trénisが挿入されることもある)、音楽には当時の流行歌やオペラの旋律が用いられた。2/4拍子または6/8拍子(第3曲、ときに第1曲)で、生き生きとした8小節単位の主題が反復される。日本にも明治時代に導入され鹿鳴館(ろくめいかん)で踊られた。
[関根敏子]
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…また中世のヨーロッパでは,農民の踊る荒々しい踊りは身分の高い男女にはふさわしくないとされた。宮廷では,ゆったりとした音楽による,踊りの規則のやかましいものへと変化して,優雅なメヌエット,ガボット,カドリーユなどが生まれた。フランス革命後,宮廷での儀式的なものより庶民的な踊りが好まれるようになり,古くからオーストリアの山岳地方で行われていた舞踊レントラーLändlerがしだいにワルツに発展,ウィーンを中心にヨーロッパ全域へと爆発的な流行をもたらした。…
…爪先で立つことをもいい,必ずしも跳躍を伴うとは限らない。カドリーユquadrilleパリ・オペラ座における踊り手の地位の最下位のもの。群舞を踊る踊り手でコリフェとともに他の国でいうコール・ド・バレエを形成する。…
※「カドリーユ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
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