精選版 日本国語大辞典 「カノッサの屈辱」の意味・読み・例文・類語
カノッサ‐の‐くつじょく【カノッサの屈辱】
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1077年,叙任権闘争の過程で皇帝権が教皇権に屈服した事件。ドイツ皇帝ハインリヒ4世は76年教皇グレゴリウス7世と争い,教皇の廃位を要求して破門された。皇帝はドイツ諸侯の支持に確信なく,廃位されることをおそれて,北イタリアのカノッサ城に滞在中の教皇を訪ねた。改悛を示す服装で3日間待った後,赦免を求めて許され,破門を解除された。
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…先にクリュニーの修道士であったグレゴリウス7世は,教会法学者ペトルス・ダミアニの熱烈な支持をうけて,1076年のウォルムス会議でドイツ皇帝ハインリヒ4世を破門にした。翌年この皇帝がカノッサに赴いて悔悛した話はあまりに有名である(カノッサの屈辱)。闘争は1122年のウォルムス協定および翌年の第1ラテラノ公会議で,ドイツ皇帝は教会からうける指輪(司教権を象徴するもの)と司牧杖を放棄し,他方教皇は国王の選挙に参加しないとの協定を結んで終息した。…
…この破門宣告による事態悪化と失脚を恐れた皇帝は,3日間雪の中にたたずんで教皇の赦免を乞わざるをえなかった。世にいう〈カノッサの屈辱〉である。しかし破門を解かれた皇帝は再び教皇を廃位し,対立教皇にクレメンス3世(在位1084‐1100)を立て,ローマの教皇を攻囲した。…
※「カノッサの屈辱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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