精選版 日本国語大辞典 「カフカ」の意味・読み・例文・類語
カフカ
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プラハ生まれのドイツ語作家。第一次世界大戦前のオーストリア・ハンガリー帝国治下のボヘミア(現チェコの一地方)の首都プラハに、1883年7月3日、ドイツ・ユダヤ系商人の息子として生まれる。強健で勤倹力行の父と、虚弱で繊細な息子との緊張に満ちた関係は『父への手紙』その他の作品に強い痕跡(こんせき)を残した。プラハ大学で法律を学び、1908年以来プラハの労働者災害保険局に勤務。フェリーツェ・バウアーと婚約を二度結んだが、結婚に踏み切れず、1917年最終的に解消。ミレナ・イェセンスカ・ポラクとの愛情関係(1920~1922)は多分に精神的比重が大きかったが、これも解消。1917年から結核を病み、1922年嫌っていた職を捨て、翌年ベルリンに出て、作家として自立を図り、ドーラ・ディアマントと同棲(どうせい)する。しかし病気が重くなり、プラハに帰り、療養のためウィーンに移り、1924年6月3日、その郊外キールリングのサナトリウムで死去。
小品集『観察』(1913)、『火夫』(1913)、『判決』(1913)、『変身』(1915)、『流刑地にて』(1919)、短編集『田舎(いなか)医者』(1919)、『断食芸人』(1924)がある。遺稿の作品、アフォリズム、日記、手紙、とくに長編小説『アメリカ』(1927)、『審判』(1925)、『城』(1926)は、親友で遺稿管理者のマックス・ブロートが、カフカの遺志に反し、死後公刊した。生前カフカはドイツ表現主義の特異な短編作家として知られたが、死後長編が紹介され、ブロートの宗教的解釈により、1930年代にはヨーロッパのユダヤ・キリスト教信仰喪失の混迷を表現する作家として、イギリス、フランスにも知られた。またシュルレアリスム、実存主義流行に伴い、その先駆者としてクローズアップされた。
カフカが神聖ローマ帝国の首都であった古い伝統の町プラハに生涯の大部分を過ごし、西欧化されたユダヤ人に属し、強い父親コンプレックスをもっていたことは、彼の作品の幻想的世界と強い関連をもつ。明確な描写、不透明な内容の作品は、さまざまな解釈を誘い出す。なかでも際だつ一点は、カフカの、この世の支配者たる父親たちの過酷さ、残酷さへの関心であろう。カフカが作家的開眼をした『判決』では父親の息子への死刑宣告、『変身』における一夜のうちの毒虫への変身、『流刑地にて』の古い刑罰と新しいそれとの対立と古いものの復活への恐れ、『審判』の突然の逮捕と見えざる支配、と並べただけでも明瞭(めいりょう)であろう。
カフカの構築したこの過酷な世界が、20世紀前半の惨苦、つまり第一次世界大戦、続くファシズム、ナチズム、スターリニズムの独裁、さらに第二次大戦と続く現実と呼応して、カフカへの関心と評価を高めたといえよう。カフカの作品に現れるこの残酷さを、ペシミズム、ニヒリズムとする一面的批判もあるが、むしろ残酷さに対する人間的抵抗の表現とみるべきだろう。カフカの世界は多くの不透明さを含みながら、その残酷さによって、現代社会の深部に触れる。
カフカは第二次大戦後日本でも翻訳紹介され、文学界に大きな影響を与えたが、中島敦(あつし)のように戦前すでに短編『狼疾(ろうしつ)記』(1936執筆、1942刊)でカフカ文学の受容を示している作家もいる。戦後は安部公房(あべこうぼう)の『壁』(1951)以下の諸作品、倉橋由美子(ゆみこ)の『婚約』(1960)、長谷川(はせがわ)四郎の戯曲『審判』(1968)、花田清輝(きよてる)の評論『変形譚(たん)』(1946)など、それぞれカフカ的世界を表現しているが、より本質的近似を示すのは、島尾敏雄(しまおとしお)の初期作品群であろう。
[城山良彦]
カフカは生前、短編・小品の名手として知られ、公刊されたのは短編集ばかりで、主著の長編『審判』(1925)、『城』(1926)は死後出版である。
カフカ自身が出版した短編集は、『観察』(1913)、『田舎(いなか)医者』(1919)、『断食芸人』(1924)の3冊。生前カフカは、『判決』『火夫』『変身』の3編を『息子たち』という題で、また『判決』『変身』『流刑地にて』の3編を『罰』という題で、短編集として出版する計画を考えていた。これらの短編は一つの作品群を形成する。さらに『田舎医者』以後に書いた生前未刊の短編では『支那(しな)の長城を築くとき』(1931刊)など著名なものがある。『観察』には初期の印象主義的な、夢想の傾向が残り、『田舎医者』は創作力の充実が著しく、『断食芸人』には老熟がみられる。
これらに一貫する特徴は、カフカが自分の人生を寓話(ぐうわ)とし、原型として把握していることで、寓話の主題は、現代における基準の喪失、この世の苛酷(かこく)さ、人間の生の不安である。カフカは弱肉強食の現実生活を嫌い、それが逆説的に、しばしば動物寓話として表現される。幻想的で悪夢のような内容だが、そこには一種不思議なユーモアが醸し出される。
文学に生き、書くことに生きがいを感じたカフカは、自分のためにのみ書いたので、作品にはきわめて私的な遊びの観念が混じり、一見不可解な味わいもあるが、それがかえってカフカの独特な魅力となっている。
カフカの寓話は、明確な表面の細部の描出と、不透明な内部をもっているため、実にさまざまな解釈が可能で、いまもなお現代文学として生き続けている。
[城山良彦]
『中野孝次・川村二郎他訳『カフカ全集』全12巻(1980~81・新潮社)』▽『M・ブロート著、辻瑆訳『フランツ・カフカ』(1972・みすず書房)』▽『K・ヴァーゲンバッハ著、中野孝次・高辻知義訳『若き日のカフカ』(1969・竹内書店)』
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1883~1924
チェコのプラハ生まれの小説家。死後フランスで実存主義文学の先駆として注目された。『変身』(1916年),『審判』(25年),『城』(26年)などの作品で人間の孤独,不安,絶望を描き出した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…シュルレアリストたちの作品の中には,ブルトンの《ナジャ》のように幻想小説の一方の極点と見られるものも見いだされるが,シュルレアリスムの本領は個々の完成された作品を結実させることよりも,その強烈な否定性と肯定性の火花,至高点を求めるラディカルな精神活動にあったといえる。ほぼ同じ1920年代,シュルレアリスムとは無関係に,東欧のドイツ語圏で役人生活のかたわらローカルな作家活動を営んでいたカフカの作品群は,単に幻想文学の枠内にとらえることはできないが,長編《城》《審判》,短編《変身》《巣穴》などに見られる幻想性は,現代の不条理の核心に深くかかわるものとして全世界的に翻訳・流布され,現代文学に広範な影響を与えるとともに,幻想文学の別格的巨匠と見なされるにいたった。一方,やはり20年代に日本の東北地方で創作活動を営んだ宮沢賢治は,〈新たな神秘主義はつねに起こるであろう〉と喝破し,自ら自然科学者としての透徹した認識と,非凡な宗教的資質による法華経的世界観を基盤に,《銀河鉄道の夜》をはじめとする多くの童話と詩編を残した。…
…フランツ・カフカ作の未完の長編小説。三大作品の一つとして《アメリカ》(1911‐14作)および《審判》(1914‐15作)と並ぶものであるが,執筆時期は療養生活のつづく晩年の1922年2月から9月までの間と推定される。…
…彼の悲劇は,文学や芸術に対する官僚的統制の代名詞にまで頽廃しかねない〈社会主義リアリズム〉の危険を予告したかのようにみえる。
[ワイマール文化の栄光]
戦前からドイツ,オーストリアで表現主義として知られていた文学・芸術運動は,F.カフカの作品が示しているように,現代社会にひそむ不安や恐怖をえぐりだしたが,この流れをくむ知識人の何人かは,戦後のドイツで政治的左翼の立場に身を置き,政治的実践に理想を燃焼させた。また既成芸術の全面否定のうえに新しい美の秩序を打ち立てるべきであると考えたダダイズム(ダダ)も,急進左派の政治運動に支持者を供給した。…
…カフカの最も有名な作品。中編小説。…
※「カフカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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