襟はなく,前あきですその長いゆったりした上着をいう。外套のようにいちばん上に着る。この形式の上着は中央アジア,中東諸国に広く分布している。語源はチュルク語のkaftan。1074年ころに書かれたマフムート・カシュガリーの《トルコ語辞典》にも外衣としてカフタンがしるされている。最古のカフタンは,ノイン・ウラの匈奴の墓から発見された絹地の服である。カフタンはアラビア語でヒルアkhil`aと呼ばれ,オスマン朝の宮廷では,スルタンが高官や外国の使節への下賜品として与えた特別な衣服であった。スルタンの礼装用のカフタンは華麗な模様入りの絹地で,腕を通さない長い袖(補助袖)がつけられていて,式典では手の代りに袖口(イェン)に接吻させた。スルタンは服装改革が行われる1828年までカフタンを着用したが,その形は,14世紀のものと少しも変わっていない。シリアやベドウィンの首長や長老(シャイフ)はカフタンを冬用の外套として愛用した。ロシアでも古くから身分の上下にかかわりなく,カフタンが着用され,20世紀初めまで民族服として各地で用いられた。
執筆者:永田 真知子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツのルター派神学者。9月30日シュレスウィヒ州アペンラーデ近郊のロイトに生まれる。1881年バーゼル大学正教授、1883年ベルリン大学教授。1919年以後、宗教局次長を兼任。1926年8月27日ベルリンにて没。リッチュル学派に属し、宗教哲学的傾向が濃い。キリスト教に対するカント哲学の意義を高く評価し、宗教を「人間精神の実践的な事柄」と定義し、キリストの歴史的啓示から、歴史的明証性と普遍妥当性を価値判断の形で証明することを試みた。ただし、神秘性と権威とを倫理性と結合しようとした限りでは、リッチュルを修正したといえよう。兄のテオドールTheodor Kaftan(1847―1932)も牧師かつプロテスタント神学者として知られる。
[森田雄三郎 2018年1月19日]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…第2はドレーパリーdraperyといわれる〈巻き衣〉の系列で,アフリカやイスラム圏の一部に見られる。第3はカフタンといわれる〈前開き服〉の系列で,西アジアから極東を結ぶ線上に連なる諸族間にしばしば典型を見ることができる。カフタンはもともとポンチョと呼ばれる〈貫頭衣〉形式から発展したとする説もあるが,はっきりしたことはわからない。…
※「カフタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新