精選版 日本国語大辞典 「カムチャツカ半島」の意味・読み・例文・類語
カムチャツカ‐はんとう ‥ハンタウ【カムチャツカ半島】
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ロシア連邦東部にある大きな半島。アジア大陸北東部に位置し、北北東から南南西に長く延びて、西のオホーツク海と東のベーリング海および太平洋とを分けている。長さ1200キロメートル、最大幅450キロメートル、面積約37万平方キロメートル。半島の脊梁(せきりょう)に標高1500~2000メートルの中央山脈(最高峰イチンスカヤ火山Ичинская Сопка/Ichinskaya Sopka 3621メートル)と、これに並行する東部山地が走る。両者の間をカムチャツカ川(長さ約700キロメートル、流域面積約5万6000平方キロメートル)が北東流してカムチャツカ湾に注ぐ。火山が多く、160座を数え、うち活火山は半島最高峰の円錐(えんすい)火山クリュチェフスカヤ火山(4750メートル)ほか28座ある。気候は北東の季節風の影響で、冷涼なモンスーン型。厳冬と冷夏が繰り返し、月平均気温は、2月零下13℃、8月12℃である。年降水量は600~1000ミリメートル。山脈は、高所の万年雪、氷河、ツンドラ地帯を除いては灌木(かんぼく)とシラカンバの樹林で覆われる。漁業と水産加工業が最大の産業で、ソ連の総漁獲量の10%以上を占めた。なかでもタラバガニの産額は世界最大。カムチャツカ川流域の平野は大陸性の乾燥した気候で、半島の主要な農業地帯となっている。ジャガイモや牧草の栽培が行われるほか、クロテン、ホッキョクギツネの毛皮も量産し、ソ連時代は飼育専門のソフホーズ(国営農場)、ソ連解体後は農業企業が設置されている。交通は車も使用されるが、一般に夏季は水上交通、冬季や内陸地帯ではウマ、トナカイ、犬ぞりによっている。
半島はロシアのカムチャツカ州を構成し、州の人口は35万1300(2003推計)。州都はペトロパブロフスク・カムチャツキー。
[小宮山武治・外川継男]
カムチャツカ半島の火山群は1996年および2001年に、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「カムチャツカ火山群」として世界遺産の自然遺産に登録された(世界自然遺産)。
[編集部]
かつて半島の先住民はカムチャダール(イテリメン)、エベンキ、コリヤーク、アレウトなどの諸族であったが、今日では先住民の占める割合は3.5%をわずかに超える程度にすぎない。住民の80%以上はロシア人で、ウクライナ人が7%に達している。ロシア人が初めて進出したのは、1697~99年のコサック隊長アトラソフの探検のときであった。当時半島の最南端には千島列島のアイヌも住み、彼らは蝦夷地(えぞち)から日本製品をもたらし、交易していた。その後1725~30年と33~43年には、ベーリングの2次にわたる探検が行われ、探検隊の派遣は19世紀に入ってからも相次いだ。ロシア人の進出とともに先住民との摩擦も相次ぎ、とくに1731~32年のカムチャダールの反乱、45~56年のコリヤークの反乱などが名高い。当初行政中心地はニジネ・カムチャツクにあったが、1850年には、第二次ベーリング隊により1740年に建設されていたペトロパブロフスクが州都となった。ペトロパブロフスクは太平洋艦隊の本拠地としても重きをなし、クリミア戦争中の1854年には、英仏艦隊の攻撃を撃退した。太平洋艦隊司令部は1860年ニコラエフスク・ナ・アムーレに、72年にはウラジオストクに移された。1923年極東から日本軍をはじめとする外国干渉軍が撤退、この地方にもソビエト政権が樹立された。91年のソ連解体後、ロシア連邦に属する。
[外川継男・栗生沢猛夫]
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