カラコルム山脈(読み)カラコルムサンミャク(英語表記)Karakorum Range

デジタル大辞泉 「カラコルム山脈」の意味・読み・例文・類語

カラコルム‐さんみゃく【カラコルム山脈】

Karakorumインドパキスタン中国の国境地帯にある大山脈。7000メートル級の高山が多く、最高峰K2ケーツーの8611メートル。

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精選版 日本国語大辞典 「カラコルム山脈」の意味・読み・例文・類語

カラコルム‐さんみゃく【カラコルム山脈】

  1. ( カラコルムはKarakorum ) 中央アジアパミール高原から南東方に走り、チベット高原西部に連なる山脈。最高峰K2峰は八六一一メートル。七〇〇〇メートル以上の高山が多く、長大な氷河群がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「カラコルム山脈」の意味・わかりやすい解説

カラコルム[山脈]
Karakorum Range

アジア大陸中央部にある山脈。カラコラムKarakoramともいい,中国名は喀喇昆侖。北のタリム盆地へ流れるヤルカンド川の支流シャクスガム川と,南のインダス川とその支流シャイヨーク川の分水界をなす。北にはアギール山脈,南にはヒマラヤ山脈が並行する。西はインダス川水系ギルギット川の源流イシュクマン川の東経74°から,東はシャイヨーク川大屈曲部の東経78°20′まで,西北西から東南東へ長さ約500km,南北の最大幅約100kmの範囲にひろがる。平均高度7000mの主分水嶺をつらねるグレート・カラコルムは,バトゥーラBatūra,ヒスパーHispar,バルトロなど,トルコ語,突厥語で〈氷の山〉を意味するムスターグmuztāghと呼ばれる七つの山脈からなる。南側にあって並行する6000m前後のレッサー・カラコルムは,ラカポシ,ハラモシュHaramosh,サルトロなど五つの山脈からなる。カラコルムは中生代末に始まる造山運動によってテチス海の堆積層が隆起してできた。片麻岩を主とする変成岩が広く分布し,高い稜線上で古生代化石が発見されているが,上昇運動は第四紀中期以降に大きくなり,現在の高度に達したのは10万年前である。世界第2の高峰K2(中国名は喬戈里,8611m)をはじめ8000m以上が4座,7700m以上が12座あり,7000m以上の山80余を数える高峻な山岳地域である。山岳氷河の発達はよく,シアチェン氷河(75km),バルトロ氷河(69km)など,ヒマラヤより長大な氷河が多い。河岸段丘上の小平地には灌漑農業によって集落が成立し,フンザ川のバルティットは小王国の首邑となったが,土地の高さ,けわしい地形,きびしい気候のため人間が住める土地は少ない。中央アジアとインドを結ぶ長距離隊商交易が東のカラコルム峠(喀喇昆侖山口,5570m),西のミンタカ峠(明鉄蓋達坂,4709m)などを越えて行われてきた歴史がある。カシュガル(喀什)からフンジェラブ峠(紅其拉甫達坂,4703m)を越えてフンザ川の谷を下りギルギットに至る,中国とパキスタンを結ぶ最初の自動車道路が,両国の協力によって1978年に開通している。カラコルムの語源については,〈カラコルム[峠]〉の項を参照されたい。
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カラコルムの探検史の中で文献に現れる一番古いものは,1533年ミルザ・ハイダルがカラコルム峠,サセール峠を越えたものである。1819-25年のW.ムーアクロフトらによるカラコルム探検に始まり,第2次世界大戦までに活動範囲の広い地理的探検のあらかたは完成したといえる。

 そのおもなものとしては,1847-48年H.ストレーチーによるシアチェン氷河の発見,61年H.H.ゴドウィン・オースティンのヒスパー,ビアフォ,バルトロ氷河の踏査,86-87年F.ヤングハズバンドのサルポ・ラッゴ氷河からのムスターグ峠越え,92年W.M.コンウェーのバルトロ氷河踏査,1898-1912年ワークマン夫妻の数回にわたる広範囲の活動,1902年O.エッケンシュタイン隊のK2試登,09年アブルッツィ公のK2,スキャン・カンリ,チョゴリザの試登,13-14年F.デ・フィリッピ隊の東部カラコルム探検,22-35年P.C.フィッサー夫妻による探検,28-29年スポレート公によるバルトロ氷河,シャクスガム川の踏査,30年G.ダイネッリのシアチェン,テラム・シェール,リモ氷河の踏査などがある。34年にはG.O.ディーレンフルト夫妻がシア・カンリに初登頂した。これらがカラコルムの開拓期の探検で,そのほとんどが地理学,人類学,地質学,その他の科学調査を行っていることと,りっぱな報告書を出していることが共通している。

 第2次大戦後は,7000m峰,8000m峰の登山が盛んになった。54年イタリア隊のK2初登頂をはじめ,56年オーストリア隊のガッシャーブルムⅡ,57年オーストリア隊のブロード・ピーク,58年アメリカ隊のガッシャーブルムⅠ,75年ポーランド隊のブロード・ピーク中央峰などの登頂がある。その中で日本隊は,1955年の京大隊の調査行をはじめとして,58年チョゴリザ,62年サルトロ・カンリ,63年バルトロ・カンリⅢ,74年K12,75年カンピレ・ディオールなどに初登頂した。

 1970年代後半にはいって,東部カラコルムでの活動が盛んとなり,日本隊も75年テラム・カンリⅠ・Ⅱ,76年シンギ・カンリ,シェルピ・カンリ,アスパラサスなどに初登頂した。また70年代の後半には,小パーティでスピーディに登り,下山するアルパイン・スタイルの登山,スキーを使っての8000m峰の登山などが行われ,80年代にはいって中国側からの登山も行われるようになった。
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