翻訳|Canterbury
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリス,イングランド南東部ケント州にあるイギリス第1の宗教都市。人口14万6200(2006)。ロンドンの南東約100km,スタウア川沿いに位置する。カンタベリー大聖堂があり,アングリカン・チャーチの中心地で,カンタベリー大主教は〈全イングランドの首席主教Primate of All England〉である。ローマ時代は〈川の町〉を意味するケルト系の名称ドゥロウェルヌムDurovernumと呼ばれたが,サクソン人はこれを〈ケント人の町〉カントワラブルフCantwaraburhと名づけ,七王国時代の560年ころケント王国の首都とした。キリスト教布教のために教皇グレゴリウス1世が597年に派遣した修道士アウグスティヌスら一行は,王の許可を得てこの地にベネディクト派修道院を建立し,さらに司教に叙任されてのちクライストチャーチChristchurchと呼ばれる最初の司教座聖堂(大聖堂)を設立した。その後北方のデーン人にしばしば破壊されたが,ノルマン征服後大司教ランフランクやアンセルムによって再建された。大司教トマス・ベケットが教会の自由を主張してヘンリー2世と争い,この聖堂で暗殺(1170)され,2年後に聖者に列せられてから,カンタベリーは一躍中世の巡礼地として有名になった。中世後期の大詩人チョーサーは《カンタベリー物語》で当時の風俗とともに巡礼者たちの姿を鮮やかに描写した。ヘンリー8世の宗教改革に始まってエリザベス1世の時代に,主教(監督)制度が確立し,カンタベリー大主教がアングリカン・チャーチの首席主教に位置づけられた。
執筆者:佐藤 伊久男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…イギリスのカンタベリー大司教。両親はノルマン人で父はロンドンの商人であった。…
※「カンタベリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新