精選版 日本国語大辞典 「カント」の意味・読み・例文・類語
カント
カント
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1724~1804
ドイツの哲学者。ドイツ観念論の祖。経験論,合理論の対立をいずれも独断的であるとして,認識の可能性や限界を明らかにするため批判主義の立場に立ち,先験哲学の方法を確立した。『純粋理性批判』では認識の問題を,『実践理性批判』では意志の問題を,『判断力批判』では理論と実践の2元を目的論的に統一する問題を試みた。カント哲学は自然科学の隆盛期に際しその可能性の基礎づけを図るとともに,市民社会の自覚が哲学的に行われたものとみてよい。世界連邦制による永遠平和論は有名。
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…彼の代表作の長編小説《7人兄弟》(1870)は各国語に訳され広く読まれているし,6編の戯曲のうち喜劇《寒村の靴屋》(1864)が親しまれている。続いてフィンランドに写実主義が波及し,M.カントは《労働者の妻》(1885)のような労働者や女性が耐えてきた不平等について訴えた。文豪アホは自然主義の流れに沿って《鉄道》(1884)や《牧師の娘》(1885)を発表した。…
…この考え方は理論的には形相と質料の二元論を克服しているが,倫理学や心理学の立場からみると難点がある。例えばカントは,人間の道徳的意志を理性的な善への意志であるとしたが,その根底に,善意志に反する根本悪の傾向を考えなくてはならなかった。ユングは,キリスト教世界では〈悪はどこから来るか〉という問いは答えられていないと言っている。…
…通常は,とくにロック,G.バークリー,D.ヒュームの3人によって展開されたイギリス哲学の主流的傾向をさすものと理解されている。通説としてのイギリス経験論のこうした系譜を初めて定式化したのは,いわゆる常識哲学の主導者T.リードの《コモン・センスの諸原理に基づく人間精神の探究》(1764)とされているが,それを,近代哲学史の基本的な構図の中に定着させたのは,19世紀後半以降のドイツの哲学史家,とりわけ新カント学派に属する哲学史家たちであった。とくに認識論的な関心からカント以前の近代哲学の整理を試みた彼らの手によって,ロック,バークリー,ヒュームと続くイギリス経験論の系譜は,デカルト,スピノザ,ライプニッツ,C.ウォルフらに代表される大陸合理論の系譜と競合しつつ,やがてカントの批判哲学のうちに止揚された認識論上の遺産として,固有の思想史的位置を与えられたからである。…
…しかし,刻々に変転する現象世界の中での対象の同一性とは,対象自体の性質ではなく対象に付与された一つの意味と考えるべきであろうから,意識を単純にある対象の反映と見ることはできない。カントが意識の本質を,ア・プリオリな構造をそなえた〈総合〉の働きに求めたゆえんである。しかも,その総合が自発的なものである限り,意識は少なくとも権利上は〈統覚〉,つまり自己意識でなければならなかった。…
…イデアのドイツ語訳。感覚されうる個物の原型・範型としての形相,主観的な表象ないし観念の両義のほか,カント以降のドイツ哲学では理性概念として独特の意義づけをこうむる。20世紀初頭,桑木厳翼は理性観念すなわちイデーを〈理念〉と訳した。…
…とくにF.ベーコンは《ノウム・オルガヌム》を著し帰納論理の必要性を説いた。しかし彼らとても,その基礎に置いていたものはアリストテレスの三段論法であり,そのような形式的論理がその形式性ゆえに,経験的な知識獲得の手段たりえないことは,カントに至ってはじめて認識されたのである。カント以降,学問の道具としてのオルガノンを求める営みは,帰納論理,アブダクションabduction,仮説帰納法など種々の形で繰り返されてはいるが,かつてのように普遍的に受け入れられたものとして定着したものは存在していない。…
…この時代までは,カテゴリーは,つねに何らかの形で,人間の認識の基本形式であるとともに,世界そのもののあり方の基本形式でもあるものとして考えられていたが,近代科学の登場とともに,それをもっぱら人間の認識の基本形式としてとらえ,自然の世界そのものもそれによって構成されるとする考えが登場してくる。カテゴリーを,人間の思考の最も一般的形式としての純粋悟性概念としてとらえ,判断の形式から4綱目12個のそれを導出整理するカントの行き方は,その一つの典型といえよう。以後,カテゴリーをふたたび世界のあり方そのものの形式に置きもどして考え,あるいは実践的規範をもそのうちに含めて考える行き方などがあいついで登場してくる。…
…デカルトが方法的懐疑の途上で,感覚に由来する知識を人を欺きやすいものとして真っ先に退けたように,大陸合理論においては一般に感覚の認識上の役割は著しく軽視されている。カントにおいては,感覚は対象によって触発されて表象能力に生じた結果を意味するが,〈直観のない概念は空虚であり,概念のない直観は盲目である〉の一句に見られるように,彼は感性的直観と概念的思考の双方を重視した。他方イギリス経験論においては,感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され,その思想は〈感覚の中にあらかじめないものは知性の中にはない〉という原則に要約されている。…
…この型の観念論は主観内の観念の外部の事物を扱わぬ傾向があり,実在論や唯物論の非難の対象になる。カントは理論的認識を現象界に制限して経験的実在論を説く反面,認識を可能にする条件を主観の形式すなわち主観における客観的形相の分析に求め,形式的観念論ないし先験的観念論を主張,リッケルトやE.ラスクの客観主義的観念論の先駆となる。またイデアは希求と願望の理想であり,近世的には理性概念すなわち理念として感性界に実現されるべき目標となる。…
…後者は結果の内容とそれがだれに向けられるかによって,さらに快楽主義,利己(他)主義,功利主義等に分かれる。カントには前者の傾向が著しいばかりか,彼はまた単なる法的義務への外面的一致に過ぎない合法性と,義務の意識と道徳法則への尊敬に発する道徳性とを峻別した。なお,義務論には,個別的状況での義務行為の決断や義務判断はつねに個別的で規則を不必要とするとみる行動義務論と,規則を不可欠とする規則義務論の立場が分かれる。…
…これを空間の関係主義的解釈と呼んでおこう。ニュートンの絶対主義とライプニッツの関係主義とは,その後も多くの追随者を生んで今日に至っているが,カントはいわば第三の道をとった。ニュートンが空間を存在論的にいっさいの事物に先行させ,ライプニッツが空間の存在論的身分を否定したのに対して,カントは空間を時間とともに,人間の認識の形式として,人間の側に求めた。…
…特殊形而上学は神学,宇宙論,霊魂論に分かれ,神,世界,人間を対象とする。カントはウォルフを含めて在来の形而上学は存在者の認識の可能性を無視した独断的形而上学とし,認識の起源,範囲,権能を人間理性の自己吟味に求め,理性能力の批判的画定を予備学として,自然と道徳の両面にわたり形而上学を学として建設しようとした。客観を観想する形而上学はここに主観に基づく形而上学へと転換するが,ドイツ観念論の形而上学的諸体系はカントの拒否する知的直観を絶対者に適用し,ヘーゲルの絶対的観念論へと転化する。…
…上記の英語名も,ドイツ語のAufklärung,フランス語のlumièresも,いずれも光ないし光によって明るくすることを意味する。〈自然の光〉としての人間生得の〈理性〉に全面的に信頼し訴え,各人があえてみずから理性の力を行使することによって,カントの言い方によれば,〈人間がみずからに負い目ある未成熟状態から脱すること〉へと働きかけ,こうして,理性的自立的な人格の共同体の実現を目指すことにその目標はあったと考えられる。このような理性の自律を目標とする啓蒙思想は,当然,理性の理解を超えた〈恩寵の光〉〈啓示の光〉の権威によりたのむ旧教会勢力,またそれと密接に結びついた中世以来のスコラ哲学に批判の矢を向けることになる。…
…
[理性批判と弁証法的理性]
デカルトの合理論哲学は,精神と物体(身体)の統一の問題を後代に残したが,その問題とともにここに新しく,科学的理性の有効範囲が問われ,形式的な理性にいかに内容をもたせるかが問われるようになる。18世紀の啓蒙主義のあとをうけて,カントが経験論の考え方をもとり入れて,新しい理性による古い理性の批判・克服を企てたのは,そういう問いに答えるためであった。そして彼は理性批判を通して,当時すでに事実として確立していたニュートン物理学の権利根拠を確定するとともに,科学的認識の対象を現象だけに限った。…
…そこで分離と合一という,心身関係ないし物心関係の一見矛盾する二側面を統一的に説明することがデカルト説を継承する人々の課題となり,ひいては近・現代を通じての哲学の重要問題となった。その間の注目すべき展開としてカントは,物質現象と実在的・因果的な関係に立つ〈経験的〉な主観と,物的・心的な全現象をおのれの対象とする〈超越論的〉な主観とを峻別し,これをもって彼の批判哲学の基本見解とした。この見解はもとより霊魂観の第2の類型に属するが,カントのあとをうけたドイツ観念論の哲学は精神主義ないし理性主義の傾向をさらに徹底させ,あらゆる現象の多様を超越論的主観のうちに吸収し,あるいはこの源泉から発出させる唯心論の形而上学として展開した。…
…この論争では,ニュートン的時間は,事物の存在や変化とは独立に措定されるべきものとして主張されており,ライプニッツ的時間は,事物の生起する順序関係の結果として構成されるものと主張されている。 近代西欧哲学の中心的存在とされるカントは,この二人の先哲の立場のどちらをも採らず,第3の道を用意した。彼は,人間の認識の〈形式Form〉(カテゴリー)としての時間概念や空間概念を提案した。…
… 18世紀になると,このような自然科学の方法を社会にも適用し,人間の倫理的・政治的行為を科学的にとらえる努力(人間科学)もはじまる。これに対してカントは,科学的な自然認識の成立根拠に超越的な人間理性をおき,それとの関係で感性とつながった悟性的認識と純粋な理性的認識を区別して,理論を2種に区分けするとともに,実践をも,感性的・経験的動機に規定されたプラグマティッシュ(実際的,有用的)な実践と,理性の法則に従うモラーリッシュ(道徳的,精神的)な実践とに区別して,後者すなわち倫理的実践(行為)をすぐれた意味での実践と考えた。そしてこの実践を規定する理性を〈実践理性〉と呼び,認識における〈理論理性〉が人間の自由や霊魂の不滅,神の存在を理論的には証明しえないのに対して,実践的にはそれらの存在が必然的に要請されるから,実践理性は理論理性に優位するとした。…
…デカルトは自由意志を理性活動にだけみとめて,理性的である限り意志の自律と自足を主張した。カントはライプニッツとともに自然の因果性を超える自由の事実(ライプニッツのいう〈事実の真理〉)をみとめ,これを神,不死とならんで道徳のための要請とした。理性的存在者の道徳的行為は自由の要請のもとで,自律的な〈定言的命令〉に従う限りで成立するのである。…
…国立大学には神学部があり,プロテスタント神学部は特定教派の差を超越する神学をめざしていた。宗教学はカント,ヘーゲルなどの影響の下に,まず神学部で,いわば超教派的神学と並行して,あるいはその基礎として成立したと言える。シュライエルマハーやR.オットーの宗教学はこの事実を裏書きする。…
…ドイツの哲学者カントの主著。後につづく《実践理性批判》(1788),《判断力批判》(1790)と並んで三批判書と総称され,批判哲学の体系を形づくる。…
…19世紀後半以降第1次世界大戦の時期にかけてドイツを中心として栄えた哲学上の学派で,カントの哲学を観念論の方向に徹底したうえで復興させることによって,当時盛んであった自然科学的唯物論や実証主義に対抗しようとしたものである。これに属する哲学者としては,その一派であるマールブルク学派のコーエン,ナトルプ,カッシーラー,西南ドイツ学派(バーデン学派)のウィンデルバント,リッケルト,ラスクなどがいる。…
… 近世に入ると,真理はもっぱら後者の意味でのみ理解され,対象に合致した人間認識の属性と見られた。しかし,よく考えてみれば,認識の一致・不一致が測られる対象に,われわれは当の認識を通じて以外近づきえないのであり,カントの主張するように〈経験の可能性の条件が,そのまま経験の対象の可能性の条件でもある〉のだとしたら,この真理概念は無意味になる。こうしてカント以降,経験相互の整合性,命題相互の整合性を真理と見る整合説的真理観が生まれてきた。…
…実体としての精神の解体は,ロックやヒュームらイギリス経験論の哲学者によって果たされたが,それに次いで今度は能動的活動の主体としての精神の概念が確立される。カントにおける実践の主体としての理性の概念,フィヒテにおける根源的活動性としての自我の概念,ヘーゲルにおけるおのれを外化し客観化しつつ生成してゆく精神の概念などにそれが見られよう。フランスにおいても,意識を努力と見るメーヌ・ド・ビラン,精神を目的志向的な欲求や働きと見るラベソン・モリアン,意識を純粋持続として,純粋記憶として,さらには〈生の躍動(エラン・ビタール)〉の展開のなかでとらえようとするベルグソンらの唯心論の伝統があるが,ここにも同じような傾向が認められる。…
…他方,デュ・ボア・レーモンは,機械論的見解を推し進めつつも宇宙の究極には不可知の問題が残るとして,素朴な唯物論的理解を批判した。
[三大問題の展開と生命観]
時代をさかのぼり18世紀後半を見ると,カントの哲学と生命観とのかかわりが問題として浮かび上がる。動力因と質料因でどこまで説明できるかを論究しつつ,目的論的生命観をその座に据えたかれの哲学が多くの生物学者に理解されたとはいえないが,アリストテレスの哲学と同様に,後代の生命哲学に対して重大な論題を与えるものとなった。…
…そして,これらの概念が制作物の存在構造をモデルにしてはじめて生じえたものであり,自然的事物には適用しにくいものであることは,すでに述べたとおりである。この対概念がその後〈形式formaと質料materia〉〈形式Formと内容Inhalt〉と呼び替えられて,形而上学的思考様式の基本的カテゴリーとして働いたことは,カントが《純粋理性批判》の〈反省概念の多義性〉の章で指摘しているとおりである。中世の普遍論争において特に論議の対象となった〈普遍‐個物〉ないし〈一般‐特殊〉という対概念も以上のような経緯と深くからみ合いながら形成されたものと考えてよい。…
…17~18世紀のイギリス,フランスの啓蒙思想において道徳的善を世俗的な感覚主義的人間観に基づいて功利性に還元しようとする試みがなされ,この方向は功利主義の立場に受け継がれた。カントは道徳的善を道徳法則によって規定された純粋意志の形式的特性とみなすというある深い洞察を示した。彼はまた最高善を道徳性と幸福との統合を表す理念とみなした。…
…カントとその流れを汲む認識批判の哲学の特徴をいう用語。カントは,ア・プリオリ(先天的)な認識源泉を形而上学的に確定し,その根拠づけを先験的ないし超越論的に行うことをこころみた。…
…同世紀半ば,ドイツのデカルト主義者クラウベルクJohann Claubergはこれを〈オントソフィアontosophia〉とも呼び,〈存在者についての形而上学metaphysica de ente〉と解した。存在論を初めて哲学体系に組み入れたのは18世紀のC.ウォルフであり,次いでカントであった。カント以後,存在論は哲学体系から消失したように見えるが,19世紀の終末以来,とりわけ第1次世界大戦後に復活し,今日では認識論と並んで哲学の主要分野を成している。…
…したがって,ここでは超越とは主観‐客観の認識関係にほかならない。カントが対象の認識を成立せしめるア・プリオリな認識を〈超越論的transzendental〉とよんだのは,それが主観‐客観の超越関係を可能にするものだからである。(2)神学的超越概念 神学においては,有限な偶然的存在を超え出た必然的存在者つまり神を〈超越者〉とよぶ。…
…そう考えた場合,〈直観〉の呼称は,対象との直接的接触によって得られた,知以前のあるものに限られることになる。例えば,カントのいう〈直観の多様〉がそのようなものであった。しかし,仮にそれ自身が完全な知識ではないにしても,われわれが現実界の個物について何かを知ろうとするかぎり,そのような直観の役割を軽視することはできないであろう。…
…I.カントの一連の自然哲学に関する論説中もっとも著名なものであり,1755年の著作。副題に〈ニュートンの原理に従って論述した全宇宙構造の編成と力学的起源についての試論〉とある。…
…〈理想が現実を支配する〉という考え方に焦点を合わせて,ドイツ理想主義とも訳される。カント以後,19世紀半ばまでのドイツ哲学の主流となった思想。フィヒテ,シェリング,ヘーゲルによって代表される。…
…基本の方向は,〈知る〉とはいかなることかという問題を,〈知識〉の主張を妥当ならしめる根拠は何か,われわれの思念・信念はどういう根拠に支えられるとき正真正銘の知識になるのかという問いに置きかえ,もっぱらジャスティフィケーション(正当化)の論脈から〈知識〉の本質に迫ろうとするものであった。カントは《純粋理性批判》で,自分が考察するのは認識に関する〈権利問題quid juris〉であって〈事実問題quid facti〉ではないと述べたが,これは西洋における認識論研究の基本傾向を簡潔に言い表している。たとえば17世紀末に公刊されたロックの《人間知性論》は近世の認識論を代表する古典であるが,これはその序論が示すように,〈知識〉の確実性と明証性の由来を究め,蓋然的な〈意見〉や〈信念〉の本性と根拠を検討し,それによって両者の境界を鮮明にすることを目ざした書物である。…
…また,C.ダーウィンはその鼻の形のゆえに,ラーファターの信奉者だった船長に忍耐力を疑われ,危うく観測船ビーグル号に乗りそこねるところだった。もっとも,I.カントは《実用的見地における人間学》の中で観相学的な性格論を肯定しながらも学問たりえないとし,ポルタやラーファターの説を否定している。 19世紀初めには医師F.J.ガルによる骨相学が現れた。…
…ドイツのバウムガルテンは合理主義哲学の伝統をひく哲学者だが,彼は従来の哲学体系には下位の認識能力たる感性的認識(上位は理性的認識)についての考察が欠けていたとし,感覚,感性,感覚的知覚をあらわすギリシア語aisthēsisに由来するラテン語aesthetica(ドイツ語化すればÄsthetik)を〈感性的認識の学〉と規定した。ここに生じた形容詞ästhetisch(美的)とは感性による直感的感受の契機と精神による英知的透見の契機とを併せもつ概念であるが,この新概念の豊かさのもとに後輩カントは感覚的,生理的な快と異なる美の普遍妥当性を説き,ついでヘーゲルは壮大な芸術哲学を築いて,美学は美および芸術の原理学としての位置を確立した。バウムガルテンは2巻の大著《美学Aesthetica》(1750,58)をあらわすが,この時期こそは美学史上の明確な里程標である。…
…通常はカントの理性批判の哲学,より広くは直接間接にその流れをくんで認識批判ないし言語批判を展開する哲学をいう。カントの《純粋理性批判》の哲学は,経験から独立に成立するア・プリオリな認識に関して,人間理性がいかなる権能と限界をもつかを確定しようとするものにほかならない。…
…表象は,哲学や心理学の領域で,主としてドイツ語のVorstellung,英語のrepresentation,フランス語のreprésentationの訳語として用いられる言葉であるが,広狭さまざまな外延をもつ。もともとVorstellungは,18世紀にC.ウォルフによって英語のidea(ロックの用語)の訳語として,次いでカントによってラテン語のrepraesentatioの訳語として使われはじめた言葉であるから,当然表象にも,もっとも広い意味として,感覚印象から非直観的な概念表象までをも含む観念一般という意味がある(この意味についてはカント《純粋理性批判》第2版を参照)。しかし一般には,直観的な性格をもつ対象意識を指し,知覚表象,記憶表象,想像表象,残像,さらには夢や幻覚,妄想までも含む心像一般を意味する。…
…この種の思考は,宇宙の生命そのもの,〈産む自然〉としての神を主張したルネサンスの自然哲学者ブルーノや17世紀のスピノザのうちに汎神論的物活論として継承されている。のち自然の非生命性,非自動性を主張する近代の機械論的自然観が支配的となった時期に,カントは物活論を,自然科学の基礎としての惰性律に反するとして批判した。現代では,A.N.ホワイトヘッド,テイヤール・ド・シャルダンらもある意味で物活論的思考の系譜に置いてみることができよう。…
…古代末期から中世を通じては,アリストテレス流の区別的語法が消え,弁証法は,論理学一般の同義語とされるようになっていた。
[カント,ヘーゲル]
近代も18世紀になって,カントが再び論理学一般と弁証法とを区別した。カントの場合,Dialektikとは,悟性論理を超経験的な物自体界にまで推及しようとする,人間理性にとって必然的ではあるが所詮は〈仮象の論理学〉にすぎないものとされる(カントの場合,Dialektikは〈弁証論〉と訳される)。…
…したがって,深淵あるいは空虚(真空)としての無に対する強い恐怖心はあったものの,現代においてニヒリズムが顕在化するまでは,無は概して存在者一般との関係において問題とされるにとどまり,それ自体として主題化されることはなかった。 カントが《純粋理性批判》の分析論の末尾で範疇表に即して提示している無の分類もまた,対象一般という概念との関係におけるものである。その第1の〈対象のない空虚な概念としての無〉は,第4の〈概念のない空虚な対象としての無〉に対応する。…
…ここには,原子論的発想にたいする全体論的発想,幾何学主義と代数主義,決定論と自由論,因果論と表現論といった,時代を超えて現代にまでおよぶ基本的な発想の対立の幾組かが複雑にからんでおり,機械論的思考と目的論的思考の対立が,ある文脈においては今日なお開かれた問いであることを早くも予示している。カントが,機械論にのみ本来の自然現象の説明の機能をみとめ,他方自然研究における目的論を研究の向かうべき方向を指示する〈規制的原理〉としての有効性に制限するという形で,二つの思考法の調停を試みたことも,18世紀の思考の状況の枠内での暫定的解決の提示という性格を完全にはまぬかれえぬものといえよう。
[今日の問題状況]
C.ダーウィンの進化論による自然淘汰の考えの出現によって,古典的な目的論的世界観は跡を絶ったという見方がときになされる。…
…この考え方の一つの変異体として,ライプニッツのようにその基本的単位を空間的広がりをもたぬ力の統一体(モナド)としてとらえる立場もある。(6)ライプニッツのこの考え方はカントによっても受けつがれる。彼は人間の認識に与えられる物の〈現象Erscheinung〉と,その背後にある〈物自体Ding an sich〉とを区別するが,この物自体は意志つまりある種の力を本質とするものと考えられている。…
…日本では,明治期には〈心即理也〉という見方からidealismの訳語として多く用いられたが,観念論と唯心論とを訳し分け,前者を実在論,後者を唯物論と対比するのは,20世紀初頭以来である。カントは独断的唯心論者とは,〈思惟する実体を自我において直接に知覚しうると考え,この思惟する実体の統一性が人格の不変の統一性を成す〉と主張する者であり,伝統的な合理心理学の説く非物体的・不朽的・人格的な実体としての精神Seeleの精神性Spiritualitätを肯定する者として,物質のみを認める唯物論者を退けるのと同様にこれを退けた。 一般に,根本的な実在を精神的なものとみなす唯心論は,物質的なもの,意識をもたないものも何らかの意味で精神的なものの色彩を帯びるかまたはその萌芽を含むとする以上,最広義では古代以来の物活論やアニミズムも唯心論に編入されうる。…
…後者は〈論証的推論ratiocinatio〉を派生する点でアリストテレスの〈分別知〉ないし古代の〈論証力logistikon〉の系譜に属し,かつ近代の論理的・論証的な〈理性reason〉の先駆となる。広義の理性は〈直覚知〉〈知性〉の系統と〈分別知〉〈論証的理性〉の系統とを含むが,双方の区別と連関との明示はカントとヘーゲルの出現を待たねばならなかった。 ドイツ語の〈理性Vernunft〉と〈悟性Verstand〉とは古高ドイツ語にさかのぼる。…
…良心としてのsyneidēsisという語の最古の用例はデモクリトスに見いだされるが,ストア学派以外で近代的良心概念にとってとくに重要なのは新約聖書,とくにパウロ書簡における用例であり,それは神のことばに対する恐れの内面化と解されうる。これはルター,カルバンを経て,とりわけ近代イギリスにおけるモラル・センスmoral senseの理論(すなわち公平な内的傍観者の理論)やカントにおける内的法廷としての良心の概念というかたちで,近代的な人格の〈自律〉という思想のうちに継承され,さらにはハイデッガーの実存思想における良心の呼び声という概念のうちにも生き続けている。良心は広義には道徳意識の根源的統一を表示する概念ではあるが,罪責感や悔恨の意識を生じさせる内からの〈呼び声〉が良心の最も本来的な現象である。…
…倫理学は倫理に関する学である(〈倫理〉〈倫理学〉の語義については〈道徳〉の項を参照されたい)。それは古代ギリシア以来歴史の古い学であり,最初の倫理学書といえるアリストテレスの《ニコマコス倫理学》と,近代におけるカントの倫理学とによって,ある意味では倫理学の大筋は尽くされているといえなくもないし,また倫理学の長い歴史を踏まえて,その主題とされている事柄,たとえば善,義務,徳などについて,一般に認められている考え方を述べることは可能である。だが他面,倫理学についてその学としての可能性を否認する立場もありうるし,そうでなくても,それぞれの倫理学者の立場によって,その倫理学の概念が異なっているのは,ある程度まで必然的なことである。…
※「カント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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