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「ヒキガエル」のページをご覧ください。
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ポルトガルに希望を与える岬という意味である。V.daガマが国王のその期待にこたえた。彼は97年7月8日にリスボンを出港し,喜望峰をまわってインド洋をわたり,98年5月20日インドのカリカットに着いた。…
…これらの著書は,いわばインド洋を舞台として数千年にわたって活躍してきたアラブ・ペルシア系航海民のもつ航海知識を精練し集大成したものであって,その高度な航海技術と精緻で詳細な地理的知識には驚くべきものがある。彼は1498年,バスコ・ダ・ガマの率いるポルトガル艦隊を東アフリカのマリンディからインドのカリカットまで案内したといわれるが,その事実は不明である。【家島 彦一】。…
…8世紀以来アラブ商人の進出によりインド洋交易が活発となるとともに,インド西海岸の重要港市として栄えた。1487年にはポルトガル人ペロ・デ・コビリャンPero de Covihamが来航し,98年には喜望峰回りでバスコ・ダ・ガマが東アフリカから乗せたヒンドゥー教徒を水先案内人として来航した。彼の上陸地点は北方約25kmのカッパードで,記念碑が建てられている。…
…それによってベルデ岬の西370レグア(約2040km)の線を境界とし,その西側で発見された土地はスペインの,その東側で発見された土地はポルトガルの領土とすることとされた。ポルトガルでは97年マヌエル王の指揮下にバスコ・ダ・ガマの船隊が編成され,インドに派遣された。ガマの船隊は98年にインドのカリカットに到着し,99年にコショウを積んで帰国した。…
…南からの風波を避けるのに好適な港として,また幾つかの美しい海水浴場のある保養地として知られる。1488年にバルトロメウ・ディアスが初めて立ち寄り,97年にはバスコ・ダ・ガマが寄港,1500年にはペドロ・ダタイデが嵐を避けて上陸した。このように南部アフリカにおいてポルトガル人航海者が最初に上陸した港として,歴史的に重要な町である。…
※「ガマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
冬期3カ月の平均気温が平年と比べて高い時が暖冬、低い時が寒冬。暖冬時には、日本付近は南海上の亜熱帯高気圧に覆われて、シベリア高気圧の張り出しが弱い。上層では偏西風が東西流型となり、寒気の南下が阻止され...
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